Rules 

・2021年に観た映画のうち「最も印象に残っている映画」を1本選び、紹介してください。
 
・⾯⽩かった映画、良かった映画だけではなく「意味不明だったけれど、気がつけばあの映画のことばかり考えていた」「不愉快だったけれど、不思議と引っかかるものがあった」、 もしかすると、そんな映画も「印象に残っている映画」かもしれません。

・2021年に観た映画であれば、新作/旧作を問いません。

・映画館に限らずDVD、Netflix等の配信、⾶⾏機の中やテレビ放映で観た映画も対象です。

・映画タイトル、観た場所、そして2021年に撮った映画にまつわる写真を1枚添付し、説明してください。

Writers

小栗誠史(古書店勤務)
aya(グラフィックデザイナー)
川畑あずさ(グラフィックデザイナー)
維倉みづき(moonbow cinema主宰)
柳下美恵(ピアニスト)
翠子(翠文庫)
辻本マリコ(Cinema Studio 28 Tokyo主宰)

小栗誠史

 
古書店勤務

Mr. Oguri’s Golden Penguin goes to…

アメリカン・ユートピア
2020)

監督:スパイク・リー
観た場所:TOHOシネマズ日本橋/東京/日本

2021年は不思議と音楽に関する、とりわけライブ映像を素材にした映画を多く観た。その映像の多くはコロナ以前に撮影されたもので、観客が手を叩き歓声をあげてミュージシャンを讃えるといった、ほんの1、2年前までは当たり前であった光景が映し出されていた。懐かしい、と言うにはまだまだ長い時間がかかるし、そもそもそんな言葉を口にするのはまっぴらごめんだ。懐かしいという言葉は失ったものに対して言う言葉だから。

デイヴィッド・バーンが2018年に発表した同名アルバムのワールドツアーから派生したステージがスパイク・リーによって映画化された『American Utopia』は、スパイク・リーが手がけたことからもわかるようにブラック・ライブズ・マターをはじめジェンダーや移民問題など様々なメッセージを内包した作品だが、コロナ禍の最中で公開されたことは決して偶然ではなかったのではないかと思えてならない。シールドケーブルから解放され人種も国籍もLGBTも様々なバンドが、踊り、歌い、奏で、裸足のデイヴィッド・バーンが「Road To Nowhere」と歌ったその先にあるのはユートピアではなく、理想とかけ離れてしまった現実の世界だから。

というようなことは本当はどうでもよくて、観ているだけで自然と涙が溢れてきて幸福になれる映画はそう多くはない。そういうのはやっぱり素敵だよ。

脳に、体に、直接語りかけてくるような、裸足のバーン先生による最高のエデュケイションとエンターテインメント。

aya

グラフィックデザイナー

aya’s Golden Penguin goes to…

Swallow/スワロウ
2019)

監督:カーロ・ミラベラ=デイヴィス
観た場所:年初の川崎チネチッタのスクリーンで/神奈川/日本

どんな映画だか分からないまま見た『Swallow/スワロウ』は、ボディ・ホラーやスリラー映画ではなかった。ヘイリー・ベネットさん演じる妻・ハンターは映画序盤、ラファエロやアングルの絵画のように静的に美しく、陽当たりの良い大きなモダンな邸宅もピカピカで趣味がいい。夫もハンターも、目が合えば微笑み合う。

しかし、ハンターが発した言葉は誰にもきちんと受け取られない。彼女自身も、彼女の人生をコントロールしきれていない。

大きな居心地の良い静かな家で、けれど彼女は大切にはされていない。人が人に大切にされる、ということは、お金や空間を与えられるだけで叶うものではない。

ハンターの心身はその状況に違和感を感じ始める。違和感を解消するために、彼女は異物を飲み込む。誰にも褒められない、見つかったら咎められる、体を傷つける異物を飲み込む。

彼女が映画の最後に飲み込むもの。彼女が選択した、彼女のための人生を得るために飲み込むもの。日本ではまだ承認されていない、女性の人生と体のためにあるもの。

フェミニズムは“連帯”という言葉と共に語られることも多いけれど、実際の人生では、連帯する誰かがいなくても、ひとりで進み始めなくてはいけないことがたくさんある。それでも立ち上がること、違和感があれば逃げ出すことが描かれる。歌詞の字幕もついたエンディングテーマを聴いて、すぐに立ち上がれないほど泣いてしまった。

『Swallow/スワロウ』で始まった2021年でしたが、年末にかけて世界中からの濱口竜介監督の話題が多く、2022年も楽しみです。

川畑あずさ

グラフィックデザイナー

Azusa’s Golden Penguin goes to…

映画:フィッシュマンズ
2021)

監督:手嶋悠貴
観た場所:CINE QUINTO/東京/日本

フィッシュマンズと出会ったのは1997年の夏。毎日寝ているとき以外は繰り返しずっと聴き続けたが、聴き飽きるということはなかった。ライブにも行った。フロアにどれだけたくさんの人がいても、音楽の海の中でひとり、ゆらゆらと漂っているような不思議な感覚を行くたびに味わった。できることならずっと漂っていたかったけれど、佐藤さんが亡くなり、その海は干上がってしまった。以来、ライブイベントからは遠ざかるようになってしまった。
だから、フィッシュマンズが映画になるという話を聞いたときもきっと観には行かないのだろうなと思っていた。それでも映画館に足を運んだのは、2021年の夏があまりにも窮屈で、いきぐるしくて。

