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Do The Right Thing
2018年のカンヌ映画祭における個人的な関心事は、スパイク・リーが19年振りに長編を引っ提げてカンヌへ帰ってきたことだった。だから是枝裕和監督の『万引き家族』がパルムドールを獲得したことは嬉しいニュースだったけれど(何を評価されたのか報じる国内メディアがほとんど見当たらないのは気のせいだろうか)、残念な気持ちがまったくないと言ったら嘘になる。でもパルムドールではない、というところがスパイク・リーらしいというような気もする。コンペティションで上映されたスパイク・リーの新作『BlacKkKlansman』は70年代に実際に起きた出来事をモチーフにしていた。19年前に物議を醸した『Summer of Sam』もそうだったし、出世作である『Do The Right Thing』もまた然り。
1986年12月、ニューヨークのクイーンズ地区、ハワードビーチのピザ屋に立ち寄ったアフリカ系の若者3人が、イタリア系の若者から「ここはお前たちの来るところじゃない」と難くせをつけられバットによる暴行を受けた。襲われた黒人のひとりは逃げ出す際に車道に飛び出し、車に轢かれて死亡した。ハワードビーチは事件当時、イタリア系の住民が9割以上を占めるエリアだった。この事件を元にして、ブルックリンのベッドフォード・スタイヴェサント地区(マンハッタンのハーレムと並ぶアフリカ系アメリカ人文化の中心地)に、イタリア系の親子がピザ屋を営むという『Do The Right Thing』の舞台が作られた。
『Do The Right Thing』は正直なところ後味の良い映画ではまったくない。人種差別が何を生むのか、そしてレイシズムの種は誰もが潜在的に持っていて、誰の中にでも芽を出す可能性があるのだ、ということをつきつけられるからだ。それでも繰り返し観てしまうのは、スパイク・リーが描いたブルックリンという街の風景に、ある種の憧憬のようなものを覚えてしまうからなのだろう。
印象的なのは住人たちがストゥープでおしゃべりに興じている風景だ。時には通りかかった誰かが足を止めておしゃべりに加わったりもする。そして子どもたちは街路に遊び、窓から通りを眺める人がいて、ローカルラジオからは一日中ソウル・ミュージックが流れている。些細な小競り合いはあるけれど、通りには屈託のない笑顔と笑い声が溢れている。『Do The Right Thing』のほとんどのシーンは街路で撮影されている。そしてそこに映し出されているのは、街路がそこに暮らす人々にとってコミュニケーションの場として機能しているということの証左でもある。
かつて街路が都市においていかに重要な機能を果たしているかということを唱えた女性がいた。彼女の名前はジェイン・ジェイコブズ。学者でも研究者でもない市井の人であるけれど、高速道路の性急な建設や再開発への反対運動ではしばしば先頭に立った。そのことによって後に逮捕されたこともある。最もよく知られているのはローワーマンハッタン高速道路の建設を中止させたことだろう。
彼女が著した『アメリカ 大都市の死と生』は今では都市開発における古典になっている。ジェイコブズがその著書を執筆していた60年代初頭のニューヨークはロバート・モーゼスの主導のもと、スラムの浄化を目的とした再開発が活発に行われていた。その方法はブルドーザー式とも呼ばれたとおり、古い街区を破壊しては更地にし、新たに建設したプロジェクト(集合住宅)に低所得者層(その多くは有色人種)を押し込むというものであり、また次々と高速道路を建設するという自動車中心の都市開設であった。
設備の整った新しい高層の建物とそこに併設された見栄えの良い公園や、大量輸送を可能にする高速道路は暮らしを豊かにしてくれるものだと信じられていた。しかし実際には全く反対の結果をもたらし、街をさらに荒廃させてしまうことが少なくなかった。それはなぜか。ジェイコブズはその著書で都市開発が人々から街路を奪ったことに荒廃の原因があるのだと説いた。
街路があることで様々な目的を持った人々が行き来をし、それらの人々の目が無自覚なままお互いにストリート・ウォッチャーとして街路の治安を見守ることができる、それこそが都市の本質であると。その視点に立てば歩行者を無視した交通量の多い高速道路などは地区の分断をもたらすものでしかない。その意味でサウス・ブロンクスをニューヨークで最も危険なスラムへと変貌させてしまったクロス・ブロンクス・エクスプレスウェイは、ニューヨーク開発史上最大の失敗のひとつだと言える(しかしその結果、今や日本の小学生ですら授業でそのリズムに合わせて踊り、アメリカではロックよりも広く聴かれているヒップホップというカルチャーを生む土壌にもなったのだから心情的には複雑だ)。何よりそれはストゥープを奪う行為でもある。
ニューヨークを訪れたとき、いちばんにしてみたかったことはストゥープに座って通りを眺めることだった。どこからどう見ても異邦人に違いないぼくに向かって、住人たちは近所の顔見知りに挨拶をするのと同じように声をかけてくれた。「ハーイ」「元気?」「今日も暑いね!」そんななんでもない言葉に、束の間、ニューヨークの住人にでもなったかのような気分を味わった。そして、こんなに気持ちの良い人たちが暮らす国でどうして差別がなくならないでいるのだろう、という疑問を持ち帰った。その答えは今もって見つからないし、世界では様々な種類の差別がますます顕在化してきてもいる。それはここ日本でもまた然り。
そして話は『Do The Right Thing』に戻り、ローカルラジオ局「We Love Radio」のDJ、ミスター・セニョール・ラブ・ダディ(サミュエル・L・ジャクソン)がマイクに向かって叫ぶ。
「Waaaaaaaaaake Uuuuuuuuuuup !!!!!」
Movie info
Do The Right Thing
1989 / スパイク・リー監督
Book info
アメリカ 大都市の死と生
2010 / ジェイン・ジェイコブズ著 山形浩生訳
*1969年に黒川紀章氏によって翻訳された版
(現在はSD叢書に所収)は途中までしか訳されて
いないため新版がおすすめです。
山形浩生氏による解説も読み応え抜群。