映画ポスター モダン都市風景の誕生

散歩がてら観た展示。湯島界隈、アーツ千代田3331にて。映画資料収集家・御園京平氏のコレクションが旧蔵していた「みそのコレクション」より、1910年〜30年代の映画ポスターを展示する「映画ポスター モダン都市風景の誕生」の展示へ。
https://www.nfaj.go.jp/exhibition/chiyoda2018/#section1-1
現在のように映画情報に気軽にアクセスできるわけではなかっただろう当時の映画ポスターは、そのものが貴重なメディアであって、俳優や監督の豪華さ、製作費の贅沢さをこれでもかとすみずみまでアピールする情報量の多さで、展示数は多くはないながら、1枚じっくり眺めるだけで未見の映画への期待値がむくむく高まる。会場に流れていた現存しない古い映画館の荘厳な宮殿のような内装。清水宏『家庭日記』でこの時代の映画館が映る場面があって、内装に見惚れたことを思い出した。
映画ポスターはカラフルだけれど、映画自体はモノクロだから、ポスターに使われる様々な色は、資料に基づいて描かれたのか、デザイナーや画家の想像した色なのか、ということを、あまり事実に迫らずにぼんやり妄想するのが好き。モノクロ映画の愉しみのひとつは、塗り絵しながら鑑賞できることで、あの素敵なドレスは何色なんだろう…口紅の色は…と、自分好みに着色。例えばルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』でキャロル・ロンバードが着る裾にファーがあしらわれた印象的なドレスは、私の中ではシルバーグレーかアイスブルーと決めつけて観ているけれど、当時の映画ポスター画像を見ると、赤〜オレンジで描かれていることが多く、思てたんとちゃう!と心がざわつく。というのも、ただ私が寒色好きで、好きな映画は好きな色に溢れていてほしいという勝手な願望によるものだけれど。
そんな情報量の多いポスター群の中で、ひときわモダーンだったのは清水宏『彼と彼女と少年達』のシンプルでグラフィカルなポスター。新人・上原謙と書かれているのにも驚く。1935年の映画だから初々しい上原謙なのだろうけれど、誰にでも新人と呼ばれる時代があったのだな。
テアトル新宿

東京での映画初めはテアトル新宿の2018邦画大忘年会という上映会で。昨年公開された濱口竜介監督『寝ても覚めても』を。上映後に監督と主演の東出昌大さんが登壇されて長めのトークがあった。
映画は3度目の鑑賞。あまりうまく感想をまとめられていないので追って書くとして、この日のトークについて。監督からも東出くんからも、七草粥も食べないうちからありがとうございます。新年あけましておめでとうございます。と客席に言っていただいたので、今年は良い年になる気がします(単純)。
映画の解釈を監督に問いかける質問(あの場面、私はこういう意味だと思ったのですが、合ってますか?…といった内容)に、監督は解釈は観た人の数だけあるので正解も不正解もない、という答えだったけれど、それを聞いた東出さんが「監督は絶対にあれはそういう意味なんですよ、と解釈を言わない人なんです。俳優陣も自分が出演していない場面について質問したりしたけれど、教えてくれないんです。例えば…」と、質問した人ががっかりしないよう華麗なフォローをされていた。七草粥も食べぬうちに、好青年of the year 2019、もう決定か。
東出さんは質問への受け答えも当意即妙で、豊かな語彙の海にざぶんと飛び込み、最適の表現を拾って答えられる、きっと読書家なのだろう、話した内容を文字起こしするだけでそのまま記事になりそうな、日本語文法も完璧の印象の人なのだけれど、徐々に、まるで台詞を暗記してその場にいるみたい、「主演映画のQ&Aに登壇し答える東出昌大」の役を演じているみたい、そんなはずないのに、という不気味な気持ちが増してくる人でもあって、まったく、『寝ても覚めても』の麦/亮平の二役をどちらも演じられるのは、きっとこの人だけだっただろう、と思った。
昨日テアトル新宿 @theatreshinjuku で行われた『#寝ても覚めても』#濱口竜介 監督& #東出昌大 さんのティーチインイベントの様子です。新年早々100名以上の方にご覧いただき、昨日は満席立ち見!初めての方ももう何度もご覧下さった方も2人にたくさんの質問を頂きました!寝ても覚めても感謝✨ pic.twitter.com/3yRUWPz0w3
— 映画『寝ても覚めても』 (@netesame_movie) 2019年1月7日
この日は三つ揃えのスーツを着ていらして、写真では写っていないけれど、ジャケットの裏地が凝っていた。衣装なのか自前なのか不明だけれど、どこのブランドだったのかな。
映画の裏話で面白かったのは、原作では登場人物たちの周囲にあるテレビの画面に何が映されているかが描写されており、例えば同時多発テロのニュースなど、が登場人物の生きる時代をあらわす道具として有効に使われていたけれど、映画撮影においてテレビ画面を表現するとなると、映される番組そのものを作る必要があり製作上大がかりになってしまう。そのため、映画ではラジオ音声にその役割を担わせている。ラジオ音声は『ハッピーアワー』に出演している男性の音声(関西で番組を持っているパーソナリティの人…と言っていたような…うろ覚え)、『ハッピーアワー』と『 寝ても覚めても』どちらにも出ている唯一のキャスト、とのこと。以上、メモ。
Studio Galande

