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ぼくのユリイカ

1974年8月7日、ひとりの男がニューヨーク、マンハッタンにあったワールドトレードセンターの、ツインタワーの間にワイヤーを渡して綱渡りを行なった。その男のしたことを文章にすればただそれだけのことなのだけれど、それは「空をくすぐる」ような高さ、つまり地上から411メートルの上空で行われたのだということ。階数にして110階、エッフェル塔より100メートルも遥か上空での行為である。そんなところで綱渡りをするということを思いついただけでも常軌を逸している。実行直前に完成間近のタワーを地上から見上げたとき、彼は「どう考えても不可能だ!」と思った。しかし次の瞬間には「よし、やろう!」と思っていたというのだからやはりどうかしている。

男の名前はフィリップ・プティ、1949年生まれのフランスの大道芸人だ。プティと彼の仲間たちのその常軌を逸した行為は、再現ドラマと当時の16mm映像を織り交ぜながらインタビューを挟んで再構成され、『マン・オン・ワイヤー』というタイトルで2008年にイギリスでドキュメンタリー映画化された。プティは仲間たちと長い時間をかけて綿密に計画を練り、ときに裏切られたりもしながらついに綱渡りを成功させた。地上から411メートルの高さに45分間留まり、ツインタワーの間に渡された約40メートルのワイヤーを8往復し、さらには仰向けに寝そべってすらみせた。

綱渡りを終えたプティを待ち構えていた記者たちは一様にその理由を訊きたがった。その問いに対するプティの答えは「壮大で謎めいた出来事に理由を問うとはいかにも米国的、短絡的質問だ。理由がないから素晴らしいのに」というものだった。しかしもしその場に居合わせたとしたら「ホワイ? ムッシュー・プティ!」と声を張り上げずにいられただろうか。

フィリップ・プティが空をくすぐるような高さで綱渡りをしたその前年、廃屋になったサウス・ブロンクスのアパートに許可なく侵入し、床や壁を四角く切り取った男がいた。これだけを聞くと反社会的であるとか、破壊行為なのだと思えるかもしれないけれど、遺棄された建物に新たな価値を与える行為であるとか、ジェントリフィケーションに対する抵抗でありコミュニティの解放なのだと解説をされたらどうだろうか。35歳で夭逝したアメリカのアーティスト、ゴードン・マッタ=クラークの作品《ブロンクス・フロアーズ》であると。

建築を志していたゴードン・マッタ=クラークは、1969年にコーネル大学で開催された「アース・アート」展に参加した。そこでその主催者であり美術雑誌『アヴァランチ』を出版していたウィロビー・シャープとの出会いを契機に、ニューヨークの芸術家コミュニティに接近していった。また、オスマンの「パリ改造」にも準えられる、ロバート・モーゼスによって主導されていたニューヨークの都市改造に疑問を持っていた。

マッタ=クラークが忍び込んだアパートのような廃屋がブロンクスで増加した大きな要因のひとつは、モーゼスによるクロス・ブロンクス・エクスプレスウェイの建設にあった。コミュニティを破壊し、サウス・ブロンクスをニューヨークで最も危険なスラムへと変貌させたそれは、ニューヨーク開発史上最大の失敗のひとつだと言われている。そのことについてマッタ=クラークは「市は彼らが本当は望んでいる工業団地へと再開発できるくらいまでに社会的物理的状況が悪化するよう、ただ待っているのです」と述べている。

2018年の夏、ゴードン・マッタ=クラークのアジアで初めてとなる大規模な回顧展が〈東京国立近代美術館〉で行われた。展示を観る前にインターネットで見つけていた論文「ゴードン・マッタ=クラーク作品における料理の意味」を読み返したときのこと。そこに《ブロンクス・フロアーズ》について語るジェイン・ジェイコブズの言葉を見つけた。

「マッタ=クラークは空間を開き、それまでなかった視界や通路を作ってアクセスを可能にしようとした。開放の感覚は、建築に浸透する光によって強められ、建築を彫刻にしたのである」という言及は、モーゼスの開発に異を唱えて30年以上にわたる戦いを続け、街路に都市の多様性を求めたジェイコブズらしいものだった。そしてマッタ=クラークの「産業は、郊外と都市に無数の箱を濫造することによって、受動的で孤独な消費者を確保しようとしている」という言葉を読むと、両者の都市を見つめる眼差しには共通するところがあったのだということがわかり興味深い。それにしても、どうして論文を最初に読んだときには気がつくことができなかったのだろう。

共通するといえばもうひとつ。ある日、映画と同じタイトルを持つフィリップ・プティの著書を読みながら閃いた。プティの綱渡りとマッタ=クラークの作品のひとつである《ツリー・ダンス》はどこか似ていやしないだろうかと。

1971年の5月祭りの日、マッタ=クラークは大木の枝に縄梯子やブランコ、それからハンモックのような布を張り、樹上で中空に手足を伸ばしたり布に包まれながら宙に揺れるというパフォーマンスを行った。それは新しい住空間を示唆したものだといわれている。マッタ=クラークの作品の多くはその意図するところが謎めいていたりするのだけれどこの《ツリー・ダンス》は特にその謎が深いように思え、そもそも理由なんてなかったのではないかとさえ勘ぐってしまう。ただ湧き上がってくる衝動に従って決行した、フィリップ・プティの綱渡りのように。

我ながら的外れなことを言うものだと思う。しかしその一方で悪くない思いつきだなどと肯定もしている。いささか図々しいのかもしれないけれど、ページをめくるのを楽しくするのは大体においてこんなデタラメなのだ。もっとも、イリーガルな行為を芸術にしてしまったという点でふたりは共通している。その結果プティはワールドトレードセンターから展望台への永久無料入場証を与えられ、マッタ=クラークは美術館などから切断するための建物を提供されるようになった。プティの親友であり綱渡りを実行した際の仲間でもあるジャン・フランソワは「確かに犯罪だ。でも卑劣じゃないし、むしろ夢を与えてくれる」と語っている。

ゴードン・マッタ=クラーク展はその展示方法において賛否が分かれていたようだけれど、いくつかの作品の制作過程を映像で見ることができた。ある映像の中に登場した人物は「マッタ=クラークの作品は結果としての作品と同じくらい、その完成に至る過程が重要だ」というようなことを言っていた。郊外に建つ2階建ての家をまっぷたつにした作品《スプリッティング》のブースで、まだ小学校にも上がっていないくらいの小さな兄妹が映像に釘付けになっているのを見かけた。ふたりはマッタ=クラークからいったいどんなバトンを受け取ったのだろうか。

開場とほぼ同時に展示を観始め、外に出たときには15時になろうとしていただろうか。買ったばかりの図録を開くと、奥付に記載されていた企画構成者の中に平野千枝子という名前を見つけた。インターネットで見つけて読んだ、論文の著者その人だった。まったく、肝心なことほどいつも最後になって気づくのだ。この夏、マッタ=クラーク展には合計3度足を運び、3度目は最終日の前日だった。会期が始まった頃には新品同様だった展示会場内の図録は、見事なまでにボロボロになっていた。

Movie info

マン・オン・ワイヤー

2008 / ジェームズ・マーシュ監督

Book info

ゴードン・マッタ=クラーク展 図録

2018 / 東京国立近代美術館 編

Text

小栗誠史

古書店勤務