海辺の生と死
「海辺の生と死」、公開は今日から。先月、完成披露上映で一足先に観た。戦時中、加計呂麻島を舞台とした、島尾敏雄・島尾ミホの出会いの物語。映画の中では朔、トエとそれぞれ名前が違う。
南の島といえば、海、空、砂浜…と海なし県・盆地育ちの私が抱くステレオタイプなイメージを裏切るように、この映画で映される加計呂麻島の風景はどこか翳りがあり、ひんやりした風が吹いていた。島唄、方言、踊りを異国見物のように眺めながらも、朔とトエが出会い熟してゆくにつれ、島の風景も人々も後退し、次第にあなたとわたし、ふたりだけの密室に変化してゆく。
トエという女性は単なる激情型というわけでもなく、俯瞰しながら演出する監督の役割と、中心で演じる女優の役割を往復しながら自分の物語を推し進める。島に暮らしながらもどこか遠くを望むような寄る辺のなさを抱え、相手役を待ち望んでいたところに朔が登場し、腕を掴んで強引に舞台に引きずりあげる。朔のほうも、繊細な文学青年っぽさと、特攻隊の隊長という強い役割の間を揺れ動く掴みどころのなさがあり、ふたりの隙間が偶然ぴたりと符号したように見えた。ふたりのその後の展開を知ってしまっているため、特異で特別なふたりの出会いの物語、と色眼鏡で観てしまうけれど、すべからく恋って、こんなふうにどうしようもなく不意に始まってしまうもののようにも思える。クライマックスの長い夜、物語を盛り上げる材料はすべて揃いましたという熱気の中、女優人生・一世一代の名演を見せる時、それは今!とばかりに芝居がかるトエの動きはトエならでは、ではあったけれど。
登壇した満島ひかりさんの「島尾ミホさんは、島生まれだけれど東京で生活していたこともあって、また島に帰ってきたり、どの場所にも居場所が見つからず、愛だけが居場所だったのかな、と思う。私自身も沖縄で生まれ東京に来て、似たようなところがある。」との言葉が耳に残った。舞台挨拶のニュースは、主演2人の噂ばかり書き立て、こんな言葉があの場所にいなかった人に伝わらないなんて、勿体ないことよ、と思ったのでメモしておく。
衣装も素晴らしく、島の自然にすんなり溶け込む天然素材の服に、ほとんどノーメイク。そんなトエが着替えてガラリと別の女になるような、それでもやっぱりトエの延長のような夜の場面が印象的。
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