昨日更新したCINEMATIC,COSMETIC第1回、ayaさんがネイルを塗って観に行った映画は『メッセージ』。大好きな映画なので原稿をいただいた時は嬉しかったです。私は平日の夜、仕事の後にTOHOシネマズ日本橋で鑑賞。大きめのスクリーンいっぱいに「彼ら」が何かを伝えんとする表語文字が墨絵のようにじわっと広がるのを、満席の観客みんなで固唾を呑んで見守っていた。観終わって外に出ると、日本橋のビル街の風景も、少し違って見えました。
そんな『メッセージ』、また観たいなぁ…と、あれから何度も何度も思い出しているけれど、家で観るのもちょっと違うな、と。いつか再上映の機会を待っている。東京にはたくさん映画館があるのだから、いろいろ事情はありましょうが、毎週金曜の夜にしぶとく『メッセージ』をかけ続けることが名物の映画館がひとつぐらいあってもいいんじゃないかしら。10年経っても20年経っても、ひたすら『メッセージ』がかかっていて、あの映画をその映画館で観ることそのものが映画好きの憧れになるような。
思い出すのは、パリのStudio Galandeという、ノートルダム近くの路地にある小さな映画館。なんと1978年からずっと、『ROCKY HORROR PICTURE SHOW(ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショウ)』を定期上映していることで有名。毎週タイムテーブルを教えてくれるメールマガジンに登録し、ずっと解除していないけれど、見るたびに、毎週この映画かかってるな?と不思議に思っていただけで、そんな長い歴史があるとは知らなかった。
http://studiogalande.fr/FR/17/rocky-horror-picture-show-cinema-studio-galande.html
こちらに日本語で詳しく解説されています。
http://www.hitoriparis.com/kanko/galande.html
毎週パリであの映画がかかってると妄想するだけで心が温まる熱いROCKY HORROR PICTURE SHOWファンもいるに違いない。こんな感じで『メーセージ』をかけ続けてくれるなら、ばかうけ似の宇宙船のコスプレでもして馳せ参じたい。

ずいぶん前の夜、Studio Galandeで私が観たのは、偶然かかっていた石井聰亙(現在は石井岳龍)監督の『ユメノ銀河』だった。パリで観るモノクロの妖しい日本の風景、得難い経験だったな。
真っ赤な星

