Rules
2018年に観た映画のうち、「最も印象に残っている映画」を1本選び、紹介してください。
⾯⽩かった映画、良かった映画だけではなく「意味不明だったけれど、気がつけばあの映画のことばかり考えていた」「不愉快だったけれど、不思議と引っかかるものがあった」、もしかすると、そんな映画も「印象に残っている映画」かもしれません。
2018年に観た映画であれば、新作/旧作を問いません。
映画館に限らずDVD、Netflix等の配信、⾶⾏機の中やテレビ放映で観た映画も対象です。
映画タイトル、観た場所、そして2018年に撮った映画にまつわる写真を1枚添付し、説明してください。
Writers
(いろは順)
維倉みづき(moonbow cinema主宰) 川畑あずさ(グラフィックデザイナー)
辻本マリコ(Cinema Studio 28 Tokyo主宰) 小栗誠史(古書店勤務) 古川博規(服飾デザイナー)
aya(グラフィックデザイナー) 翠子(翠文庫)
維倉みづき
moonbow cinema主宰
Mizuki’s Golden Penguin goes to…
2001年宇宙の旅
(1968)
監督:スタンリー・キューブリック
観た場所:TOHOシネマズ日比谷 IMAXデジタルシアター/東京/日本
2018年10月19日(金)、IMAX版『2001年宇宙の旅』初日。私は残業を終え、21時の最終回に駆け込んだ。
1968年に発表された本作。50周年記念として、2018年を通じて70mmニュープリントフィルム版とIMAX版が世界中で期間限定上映され、ここ日本にもやってきた。「SF映画の金字塔」と讃えられる本作を私はそれまで鑑賞する機会がなく、70mm版上映の席が取れなかったことも重なり、IMAX版の2週間限定上映を首を長くして待っていた。
作品の冒頭から、気品ある構図の数々に圧倒される。物語が猿人類の時代を経て宇宙へ移った途端、ワルツ「美しき青きドナウ」が流れた。この曲は、ウィーンフィルが毎年元旦に開催するニューイヤーズ・コンサートの定番曲。コンサートは日本にもテレビ中継され、私の実家ではお正月の恒例番組になっている。自分に馴染みのあるメロディーに合わせて、宇宙船と人間が動く様子を見ていると、まるで映画と自分が一体となってワルツを踊っている心地になった。
エンディングで流れる「美しき青きドナウ」を最後の一音まで堪能して映画館を出る。心身は宙に浮いているかのように軽く、無意識に「1、2、3…1、2、3…」とワルツのリズムで歩いていた。初日から5日後、そして更に4日後、吸い寄せられるように鑑賞を重ねた。ワルツと対象的な高速月面移動や、人工知能と人間の心理戦、体が押し潰されそうな効果音を伴う空間移動など、緩急豊かな物語構成の虜になった。
50年後の2068年には、きっと『2001年宇宙の旅』100周年記念上映が開催されるだろう。どんな映画体験になるだろうかと、想像を巡らせている。
8月に訪れたロカルノ映画祭(スイス)。メイン会場であり、街の中心広場であるPiazza Grandeで、深夜、特設投影室から80m先のスクリーンに向かって発せられる映画の光。異なる太さ、濃淡の光線が、まるで踊るようにして銀幕に届く様子を初めて目にした私は、映画のあまりにも美しい姿に暫くその場を動くことが出来ませんでした。
川畑あずさ
グラフィックデザイナー
Azusa’s Golden Penguin goes to…
ドリス・ヴァン・ノッテン
ファブリックと花を愛する男
(2017)
監督:ライナー・ホルツェマー
観た場所:ウィークエンド キネマM/高知/日本
昨年の春、繁忙期を乗り切った後にリセットをしたくて旅に出た。その目的地のひとつが安藤桃子監督が代表を務める高知市の映画館〈ウィークエンドキネマM〉だった。そこは1年間という期間限定の映画館で、より特別な非日常が味わえるのではないのかと思ったから。ちょうど観たいと思っていた『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』もかかっていたことだし。
上映が始まる前、いつもなら例の映像(NO MORE 映画泥棒!)で注意事項などが説明されるもの。けれどここではスタッフがスクリーンの前に現れて、マイクも持たずに観客たちに向かって説明を始めた。その朗らかな語り口や高知弁がやけに耳に心地よかった。
ドリス・ヴァン・ノッテンは、コレクションが終わると完全にリセットするためにオフをしっかりと取る。アントワープ郊外にある邸宅の庭で育てた花を摘み、家庭菜園で野菜を栽培し、採れたての野菜で料理をし、犬と戯れ、パートーナーと1分1秒も無駄のない時間を過ごす。強い意志を持って美しくあろうと努めたひとりの人間の姿。何も特別なことはしていないのにそのシーンの全てはことごとく美しかった。
映画館に通うというのは私にとっては日常のこと。けれどいつもとは違う映画館で、それが旅先であればなおさら、日常から遠ざかることができる。そしてそれが、場所の思い出とともにより強くひとつの作品を記憶させてくれた。
魅力ある上映作品のセレクトと(安藤サクラ祭り、行きたかった!)、外観も素敵な〈ウィークエンドキネマM〉。ビルの建て替えに伴い期間限定であったのが一転、2021年にリニューアルオープンすることになったそうです!
