それから

 

ホン・サンス&キム・ミニ祭、開幕。有楽町通いの初夏。1本目は『それから』。

 

期待に違わぬホン・サンスらしさを堪能。監督は雪が降る場面のある映画はモノクロにしたくなるのかしら、と『次の朝は他人』を思い出しながら観た。

 

http://crest-inter.co.jp/sorekara/

 

小さな出版社の社長の不倫、痴情のもつれ(男、不倫相手、妻)に巻き込まれる、1日だけ出版社で働いたアルム(キム・ミニ)の、その日とそれから。

 

何度もジメジメと泣く男に「もう!泣けばいいと思って!これだから男は!」って言い放ちたくなる気持ちを抑えながら観る。それでも誰も見放さず、不倫相手は男を抱きしめる。男にとって都合の良いホン・サンスの世界!けれど、アルム(キム・ミニ)は状況には巻き込まれながらも自分を保ち、目の前で繰り広げられる濃い感情の縺れを達観した眼差しで見つめている。

 

あれ?と思ったのは、「神」という言葉が何度も出てきたこと。ホン・サンスの過去の映画で、これほど神について語られたことはあったかしら。神の存在を信じるかの会話から(あったっけ?あったような)、男が「妻は教会にあまり行かない」とボヤく(つまり、男は熱心に教会に通っている…?)、夜のタクシーで雪を見ながらアルムは神がもたらした奇跡…のような言葉を口にする。どれもうろ覚えだから、最後まで観た後に、早速2度目を観たくなった。

 

思い出したのはロメール『冬物語』。ロメール、「パスカルの賭け」について触れられる映画がいくつかあり『冬物語』はその1本。

 

考えてみよう、えらばなければならないのであるからには、どちらが君に関係が少ないかを考えてみよう。君は失うべき2つのもの、すなわち真と善を持っており、かけるべき2つのもの、すなわち君の理性と君の知識と君の幸福とを持っている。君の理性はどれか1つをえらんだとて傷つけられることにはならない。しかし君の幸福は?

神があるという表(おもて)をとってその得失を計ってみよう。2つの場合を見積もってみよう、もし君が勝つならば君は一切を得る、もし君が負けても君は何も失わない。それゆえためうことなく神はあるというほうに賭けたまえ。---それはすばらしい!

(パスカル『パンセ』津田穣訳 新潮文庫)

 

「パスカルの賭け」は、神の存在を信じるか信じないかの賭け。

「信じる」に賭ける→神が存在した→おめでとう!天国があなたを待っている!

「信じる」に賭ける→神は存在しない→残念!でも信じていた間、あなた安らかで幸せだったでしょ?よかったね!

「信じない」に賭ける→神は存在した→信じなかったんだから、天国には行けませんよ!

「信じない」に賭ける→神は存在しない→信じることによって得られた安らかな幸せすら得られなかったね…

結論:神の存在の如何を問わず「信じる」ほうに賭けると「君の幸福」を得るでしょう!

 

という意味だとざっくり記憶しており、『冬物語』は、主人公フェリシーが神…ではなくすれ違ってしまった恋人との再会を愚直に「信じる」ことに賭け、奇跡を獲得する物語。フェリシーが啓示を受ける場所が教会というのも示唆的だった。

 

『それから』で、不倫の当事者たち(男、不倫相手、妻)は皆、信じることに懐疑的で、妻は夫を問い詰め、不倫相手は消えたり現れたりして愛を試し、男は己を見失う。愛の言葉は空々しく飛び交うだけで愛の存在を保証することはない。

 

アルムと男の食事の場面、「生きる理由は?」を問われ、のらりくらりと答えをかわした男に、アルムは「何も信じないで生きるのか、それは妥協で卑怯ではないか」と詰め寄り、「私は世界を信じます」と言い切る。

 

アルムがタクシーの車中から見た雪は、ただひとり自分自身と世界の美しさを「信じた」アルムに世界がもたらした真夜中の奇跡、神の福音、天からのギフトだったのかもしれない。と考えると、あの雪の美しさを心の中で永遠に再生したくなる。

 

 
 

ロメールの中でとりわけ『冬物語』が好きな私は、ホン・サンス・ヒロインの中でもとりわけ、アルムを好きになった。『冬物語』のフェリシーは、これまで観たあらゆる映画のヒロインの中で、もっとも自分(の性格や行動、思考回路)に似ている、そっくり!と思った人物なので、フェリシーにもアルムにも、自分を見て肩入れしているだけかもしれない。またアルムに会いに行かなければ。

 

 

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