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お早よう、世の中

ある日〈神保町シアター〉で小津安二郎の『お早よう』を観た。作品そのものは繰り返し観てはいるものの、映画館で小津の作品を観るというのは初めてのことで、スクリーンに映るすべてを見逃してなるものかと気が張っていたかもしれない。しかし映画が始まると劇場内はすぐ笑い声に包まれ、気負って観ているのがバカバカしくなってしまった。座席の8割ほどを埋め尽くしている、おそらく古希はとうに過ぎているだろうオールドファンたちが実に自由によく笑うものだから。そう、こんなふうに笑って観ればいいのだよ、と。

『お早よう』はカラーでは2作目となる小津安二郎のコメディ映画。色が着いても小津調は揺るぎなく、アクセントとしてなんらかの形でフレームに収められたという赤が画面を引き締めている。製作は1959年、舞台は平屋建てが軒を連ねる新興住宅地。玄関から、お勝手から、ご近所さんはまだしも押し売りまでもが勝手に上がりこんでくる。そもそも鍵なんてかけていない、そんな時代のいくつかの家族の風景。

平屋建てが軒を連ねる風景は『お早よう』が制作された当時、珍しいものではなかっただろう。それからずいぶん後に生まれたぼくも育ったのは似たような環境だったから、隣の家に自由に上がり込んだり窓越しに声を掛け合ったりした記憶がある。それは文字通り拡大家族のような暮らしで、だからか『お早よう』の中でいちばん印象的だったのは、隣り合う2軒のそれぞれの勝手口を開け放ち、一方の台所からもう一方の台所を映すショットだった。2軒の家が繋がって、1軒のひとつの家のように見えたのだ。これが「劇中で平屋に暮らす人々はひとつの大きな家族である」ということのメタファーだとしたら、だからこそ平屋に住む節子が想いを寄せる翻訳家は、別のマンションに住まわせる必要があったのかもしれない。

建築家、吉阪隆正の『ある住居』が出版されたのは『お早よう』が公開された翌年、1960年のこと。吉阪はまず住居とは何か、というところから語り始める。そしてこれまでと現在(当時)の住居の変化について述べ、その課題に目を向けた後で自らの体験を告白する。1917年生まれの吉阪は2度、東京がリセットされてしまうような経験をした。1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲だ。人々が失った過去の記憶を取り戻そうとするなかで、吉阪はこれから訪れる未来で新しい思い出を作るという建設的な活動が必要だと説き、焼けあとに立って将来の姿を夢見て胸を膨らませた。それこそが吉阪の考える「希望」だった。

吉阪は住宅に困っていた友人たちのために自宅の土地にバラックをいくつか建てた。吉阪の土地に対する考え方は少し変わっている。それはアフリカのキクユ族の土地占有のあり様に似ているという。必要な人が必要なときに使い、使われなくなったら誰でもそこが使えるという方式だ。もちろん東京ではそんなことは不可能であることを吉阪自身もわかっている。だから「人工の土地」を作ろうとした。

人間の考える通りに、人間の要求に従って、人間の寸法に適合して作られる土地。それは平らに並べるだけでなく、高層に重ねることだってできる。それを吉阪は自邸で実行した。コンクリートで4本の柱を建て、3層の床を、「人工の土地」を作った。まだ壁もなく部屋にもなっていないその時点で、金融公庫からの借入金が底を突いたために完成はその1年後のことになってしまったけれど。そしてバラックが取り払われた土地は再び万人のものになり、そこでは町の子供たちが自由に遊び、緑の木立が土地を取り囲んだ。

この薄くて小振りな本を手にしたときは、ル・コルビュジエの『小さい家』へのオマージュなのだろうと思った。吉阪は前川國男や坂倉準三とならび、コルビュジエに師事した日本人の弟子のひとりであったから。しかしこの本で語られているのは、皆が調和のとれた本当に美しく楽しい生活を営めるようにするにはどうしたらよいかということだった。それは平易で簡潔な言葉で綴られているからか建築家のロマンティシズムを包み隠すことなく、詩を読んでいるかのような味わいがあった。

『お早よう』で描かれているのは経済白書の副題に「もはや戦後ではない」と記されてから約5年後の日常。平屋に暮らす奥さんたちは他愛もない噂話に余念がない。「奥さん、ちょっと」なんて声をひそめられると何やら不穏な気配を感じさせられたりもするのだけれど、驚くような事件が起こるわけではない。誰もがみんなちょっとずつ退屈しているのかもしれない。まるでそれこそが平和の象徴であるとでもいうかのように。

しかし子どもたちにとってその退屈さは耐え難いもの。それを紛らわせてくれるのはお隣さんが持っているテレビで観る相撲中継だったりする。テレビを観に行くことを母親に咎められた中学生の兄と小学生の弟はだったらテレビを買ってくれと駄々をこねる。それを父親に「余計なことを言うんじゃない」と頭ごなしに叱られ、「大人だって余計なことを言うじゃないか」と言い返して兄弟はだんまりを決め込むことにする。そのささやかなストライキに大人たちは振り回されるのだけれど、どこかそれを楽しんでいるふうでもある。子どもには余計なことに聞こえるかもしれない「お早よう、いいお天気ですね」「そうですね」という挨拶にも、大人は言葉以上の気持ちを込められるし、受け取れるのだから。

変わり映えのしない日常をそのまま当然のものとして描いた小津安二郎。特別なものは何もないかもしれないけれど、それは少しも憂うようなことではないのだと、淡々とユーモアを積み重ねることで教えてくれる。おならひとつでけっこう笑えるものだろう、と。そしてこれこそ吉阪隆正が焼けあとで夢見た、美しくて楽しい生活なのではないだろうか。

Movie info

お早よう

1959年/小津安二郎監督

Book info

ある住居

1960年/吉阪隆正

Text

小栗誠史

古書店勤務