http://www.kinemam.com
辻本マリコ
Cinema Studio 28 Tokyo主宰
Mariko’s Golden Penguin goes to…
寝ても覚めても
(2018)
監督:濱口竜介
観た場所:シネクイント、テアトル新宿/東京/日本
2017年8月、『寝ても覚めても』のエキストラが足りないと情報がまわってきて、撮影を見てみたい好奇心が先走り申し込んだ。スタッフの方からのメールによると設定は3月11日、震災の日の帰宅難民。あの日の記憶を辿り、トレンチコートを準備して都内某所へ。亮平と朝子が抱き合う真横を、カメラ移動用に敷かれたレールを跨いで通り過ぎる。監督は俳優のすぐ近くで演出されていた。
2018年9月、公開日。自分がしっかり映っていたら落ち着かないな、と不安だったけれど、映っておらずホッとした。撮影は朝から夜まで続いたのに、ほんの数分のシーンだった。夏の気温は封印され、3月にしか見えなかった。果てしない工程を経て巧妙につくられた美しい嘘が映画だった。
古い映画を多く観たせいか、心のままに行動する女は世の秩序を乱す存在として罰を受け、好奇の目に晒され、最後に死に、トラウマの存在を勘ぐられる傾向にあった。そんな映画を観た後は、胸に苦味が降り積もった。
『寝ても覚めても』の朝子は心のままに行動した末に、「許されると思ってない、だから謝らない」と言い放つヒロインだった。朝子のすべてが腑に落ちた私は、きっと朝子に似ているのだろう。朝子は批評も観察もされず、ただ真正面から見つめられていた。恋をしているだけだ、と。川辺の二階で前を向く朝子の姿を見送ると、ずっとこんな映画を待っていたし、こんなふうに見つめられたかったのだと思った。
エキストラ参加の記念品として配られたノートは麦/亮平の2バージョンあり、私がいただいたのは麦バージョン。表紙を開くと麦は朝子の背中を見つめていた。東出昌大さんはこれまで見た中で最も整った姿形の人類だったけれど、もしかして人類ではないのかもしれない、という印象の人だった。唐田えりかさんは陶器人形のようだった。
小栗誠史
古書店勤務
Mr. Oguri’s Golden Penguin goes to…
犬ヶ島
(2018)
監督:ウェス・アンダーソン
観た場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ/東京/日本
ウェス・アンダーソンの映画を愛好している、と声を大にして言うことがどこか憚られるようになったのはいつ頃からだろうか。つい先日も深夜枠のテレビドラマで、自意識をこじらせた主人公の美意識を担保する小道具として扱われているのを見かけた。
しかし誰にどんなふうに扱われようとウェス・アンダーソンには何の罪もない。見方を変えれば唯一無二の存在と化したのだと言えるし、村上春樹の置かれている状況にも似て、攻撃の対象になることを引き受けたのだとも言える。何もこれは日本に限った話ではない。詳細は別の機会にゆずるとして、ミドルブロウであることに無自覚でいることはときに危なっかしいということなのだ。
前置きが長くなってしまったけれど、とにかく声を大にして言いたいのは、2018年に観た映画のなかでいちばんおもしろかったのは『犬ヶ島』だったということ。ひとりの映画好きがその思いの丈をこれでもかと詰め込んでいるにも関わらず、軽やかで清々しい後味の物語に仕立て上げたというのは誰にでもできることではない。
そしてもうこれ以上『犬ヶ島』について何かを語ることはできない。なぜだか2回目を見るために一度記憶をリセットしてからにしてみようと思いついてしまい、デリートしている最中だからだ。この文章を書きながら少し思い出してしまったのでまた先のことになってしまったけれど、こんなバカバカしいことをさせられるのもなんだか楽しい。
