クレールの膝
ロメール特集で観た「クレールの膝」、1970年。クレールがロメール女優たちの中でもとりわけの美少女、男がヒゲもじゃ程度の記憶しか残っておらず、再見すると記憶は間違っておらず、でも記憶以上にふくよかな物語で驚いた。これはもっと何度も観るべき映画だったのでは。
サイトのあらすじより。
避暑地アヌシーで旧友の作家オーロラと再会した外交官ジェロームは、たわいもない会話から、ふたりの若い娘たちを誘惑することに。結婚を間近に控えた中年男が10代の少女の膝に執心するという一見不道徳な物語だが、ロメールらしい官能性とふしぎな可笑しみが見る者の目を釘付けにする。少女たちの輝く肉体とネストール・アルメンドロスによる美しい映像が、見事なアンサンブルを奏でる。
アヌシーの水辺、陽光、夏、湖にアヒル。こんな風景と夏の開放感の中、薄着の男女が集まって恋が始まらないとしたら嘘だね!という気分にさせられるアルメンドロスのカメラ。
ジェローム(ヒゲもじゃ。ジャン=クロード・ブリアリ!)とクレール(美少女)の間の話が中心かと思えば、クレールが登場するまでが長く、前半はほとんどローラ(ベアトリス・ロマン…若い!)とジェロームの話。愛や恋を観念的に語ることで意気投合したふたりは、恋に似た気持ちを抱き合うけれど大きく盛り上がりはしない。やがてクレールが遅れて登場し、弾けるような肢体が画面に登場するや否や、ジェローム同様、観客である私も、さっきまで小難しい顔して見守っていた、言葉を尽くして語られた愛についての議論など何の役にも立たないね!世にも美しい場所で、さらに夏なのに、湿っぽい言葉なんて野暮!と薄情に手のひら返して、クレールの膝に夢中になっていくのだ。こまっしゃくれた態度のローラも同級生男子(ファブリス・ルキーニ…若い!)の登場により、ジェロームとぐっと距離ができ、もうヒゲもじゃには興味はないわ、あたし若いし。と豹変するのも痛快。最初から全員を登場させず、登場人物が徐々に増え、相関図の矢印が複雑さを増していく構成、楽しい。
ジェロームずるい。私もクレールの膝に触りたい。けれど、相手を弱らせた隙に膝を思いのまま撫でまわすなんて、ただの姑息な中年男の作法すぎて興ざめ。大人の余裕ってものはどこに行ったの。あ、そんなの最初からないのか。
そんなジェロームの一部始終を、長らくの友人であるオーロラという女性が観察者として見守る。オーロラは作家らしく、ジェロームから逐一報告される揺れる男心を聞きながら、時にジェロームにローラをけしかけたり、クレールの膝に触れるようハプニングを演出したりする役割。聞き役なくして誰の物語も成立しない。ジェロームの物語はオーロラの存在なくして展開せず、ふたりは一心同体、表裏一体だけれど、彼女がその役割を静かに引き受けるのは、物書きらしい好奇心ゆえなのか、それとも観念でも肉欲でもない、別の種類の愛ゆえなのか、私の納得に至るには、あと何度か観なければならない。