Weelky28/ガラスの動物園 消えなさいローラ
お久しぶりです。映画の話題ではないけれどラジオCinema Radio 28のゲストに来ていただいた川本悠自さんが音楽監督を務められる舞台『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』を新宿・紀伊国屋ホールで観てきたので所感を走り書き。
テネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』と、別役実がその後日譚を描く『消えなさいローラ』の2本立て。なんとなく90分+30分ほどかな?と思っていたら…なんと…!!
『ガラスの動物園』2時間半、休憩をはさみ『消えなさいローラ』もたっぷり1時間と4時間弱の観劇。長い映画を観ることには抵抗がなくて、最長は『SHOAH』(クローズ・ランズマン監督/9時間27分)を映画館で丸一日かけて観たこともあるので今回も大丈夫でしょ!と気楽に構えていたけれど複製芸術である映画の観客であることと、舞台の観客であることは随分異なる体感があった。生身の人間の情報量の多さを4時間近く浴び続けると、座って観ているだけでフルマラソンを自転車で伴走して完走したような疲労感があった。俳優だけではなく音楽の奏者の3人(コントラバス、ヴァイオリン、バンドネオン)もずっと舞台上にいるので、1日8時間も舞台の上に?会社員の労働時間みたい…と驚いたし皆さん公演期間中どう体調管理しているのかシンプルに興味が湧きました。
公演の詳細はこちら
https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/23_Glass_Laula/
<ガラスの動物園>
舞台は⼤恐慌時代1930年代のアメリカ中南⻄部、セントルイス。
華やかな過去の想い出の中で⽣き、⾃分の考えが正しいと信じて疑わない⼝うるさい⺟・アマンダ、脚が悪く極度に内気でガラス細⼯の動物たちと古いレコードだけを⼼の拠り所とする姉・ローラ、そんな⺟と姉に閉塞感を感じながら現状からの脱却を夢みる⽂学⻘年の弟・トム。裏さびれたアパートでウィングフィールド⼀家はそれぞれに窮屈な思いを抱えながらも、つましく暮らしていた。
ある⽇、ローラの現状に危機感を抱いていたアマンダは、男性との出会いの機会を与えるため、トムに職場の同僚を⼣⾷に招くように頼む。⼀家の元に訪れたジムは⾼校時代ローラが恋⼼を抱いていた⼈物で、⼀家に明るい変化が起こったように⾒えたが…。
上演台本・演出は渡辺えりさん。しばらく前に原作を読んだので、ディティールを忘れていたけれど、戯曲に忠実な印象。テネシー・ウィリアムズが自身を投影した追憶の物語だから、家族とともに過ごした30年代の日々を時間が経過した後に振り返っている設定で、活字で読むと随所に昔の物語であることが感じられたけれど、シングルマザー、毒親、障がい、多様な性的嗜好…と2023年らしいキーワードでも語ることもできることを令和の同時代を生きる俳優たちが演じるのを目の当たりにしてひとしお感じられ、けれど普遍性もあって、映画でも例えば『東京物語』なんて不朽の名作があるけれど、家族の物語は息が長いなと思った。
母・アマンダを演じるのが渡辺えりさんだったからか、自分の描く理想の人生を子供たちに歩ませようと干渉する親の苦い部分だけではなく、下町のおおらか母さんみたいな明るい可愛らしさもあり、子供たちにとっては煩わしいだけの親ではなく、楽しい思い出もたくさん積もっているのだろうと感じられた。去年、東京ではフランスのカンパニーによる『ガラスの動物園』が上演され、アマンダ役はイザベル・ユペール(ユペール様!)だったようだけれど、ユペールが演じるとまるで違うアマンダになるのだろうな。