観たのは公開初日から2日後の5月27日。公開直後に行くことはまれなので、我ながらよほど楽しみにしていたのだと思う。六本木ではセットの展示もされていた。
古川博規
服飾デザイナー
Mr. Furukawa’s Golden Penguin goes to…
家路
(2001)
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
観た場所:自室のPCにて、レンタルDVD/日本
建築家アルヴァロ・シザに興味を持っていたことから、ポルトガル繋がりで、オリヴェイラをたまたま知った。印刷物で見た、作品を紹介する静止した《画の力(のみ)》によって強く惹かれた訳だけれども、作品を容易に観られるような現状ではない監督なので、行ける範囲のレンタル店に置いてあるもので、いくつか観た中から『家路』を選んだ。当初はヴィジュアルの印象から『家宝』あたりを観てみたいと考えたのだが、あいにく近隣地域店も含め扱いがなく、『家路』の方は代表作としての著名性やあらすじを見るに、個人的には気分が乗らなかったものの、結果的には、このあまり望んでいない巡り合わせが貴重なものとなる。
経歴にも大いに惹かれたことは否定できない。資金不足で中断した短編記録映画も含めれば10代から、若くして映画を撮り始めるも興行の失敗や負債、国内情勢なども相まって、何度か映画から離れる時期もありながら、60代以降、106歳で亡くなる直前まで作品を生み続けた作家の、撮影時91歳の作品である。
原題、邦題ともに「家に帰る」というタイトルである。それも、何かをやり遂げて家に帰るという清々しさではない、《途中》で家に(逃げ)帰るというもの。それは、主人公にとって「ホーム」である《舞台》で冒頭に演じている『瀕死の王』で発した台詞のごとく「体が勝手に」である。ダダをこねる子供のように、逃げたい。このような壁にぶつかることはおそらく現代社会と関係がある。20年近く経った今でも少なくないどころか、むしろ増えているのかもしれないと考えるし、自分もご多分に漏れない。《家(の自室)》をメインとして、役者である主人公にとっての《舞台》や、パリ市民としての行きつけの《カフェ(のお決まりの席)》など、いくつかの家路が存在する。特に胎内のような自室は、美しい青の空間が全てをリセットしてくれるかのような包容力を感じさせている(作品内で青を纏っている時にも意味があるのだろう)。
公開時のいくつかのレビューを読んでみても、本当に同じひとつの映画のことを言っているのか?というほどに、大きな幅で捉えられることや示唆を見るにつけ、古典たりえるほどのクオリティであることの証左であり、またそれを促す余白とは、ここまで計画できようものなのかという驚きがある。
2つの舞台『瀕死の王』『テンペスト』、出演を断るコマーシャルなテレビドラマ1つ、そして映画『ユリシーズ』と、主人公の日常との組み合わせから受け取れる景色は、万華鏡のように無限であり且つシックである。靴の演技も非常に魅力的だった。『夜と霧』を読んだ時に、靴が無いことの辛さは筆舌に尽くしがたいと痛感したことを思い出す。タクシーの車窓から見る街並は、NHK BSの『地球タクシー』製作陣にインスピレーションを与えたに違いないと感じるほどに美しい。
この主人公が持つような、何とも言い表し難い種類の苦悩とは無縁の人がもし居るならば(そして、それは世の中には決して少なくはないのかもしれないが)、本当に幸せなのではないかと想像する。まだこの映画の入り口に立ったに過ぎないが、感じ入ることは観る度にどんどん変化し深化してゆくだろう。確か太宰が書いていた”映画は「心の弱っている時に」観る”という心持ちではないけれど、私はたまたま知ったこのマノエル・ド・オリヴェイラに助けを求めたいところがあるのかもしれない。