テアトル新宿で。『真っ赤な星』は11月、完成披露上映会で鑑賞。この映画は、タイトルが決まる前からずいぶん長く存在を知って楽しみにしていた。
井樫彩監督の名前は、なら国際映画祭で偶然観た『溶ける』で知った。靴を脱いで上がってパイプ椅子に座るような公民館スタイルの上映で観たのだけれど、『溶ける』に圧倒され、これ撮ったのってどんな人なんだろう?って思っていたら、恥ずかしそうに監督が登場し、しかしニコニコしているだけで映画についても自分についてもほとんど何も喋らず、何も喋らなかったことで、ますます興味が沸いた。最終日、授賞式で『溶ける』は賞を獲ったけれど、やっぱり監督はほとんど喋らなかった。誰もが自分のことを喋りすぎる21世紀に、興味だけ掻き立てて去って行った人だった。
名前を覚えて、新作は必ず観よう!と心に誓い、その新作が『真っ赤な星』。
耳障りの良い言葉を選べば緑豊かな、選ばなければ何もない、と形容されそうな地方の街に暮らすふたりの女性の物語。今時そんな悲惨な現実はあるのだろうか…と訝しくも、きっとあるのだろうな、と同時に思わせる、周りの誰もが彼女たちに優しくない場所で、八方塞がりの日々を送る。徐々に気が重くなってくる物語だったけれど、辛くなる直前にすっと差し込まれる空や星、見晴らしのいい高台からの景色、朝焼け…彼女たちがいる景色があまりに鮮やかに切り取られていて、地獄のように思える地上も、俯瞰で見れば天国みたいな、綺麗なところだなぁ、と観終わって時間が経過すると、とても美しい映画を観たと思えたから不思議。『溶ける』を観た時にも確か、そんなことを思った。
台詞や音楽に頼らず、沈黙を恐れず、映画という表現と観客をスパッと信じてそうな、肝の据わりっぷり。井樫彩監督、現在22歳。映画を撮った時はもっと若かったはずで、年齢と表現の成熟にどれぐらい相関があるのかはわからないけれど、信じられなくて、監督いくつだっけ?人生何回目よ?ってプロフィールを二度見したくなる感じ。

完成披露だったので上映前に挨拶があり、ふわふわ動く真っ赤な星の風船と戯れて、やっぱり殆ど何も喋らなかった監督は右端の女性です。公開前後、いくつかのwebにインタビューが公開されているのをちらっと見かけたけれど、映画だけを観て、どういう人なんだろうな…?って考えているほうが楽しい気がして、ほとんど読んでいない。
2年前の夏、ある書店であったイベントに参加することになり、映画にまつわるアイテムを出品したところ、ほとんどお買い上げいただき、いくばくかの利益を得ることとなったのですが、そのお金は映画のために使うべきでは?と考え、使わずにキープしていたところ、井樫彩監督が新作を撮る、クラウドファウンディングで支援を募っているとの情報を得て、微々たる金額ながら、参加してみることにしました。
クラウドファウンディングのリターンとして『真っ赤な星』のサイトにも、映画のエンドロールにも、Special ThanksとしてCinema Studio 28 Tokyoの名前を載せていただいています。
東京での公開はもうすぐ終わる?ようですが来年以降、あちこちの街で公開が決まっているようなので、ご興味の方、新しい監督の映画を観てみたいというみなさま、是非に。
数あるクラウドファウンディングの中から、井樫彩監督の映画を選んだのは、『溶ける』を観たのが、なら国際映画祭だったからという理由があると思います。『溶ける』は地方に暮らす女子高生の物語。自分の居る場所がつまらなくて息が詰まって、どこかに行きたくてしょうがない。観終わった後、ぼぅっとして外に出てコーヒーを買い、池のほとりのベンチで飲んで顔を上げると、興福寺の五重塔が見えて、絵葉書そのものの、嘘みたいに整った視界だった。奈良は私の地元で、あの子のように、つまらなくて息が詰まって、どこかに行きたくてしょうがなかったけれど、こんな景色、他にどこにあるのかしら、世界中探したって奈良にしかないのにね、と可笑しな気分になったところで『溶ける』が一気に身体に染みてしまって、だから井樫彩監督は、私にとって特別な監督なのです。
東京フィルメックス/Ash Is Purest White

東京フィルメックスで観た映画について。ジャ・ジャンクー最新作『アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト』。ポスターを写真に撮ったつもりが、撮り忘れていたので、チケット購入時に役立ちそうな有楽町朝日ホールの座席図を。私のベスト座席はG22です(メモ)。
ヤクザな稼業で金を稼いでいるビンと、その愛人チャオ。裏社会に生きる男女の18年間にわたる関係を山西省、長江流域、さらに新疆にまで至る壮大なスケールで描いた作品。これまでのジャ・ジャンクー作品の集大成とも言える傑作。
https://filmex.jp/2018/program/specialscreenings
ジャ・ジャンクー自身の出身である山西や、『長江哀歌』の舞台になった三峡ダムなど、過去作に登場した土地を巡礼し未知なる土地(新疆)に向かってゆく、集大成のような映画。ヒロインはもちろん公私ともにパートナーであるチャオ・タオ、急成長する中国、戸惑いながらも逞しく生き抜く人々、歌謡曲、ジャ・ジャンクー映画を成立させている要素が親切に盛り込まれている。
だからということか、どの場面にも展開にも既視感があり、開始20分でジャ・ジャンクー映画にすっかり飽きている自分を発見した。監督の名前を闇雲に信頼して、惰性で映画を選ぶのもよろしくない。フィルモグラフィーを改めて眺めてみれば、時系列に追いかける中で鑑賞後の興奮がピークに達したのは『長江哀歌』で、その次の『四川のうた』では巧みさがやや鼻につきはじめていたように思う。
中国という国とノスタルジアは私にとっても不可分だけれど、あっという間に驚異の近代化を遂げてしまった現在の中国を撮った映画で気持ちよく呆気にとられたい。去年のフィルメックスで観た『とんぼの眼』のような。もっと見知らぬ監督の映画を観てみよう、と心に誓ったのであった…。
https://filmex.jp/2017/program/competition/fc06
TIFF2018/三人の夫

