翠子

2018年 冬

「これはどこにも記されていない話なんですが、あるそのようなものが『見える人』に見てもらったところ、実はこの神社には隕石が…。」

正月が近づくと思い出すことがある。
年越しのいつもの儀式が終わった午前1時くらいだっただろうか。
寒さで痛みを覚え始めたつま先、震えることもできなくなった身体で、宮司さんの小刻みに勢いよく出る白い息の中、「見える人」と隕石の話を聞いた。

明るい夜だった。皆の輪郭が異様にくっきりとして見える。山が今夜だけ特別に高くなっているのではないかと思うくらい月が近く、影はもはや別の生き物である。
どんな結末だったのかは覚えていない。帰って布団に入ってからもしばらく寝付けず、宮司さんの声が頭から離れなかった。「畏みー」と聞こえる度に、外では月が大きくなっていっているような気がした。

大晦日の夜は、家の前をがやがやと人が通る気配がし、鐘が鳴り始めたら家を出る。50歩歩けば、そこは寺。

誰が来ているのだろう、ぐるりと見ながら、火に当たる。
2、30人しかいないので鐘は撞き放題、てんでにお酒を飲んだり菓子を食べたりしつつ、好きな時に除夜の鐘を撞いている。

顔を知る人が鳴らす鐘の音は、それぞれのらしさが出ていて面白く、思いの外力強かったときなどは「ほほう」と歓声が上がる。

最後の鐘はもちろん和尚。
和尚の鐘の音は、まさに明鏡止水。
キヌヨさんが、「ああ、心に響くわ」と言った。

合掌し「ありがとうございました」やら「おめでとうございます」と言い合っているうちにさっさと火が消され、あっという間にお寺は真っ暗になる。和尚の姿もない。


そのあとはそのまま数人でぞろぞろと歩いて、500メートル程先にある神社へ行き初詣を済ませたら、正月おしまい。

それにしてもおかしい。雪が積もらない。
ゆっくりと腰を据える時間がなく、心もなんだかずっとざわざわしていた。
蝋梅の花が落ち、花桃の花が満開になっても、雪化粧をしてもらえるのは向かいの山ばかりだった。
特別な贈り物としか思えない、あの雪だけが持つ静けさが欲しかった。

陽が沈むのを待ち、頭っから毛布を被り丸まる。

画面には、ススキ野原を背に映る赤い服を着た少女。

『大阪物語』を、多少の苦労もどんと来い、面白可笑しなネタにして、カランと逞しく生きる大阪の家族の物語で、
大笑いしながらこちらもカランとした気持ちで観られると思っていた私は、
始まった瞬間、膝を抱え小さくなる。


少女の名前は、
「冬の寒い日のあの霜に、夜の月、ほんでー、若い菜っ葉で霜月若菜、14歳」。

両親はけして売れているとはいえない夫婦漫才師。
若菜とのその夫婦漫才師の真似事をしているのが弟である。

子供の頃、友達の家に遊びに行くのが好きだった。
リンスは薄めて容器に入れる、洗濯物は畳まない、朝食の食パンは新聞の折り込み広告の上に載せて食べる…。
日常にある人んちだけのあたり前、を発見してはこっそりと心に書き記したものだった。

霜月家にとってのあたり前は、「あほなお父ちゃん」のせいでおかしなことになる。
愛人を腹ませてしまったのである。

身勝手な裏切りには怒りや悲しみが付き物で、子供にとってはあまりにも最悪の状況のはずなのに、
すき焼きを囲み、別れ話をしながらも愉しげに未来を描いている。

みっともないところも包み隠さず丸裸にして生きるお父ちゃんとお母ちゃん。
人間てそういうもんやと子供にも見せる。
そこには妬みとか恨みはない。
誰のせいにもしないところがよい。

お父ちゃんとお母ちゃんは別れても漫才を続け、「カップル」というスナックまで始める。
愛人もお父ちゃんとの子供を抱いて一緒にいる。

やってきたり、いなくなったり。
好きに生きているようでいて、人と繋がらないと生きていけない。
女の人は、それを感情ではなく本能として知っている。

物語の終盤、やっと画面の中に光が差し、緑が映る。
お母ちゃんは、お父ちゃんが帰ってくることくらいわかってたんや。

「あほや」は愛。

毛布を被ったまんま台所に行ってココアを入れ、ストーブを付けて、
もう一度始めから観る。
今度は霜月家のあたり前に触れる度、さりげない言葉一つひとつに、力が入り鼻をすすった。

生きていると「頼みもせんのに」ようわからんことが起きる。
けれど、起きたもんはしゃあないと受け止めて進むしかない。

どん底に落ちるようなことが起きても、
そのどん底に座り、その辺で拾ってきた提灯をこりゃええわあとぶら下げて、美味しそうにご飯を食べるような霜月家みたいに。

「頼みもせんのに」、かあ。

ふと、母に会いたくなった。
会って、ぎちぎちにくっ付いて喋りたい。

文と写真

翠子

植物学の日生まれ
和歌山県田辺市在住

冬の映画

『大阪物語』

市川準監督
1999年/日本