姉・ローラは足が不自由で、心も現代においては何らかの病名がつきそうな人物。演じるのは吉岡里帆さん。テネシー・ウィリアムズ自身の姉ローズがモデルと言われており、ローズは人生の長くを精神病院で過ごしロボトミー手術を受けた人でもあって、ガラス製のユニコーンの角が折れたとき確か「手術すれば大丈夫」というセリフがあった気がして、その単語の響きにドキッとした。吉岡里帆さんのローラは、きっとローラの内側にはワンダーランドが存在して動物たちに囲まれ、足も不自由なく動かせ、あたたかい家族や恋する相手と夢のような時間を過ごす、別の世界線を生きるもうひとりのローラが形成されており、現実世界と空想の世界の境界が曖昧で、少し現実世界への適応が難しい人なのかな、と思った。ローラのような人こそ創作して生きる人生が向いているのでは?と思うけれど、それはアマンダが求める娘の理想の人生ではないからこそ生じる軋轢の物語でもある。
弟・トムを尾上松也さんが演じ、膨大な台詞量とともに4時間弱ずっと舞台上に存在し続けるのを呆気にとられ眺めていた。長い物語を支える強固な、盤石な地盤!という安定感がありながら、トムという役の屈折も繊細さも舞台上にずっとある。
物語は家族にとって救世主でも闖入者でもあるジムの登場により展開し分断される。ビフォー・アフター、登場前・登場後と区分すると、ジム登場前が長くとられているように感じられ、家族3人が狭い家で問題を抱えながらそれぞれの主張とともに生きていることの窮屈さを観客の自分もしんどく、冗長に感じ始めた頃に、鮮やかにジムが登場するのが面白かった。やや弛緩してきたところを一気にピークに連れて行かれる。2時間半という時間の配分の面白さ。
原作から受けた印象と最も近かったのが和田琢磨さん演じるジムだった。華やかでもあり胡散臭くもあり、自分を自分以上に大きく見せながら、さりげなく他人を見下すことも忘れない。家族3人を一気に心酔させていくさまは宗教家のようでも、語気の強いYouTuberのようでもあった。
…というのがキャラクターに対する私の印象だけれど、トムの追憶で語られる30年代アメリカのある家族の物語で、退屈な仕事と窮屈な家庭から逃げるように夜な夜な映画館に行くトムという人物について、映画館、映画という単語が発せられるたびに、ひとりの映画好きである私は同志よ!という気持ちを抱きました。映画館に毎晩出かけ、明け方まで帰ってこない。そんなに毎日いったい何の映画を観てるの?という台詞があって、私は、え!映画は日々生産されるから観ても観ても観終わらないんです。愚問ですね!と心の中で答え、トムは「ニュース映画を観て…次にこんな映画を観て…」と観るものの内訳を説明していたけれど、映画館という場所はおそらく暗喩的な設定で、同性を愛するトムは出会いを求めて映画館に通っていたのだろうかと思う。日本でも一部の映画館が特定の性的嗜好を持つ人々の集いの場だった歴史があった。
それから、私は観劇当日は別の場所でエルンスト・ルビッチ監督の映画を観る機会に恵まれ、ルビッチ映画を観てから紀伊国屋ホールに向かったこともあって、『ガラスの動物園』は30年代アメリカが舞台で、30年代はエルンスト・ルビッチのハリウッドでの黄金時代でもあるから、毎晩映画館に通うトムはリアルタイムでルビッチの映画を観た人かな、と妄想した。『ガラスの動物園』は大恐慌時代のアメリカの父親のいない家庭の唯一の男性、大黒柱として働くトムは低賃金の労働者で、私の好きなルビッチの30年代の映画は大恐慌なんてどこ吹く風?という上流階級の男女の戯れ、タキシード、ドレス、ダンスパーティー、宝石、家のことは執事とメイドがやる人々ばかり出てくるから、シビアな時代に何ひとつリアリティのない物語を連発するルビッチよ…と思ったけれど、それでこそハリウッド、現実では味わえない豪華な夢を見せてこそ映画!という時代だったのだろうな。出会いを求めて行ったとしても映画も観ているはずだから、トムはかなりのシネフィルだと思う。何の映画が面白かった?俳優は誰が好き?セントルイスでおすすめの映画館ある?ってトムに質問してみたい。是非ラジオのゲストに来てください。お待ちしてます!