東京国際映画祭で観た映画メモ。コンペからフルーツ・チャン(陳果)監督『三人の夫』。映画祭で観る映画は事前情報が少ないので、短い作品紹介文と小さな写真で判断するけれど、この映画は写真の女優の表情が気になって、監督名を確認するとフルーツ・チャンだったので、!!!とチケットを予約した。

しかし写真しか見ていなかったので、あらすじを把握していなくて…。始まる直前に、どういう話だっけ?と確認し、どうやら濃厚そう…と身構えていたら、どうやらどころか非常に濃厚だった。ただ座って観ただけでどっぷりエネルギー消費し、つまらないわけではないのに101分がずいぶん長く感じられた。
https://2018.tiff-jp.net/ja/lineup/film/31CMP14
ムイは常人離れした性欲に苦しんでいる。 父親はムイを年老いた漁師に嫁がせ、ふたりの男は彼女に客を取らせて金を稼ぎ、一石二鳥を得る。彼女と驚くようなセックスを体験した青年がすっかり恋してしまい、やがて3人目の“夫”となる。しかし彼だけではムイを満足させることは出来ず、結局、客を取らせ続けることになるが…。
映画の70%は裸で喘ぎ声なので、誰にでも薦められやしないし、好き嫌いも分かれそう。日本で公開されたとして成人指定で、ひっそり単館の特集でかかるのだろうな。フルーツ・チャンも「これはヒットするような映画ではないから、予算をかけずに短期間で撮った」と潔く言い放っていた。
タイトルどおり三人の夫が登場し、三人ともどこかが欠落した存在で、フルーツ・チャンの他の映画同様、景色も匂いも街がごろっと映っているから、三人はそれぞれ香港という街を巡る何某のメタファーと深読みできなくもないけれど、そんなことに思考が至る以前に、映像の刺激が強すぎて、ただ眺めているだけでワクワクした。
何よりも、ムイという女性。舟に暮らし客をとるムイは神話に登場する水生動物のようなルックスで、遠くから眺めるとつるりと滑らかそうに見えるのに、近づくと肌がごつごつ硬いことに気づくような、イルカやトドのような肌の質感を持つ女。あまりに体当たりの、潔い脱ぎっぷりに、クロエ・マーヤンという女優のことはよく知らないけれど、ポルノが本職なのかしら、と思ったほど。ドテッとした身体をつくるために体重をぐっと増やして撮影に臨んだらしい。自らをそんな身体に変化させ、脱ぎっぷりが良いというだけではなく、身体のあんな場所やこんな場所まであけっぴろげにカメラの前で開いてみせる。女優の魅力と脱ぎっぷりの良さは比例しないと思うけれど、この映画のクロエ・マーヤンは、もうなんだんかそんな肝の据わり方をまざまざと見せていただいてありがとうありがとうと、裸体に向かって拝みたくなる人だった。
クロエ・マーヤンについてしか書いていないけれど、私にとってはクロエ・マーヤン1000%の映画なのだった。
観終わると、フルーツ・チャンを囲んでのトークセッションが1時間もあった。

右端がフルーツ・チャン監督。中央がクロエ・マーヤン。体重を18kgも増やして戻したそうで、どうやって戻したんですか!って会場にいた人々は聞きたかったであろう。映画の中ではほぼセリフがなく喘ぎ、呻くだけだったので、ティーチインでようやくクロエ・マーヤンが話す姿を観ることができた。挨拶でいきなり京劇の一節を歌ってくれてサービス精神満点。いろんな深読みが語られるのを制するように、フルーツ・チャンが、これはシンプルな映画なんだ!種明かしをするのではなく、ただ観てくれればいいんだよ!と話したのが印象的だった。Don’t think, feeeeeeel!!!

