翠子
2018年 春
2年前の春、私は標高330メートルほどの山の上にある集落に越してきた。
熊野古道沿いにあるこの集落は、かつて宿場町として、山と山を行き来する地元の人々の生活道として賑わっていたらしい。今でも「横屋」「亀屋」など旅籠屋の名残から提灯をぶら下げた家が数軒あり、ここで暮らす人たちは「ほな後で横屋で」と当然のように使っている。
60人ほどが暮らしているが、1週間で顔を見るのは10人にも満たない。
山の上で暮らし始めてからは、映画館で映画を観ていない。だから、というわけではないだろうが、見てくれからそんじょそこらにいない人をそんじょそこらで見かけるようになった。1週間で顔を見る人の数は少ないにも関わらず、だ。
去年の夏だったと思う。
家から車で30分行ったところにあるスーパーマーケットで、チェ・ゲバラを見た。わかっている。もちろん、わかっている。けれど、天晴れ見事、あれはチェ・ゲバラだった。感服でございます。私は、心の中で深々と敬礼をした。
啓蟄。眠っていた生き物たちが、暖かくなった大地に顔を出し始めた。寺の朝の鐘の時刻が早くなった。
ふきのとうが肩を寄せ合う場所、花を咲かせる樹木の順、蛙の隠れ家、一つひとつ確かめながら春を喜ぶ声を聴く。音が見える。
駆け足でやってきて駆け足で去ろうとしている今年の春は、これまでになく賑やかだ。
『楽日』という映画を観たのは、そんな中でも一番賑やかで眩しい日だったように思う。
ここに来てから、映画はDVD宅配レンタルサービスを利用して観ている。明るいうちに観るときは大抵、窓辺の文机にパソコンを置き、窓を開けて観る。映画が山の額縁に収められ、空に飾られているようで気に入っている。
映画は静かに始まった。外は雨が降っている。
映画の舞台は福和大戯院という映画館。その立派さに、観客たちの熱気に圧倒され、思わずおおおと仰け反ったところで、ピューーーイ、と伸びやかでどこまでも届きそうな指笛が聞こえた。タクちゃんだ。
タクちゃんは、私の家の前で畑をしている70歳くらいのおっちゃんである。タクちゃんの野菜は味が濃ゆく美味しい。また、ピューイと聞こえる。
窓から顔を出すと、「野菜取んに来んかあ」と言う。やはり私を呼んでいたよう。
「行くー!」と叫び、DVDを停め、花籠を持って行く。奥さんのジュンちゃんもいたので、分葱の薄皮を剥きながらしばし話をする。ブロッコリーと白菜ももらい、家に戻る。
『楽日』の続きを観る。映画の中ではずっと雨が降っている。
宅配レンタルサービスのおかげで映画が観られるのはよいが、観る映画を選ぶのに頭を悩ます。悩んだ結果、粗筋も読まずに俳優や監督が同じ作品をまとめて借りることが往往にしてある。
ラジオで中国映画の歴史や魅力について語られているのを偶然耳にしてからは、中国、台湾、香港の映画をよく観るようになった。レンタルできるものが少なく、選ぶのに時間がかからないのもよい。観たい映画が観られず、大都会東京を羨ましく思うことは多々あるが。
『楽日』は「ツァイ・ミンリャン」で検索し、数枚借りたうちの1つである。
閉館の日を迎えた福和大戯院の最終上映は、冒頭の回想シーンと同じ映画だった。観客全てが夢中になり、観終わってからもその昂奮は一晩も二晩も冷めることがなかったであろう映画。楽日の福和大戯院には、観客は指で数えられほどしかいない。観客の他に出てくるのは、映画技師と受付や掃除をしている足の悪い女のみである。
これは、目を凝らして観ないといけない。
男たちの小便が長い。上映中だというのにものすごく長い。突っ込みを入れつつも、目を凝らして観ないといけない。
如何わしい動きをしていた男が、喫煙所で男前と出くわした。男前の方が大真面目な顔で、しかもいい声で、とんでもないことを言ったものだから笑ってしまう。そして、これまで誰も声を出していなかったことに気付く。そういえば、この映画には台詞がほとんどない。
さらに目を凝らして観る。いつ瞬間移動するかわからない。幽霊も見逃したくない。聞き逃したくもない。
沈黙の中にある何かが変わる。
そうか、この映画が終わると、この映画館はなくなってしまうのだ。
福和大戯院は、自分が時間の流れと共にくすみ、やがて滅びゆくことはわかっていたのかもしれない。
悲しいのは、記憶から消えてなくなってしまうことなのだ。
映画が終わってしまった。
それにしても、陽が長くなりました。