<消えなさいローラ>
家を捨て、セントルイスを⾶び出していった弟のトムが帰ってくるのを、⺟とともに姉のローラは待ち続けていた。
そこへ突然、葬儀屋と名乗る男がやってきて…。名作『ガラスの動物園』の後⽇譚を描く⼆⼈芝居。
今回の公演では、葬儀屋を名乗る男を尾上松也さん、ローラ役を渡辺えりさん、吉岡里帆さん、和田琢磨さんが交代で演じる。私は吉岡里帆さん回を観ました。『ガラスの動物園』の後日譚ということで様々な設定は引き継がれているものの、奇妙な台詞が散りばめられた不条理劇で、こちらも戯曲を事前に読み活字に没入すると悲しくて辛い気持ちに満たされてしまったけれど、上演版は可笑しみのある演出も多く、とても楽しめた。川本さんに「マリコさんは別役実、お好きだと思いますよ」と言われたのですが、確かに面白かったです。渡辺えりさんや和田琢磨さんが演じるバージョンも観たいし、別役実の他のお芝居も観てみたいと思った。
吉岡里帆さんの声が好きで、今回の舞台は生で観られることに加え、生で声を聴けることも楽しみにしていた。キャスト4人がアナウンスする開演前の客入れの場内放送 の時点から吉岡さんの声に聞き惚れていたけれど、『ガラスの動物園』では喉を搾るような発声を敢えてしていた印象で、『消えなさいローラ』は普段の吉岡さんに近い、けれど役柄的に様々な発声を楽しめ、歌声も聴けて声ファンとして大満足。
『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』と吉岡里帆さんのローラを浴び続けたけれど、ともすればローラ役って演出や俳優によっては哀れを誘いそうな、可哀想と安易に思われる役になりそうだけれど、佇まいや声が凛とした吉岡さんが演じることで、ローラにはローラの豊かな世界があるんだろうと思わせる強さがあった。私自身はたまたま現実世界と折り合いをつけていく人生だっただけで自分の中にもローラ要素はたくさんあって、もし吉岡ローラが現実世界で私と出会うことがあったなら、話しかけていろんな話をしてみたいな、と思わせるローラだった。動物園に一緒に行ってペンギンを見たりね。
<音楽>
川本さんが音楽監督を務め、演奏者として舞台上にいると伺っていたので楽しみにしていたのですが、上演開始してすぐ、演奏者とトム(尾上松也さん)が客席を通って登場する先頭(たぶん?)にいたので驚き。トムが追憶の物語を語る進行役として、自身の語る物語にふさわしい楽隊を引き連れ、楽譜を手渡して演奏させるという設定が一連の動きで説明され、観たことのない演劇と音楽の関係だと思いました。その後すぐにトムに川本さんが飲み物を渡すアクションがあって、え!演奏するだけじゃなくて、歌舞伎の黒子や能楽の後見みたいな役割もあるの?と驚いていたら、音楽家の3人がどんどん物語に入り込んでいく演出が随所にあって面白かったです。
何度もアレンジを変えて演奏されたメインテーマのような楽曲があって、『ティファニーで朝食を』における『Moon River』のような、『Moon River』が主人公ホリー・ゴライトリーに捧げられた楽曲であるように、きっとローラに捧げられた楽曲なのだろうなと思いながら聴いていた。メインテーマが物語に寄り添って盛り上げることもあれば、紆余曲折を経て物語が荒れた後にふたたびメインテーマが流れることでホッとする気持ちになることもあった。家族のような長いつきあいの誰かと喧嘩した後に、すっと普段どおりに戻れるような、聴くことでいつもの日常を取り戻せるような強度のあるメロディだった。
私は時折、いろんな意味で慌ただしい時に、その時々で流行っている耳障りの良い歌謡曲を1曲選び、一定期間それを何百回も聴き続ける習性があって、気分がアップダウンすることを、ひとつの曲を何度も聴くことで鎮静・高揚させて一定レベルに保ち続けるための心理的工夫だと思っていて、主題歌やメインテーマには同様の作用があるのかな、と思った。
『ガラスの動物園』の展開が健やかなる時も病める時も、キャラクターたちが笑いあう時も不穏な時もメインテーマがふっと流れることでひとつの連続した物語と認識でき、どこか安心して物語に没入することができた。少し明るいトーンのメロディだったからか演出にも似合っており、音楽があったからこそローラという人物の哀しさがいたずらに強調されることなく身近で、友達になれそうで自分の一部でもありそうなローラに思えたのかもしれない。
あと、不穏な音が好きなので『消えなさいローラ』のお茶を巡るやりとりの場面で流れていた音楽は、ずっと聴いていたいぐらい好きだった。
Cinema Radio 28のゲストで来ていただいたのは9月で、川本さんは絶賛作曲中・悩み中だったのに舞台を拝見して、すごい!音楽できてる!と思いましたし、作曲だけでなく長丁場の生演奏を何回も毎日、の大仕事っぷりに、私は私の持ち場で良い仕事をするぞ、と気持ちを引き締めた秋でした。
川本悠自さんゲストのCinema Radio 28、是非お聴きください。9月上旬に収録しました。
川本悠自さんBlogで音楽制作ついて細かく紹介されており、これからも続くようです。私は敢えて読まずにこれを書いたので、これからじっくり読みます。ラジオで質問した「物語に音楽をつけること」への、詳細なアンサーが書かれているのかも?と思っています。