自室のPCで鑑賞中に撮影。主人公らの行きつけのカフェ。の、お決まりの席(予告映像にもほぼ同じ場面が出るので選んだ。この人物がどういう設定の人物なのかの読みは今後の個人的なお楽しみ)。
aya
グラフィックデザイナー
aya’s Golden Penguin goes to…
寝ても覚めても
(2018)
監督:濱口竜介
観た場所:ヒューマントラストシネマ有楽町/東京/日本
濱口竜介監督の作品は『寝ても覚めても』で初めて観た。自分が大学生だった頃に原作者である柴崎友香さんの小説をよく読んでいたけれど、あの頃の自分の心象風景を思い出すような映画にも感じて、少しのあいだ情緒が不安定になるほどだった。この映画の中でも恋愛の甘い部分は描かれているけれど、同時に個人の荒涼とした孤独が風の音や海の音と一緒に作品内に含まれていたと思う。
どんなに深く恋をしていたとしても、気持ちが移り変わってしまえば恋愛中の約束ごとは全て消え去り、好意も覚悟もなかったことになってしまう。なくなってしまった恋や過去は、本当になくなっているんだろうか。恋愛中に信じた何かは、本当は何を信じているんだろうか。
私はもともと川の風景が好きで今も近くに住んでいるけれど、『寝ても覚めても』とその後観に行った同監督作の『親密さ』に含まれていた何かが現実の風景に重なり、私はいつも川に何を見て心を動かされるんだろう、とあれから何度も考えている。
作品が正式出品された2018年のカンヌ映画祭は審査員にレア・セドゥ、ケイト・ブランシェット、クリステン・スチュワートが並び、毎夜画像を検索してはこの世の美が集結しているさまに世界を讃えたいような気持ちになった。
映画を見てから再び探し出した、カンヌのレッドカーペットに立っている東出君・唐田さんもとても素敵だった。
映画の中で見る煙草は現実よりもいい匂いがしそうだな、といつも思います。ユリイカは、濱口監督から『きみの鳥はうたえる』の三宅監督への質問がおもしろかったです。
翠子
翠文庫
Midoriko’s Golden Penguin goes to…
ハッピーアワー
(2015)
監督:濱口竜介
観た場所:元町映画館/神戸/兵庫/日本
私は混乱していたのだと思います。見慣れていたはずのポートタワーが「はじめまして」という顔で立っていたんです。その背にあるのは冬の夜空のはずですが、星が見当たりません。駐車場までの道を歩いて行きました。煌々と輝いていたのは街路樹でした。『ハッピーアワー』を鑑賞した後のことです。私の身体感覚は、「映画館で映画を観た後」のそれとは、これまで自覚したことのあるいずれのものとも全く違うものでした。寝不足続きでしたが、3時間余りの運転は苦ではありませんでした。むしろ、山の家に帰るまでの過程として必要なものでした。その間、私は同姓同世代であるあの4人の誰かではなく、「日野さん」と「私」を行ったり来たりしていました。「日野さん」の時は背筋を伸ばして運転をし、「私」の時は日野さんのあの澄み切った瞳を見ていました。朗読会での日野さんの話は素晴らしいものでした。鵜飼のことは、私も知っている気がしてなりません。私が18年間過ごした神戸で今も暮らしているあの4人については、もう少し一緒に過ごしてから話したいと思います。
山の上に越してきて3年目にして初めて地元の映画館に行きました。1996年出来たこの映画館が、和歌山県下で現存する最も古い映画館だそうです。出来て間もないころ友人と『マディソン郡の橋』を観に行った思い出があります。「どこでもドア」がしっくりくる配色の内装が可愛い。