撮影方法についての質問から話が流れ、監督自身のエピソードとして「若い監督に、映画を撮ったから観てくれと頼まれたから観たことがある。意見や感想を求められたけど、映画というのは監督がこうしたいと思って撮った、そして出来上がった、それだけなんだよ」と、きっぱり語ったのが清々しく、なにしろ『三人の夫』を観た直後だっただけに印象に残っている。
それから、フルーツ・チャンは質問に最初は北京語で答えようとするけれど、途中で「やばい!俺、こんな複雑な話できるほど北京語、上手じゃないわ」ってアチャー!の表情を浮かべた後に広東語に切り替える、というのを、いちいち繰り返していたのがキュートだった。
TIFF2018/愛がなんだ

ぼやぼやしているうちに、次の週末にはフィルメックスが始まる。またたくさんの映画を観る前に東京国際映画祭で観た映画について簡単にメモ。
コンペティションで観た今泉力哉監督『愛がなんだ』。監督、主演の岸井ゆきのさん、若葉竜也さんの舞台挨拶、上映後に監督のティーチインつき。『愛がなんだ』を観た後、岸井ゆきのさん(実年齢26歳)についてぼんやり考えていたら、朝ドラ『まんぷく』でタカちゃん(14歳)役として登場したので、それが仕事と言えばそうなのだけれど、俳優という職業の変幻自在ぶりに妙な感慨が生まれる。
https://2018.tiff-jp.net/ja/lineup/film/31CMP09
『愛がなんだ』は角田光代の同名小説の映画化。
主人公は28歳のOLテルコ。彼女は、想いを寄せているマモルに自分の時間のすべてを捧げてしまう。しかし、マモルはテルコのことが好きではない。完全なる一方通行の恋。 周りが見えなくなるほど、マモルへの想いが膨れ上がっていくテルコ。全力すぎる片思いの末に、テルコが下した思いがけない“決断”とは…。

今泉力哉監督の映画は『サッドティー』を偶然観て以来、気になってなんとなく追いかけているけれど、登場人物が多数登場し、誰もが誰かを好きだけれど、矢印は交わることがなく相関図がいたずらに複雑になってゆく…という物語を撮る人という印象で、ただ成り行きを追うのが楽しかっただけだったのが、『愛がなんだ』は果たしてこれは、これまで通りクスクス笑って観終えただけで良いのか、まさしく「愛がなんだ」の物語なんじゃないか、とぐるぐる考えてしまう。見応えがあった。
テルコの度の過ぎた行動を伴う重度の片思いの物語ではあるけれど、物語が進むうちに相手は別にマモルじゃなくても良いんじゃないか、と見えてくる。あなたじゃなくちゃダメなの、ではなくて、「私、そして愛」について具体的行動を交えながら考察したい時に、目の前にマモルがいて、まるで相手にされないわけではないから、考察が終わらない。テルコ自身が、みずからの愛についての考察の到達点を「片思いが成就して両思いに」なることでも「心と頭だけでなく、肉体関係に移行する」ことでも「関係を結んだ末に、それが終わる」ことにも置いていないから、いつまでも終わらない。関係に決着がつくのをテルコ自身が回避しているようふしもあり、マモルの存在を用いたテルコの愛についての考察が終わるのは、テルコが「気が済んだ、もうじゅうぶん」と判断した時なのでは。と、考えると、献身的なようでいて、ずいぶんエゴイスティックな女である。
そして自分にざぶざぶと愛が向けられている時は、気が大きくなって尊大な態度をとりがちな人物でも、自分が誰かに愛を向ける時は尻尾をぶんぶん振る従順な犬になってしまうという、ありふれた事実がしっかり映っていて興奮した。
テルコ(岸井ゆきの)とマモル(成田凌)の関係を観察するだけで多分に面白いのに、江口のりこが登場してから物語が加速度的に膨らんでゆくさまが見事。初めて観た若葉竜也という俳優さんも素晴らしかった。劇場公開は来年とのことです。
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