手嶋悠貴監督があるインタビューで、知れば知るほどフィッシュマンズというバンドがわからなくなったと話していた。正直にそう話す監督によって撮られた映画は、だからか感傷的になることなく、佐藤伸治という人間を客観的にありのままに映し出していた。ライブでも観ることができない音楽の制作風景を観ることもできた。そして、メンバーそれぞれが本気で音楽に向き合う姿を見てようやく思い出すことができた。私はやっぱりフィッシュマンズが大好きなのだ、ということを。

出会いは遅かったけれどギリギリ間に合ってよかった。ファンクラブに入り、1998年は行ける限りのライブに足を運び、本や雑誌を読み漁り、ひたすらフィッシュマンズを追いかけた濃厚な一年でした。

(『Neo Yankees’ Holiday』が行方不明( ; ; ))

維倉みづき

moonbow cinema主宰

Mizuki’s Golden Penguin goes to…

哀愁
(1940)

監督:マーヴィン・ルロイ
観た場所:自宅のDVDプレーヤー

私の祖母は、認知症になってからも好きな映画のタイトルや俳優の名前をスラスラと言える。祖母と一緒にDVDで映画鑑賞をしようと思い立ちリクエストを聞いたら、真っ先にあがったのが『哀愁』(1940年)だった。ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー出演、マーヴィン・ルロイ監督の白黒映画。第一次大戦下のロンドンで空襲の夜に出会った男女の悲恋を描いた作品。介護施設の祖母が暮らす部屋で並んで椅子に座り、ノートパソコンでDVDを再生し始めてしばらくすると、祖母が頻繁に眼鏡をかけ直している。字幕が小さすぎて見えなかったのだ。DVDに日本語吹替はついておらず、仕方なく私が祖母の耳もとで大声でゆっくり字幕を朗読しながらの映画鑑賞となった。祖母はこの鑑賞スタイルを気に入ってくれ、私がお邪魔するたび『哀愁』鑑賞朗読会をして過ごした。2021年、私が祖母の訃報を受け取ったのは、祖母の子であり私の親である人を看取った数ヶ月後、自分の居住地が感染拡大のため都市封鎖となり部屋から一歩も出られない状況でのことだった。一人途方に暮れ、気付けば日本から持参した『哀愁』DVDを繰り返し再生していた。今の私には物語を数時間にわたって受け止め続けるゆとりが失せているけれど、2022年は映画館まで映画に会いに行く気力が戻りますように。

映画『哀愁』DVD(筆者私物)

柳下美恵

ピアニスト

Mie Yanashita’s Golden Penguin goes to…

サマー・オブ・ソウル
(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
2021)

監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
観た場所:ミッドランドスクエアシネマ/愛知/日本

2021年は様々な音楽映画が公開されました。ドキュメンタリーも伝記映画もラジオパーソナリティーのピーター・バラカンさんの音楽映画祭も。亡き母が第二次世界大戦後の荒廃した中で浴びるように音楽を聴いていたことを思い出します。先の見えない不安な世の中には音楽が必要なのですね。

2021年の一本は『サマー・オブ・ソウル』。作品情報の引用も織り交ぜて解説すると…ウッドストックと同じ1969年の夏、160キロ離れた場所で、もう一つの歴史的フェスティバルーハーレム・カルチャラル・フェスティバルーが開催された。30万人以上が参加した一週間のコンサートの模様は撮影されたが、テレビ局に売れず、約50年も地下室に埋もれたままになっていた。才気溢れた若きスティーヴィー・ワンダー、暗殺されたキング牧師に捧げる、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズの、熱唱、ニーナ・シモンの素晴らしいメッセージ。奇跡的に発見された映像…再編集して満を持して公開された。映画は黒人差別へのデモ行進やいくつものハードルを乗り越えて公演を実現させたプロデューサーの舞台での姿なども映し出す。画面に映る全てがエネルギーに満ち溢れ、生きていることを実感、『サマー・オブ・ソウル』のブラックパワーに魅了されました。

砂風呂に入ってみたい父(当時91歳)と鹿児島の指宿温泉を訪れた時のもの。夜中に種子島から打ち上がった人工衛星が星になっていく姿も目に焼き付いています。

翠子

翠文庫

Midoriko’s Golden Penguin goes to…

地上の星たち
2007)

監督:アーミル・カーン
観た場所:自宅、Netflixで/和歌山/日本

おーんおんおん、
おーんおんおん、

全米が泣いたとか、
タイトルからしてええ話でっせ〜感、醸し出してるんは、
けったくそ悪い言うとったんちゃうんか。
『地上の星たち』てまた。

おーんおんおん、
おーんおんおん、 
まさに、おん、
子どもは、おん、
地上の地上の、おん、
星たちです、おんおん、、、、、
ミチコさん!
あなた失読症ってご存知ですか。

何やねん急にびっくりするがな。
知らんわなんやそれ、毒かなんかか。

まあええです。

ええんかい。

私、心洗われましたわ。
同時に自分の無力さに落ち込みもしましたわ。

どないしたんや、喋り方までおかしいがな。
心洗われたっちゅうより、血入れ替わったんちゃうか。

ここで一つ詩を紹介します。
イシャーンの解釈も素晴らしかったんでメモしましてん。
『視点』
上から見た君は
雲でいっぱいの空
象が水を飲みに来たり友達が飛び込んだり
ベルの音や小石や盲人の杖が触れる時
君の空は溶け出し
いつもの川が流れだす
そういうことです、ミチコさん。

どういうことやねん。

大事なもんみえてますか、ミチコさん。
子どもたちはみんな特別なんですわ。
一人ひとり輝く星なんですわ。
能力や可能性、夢、与えてやることも、奪うこともできるんですよ、私たちは。

それもセリフか。

エンドロールがまた泣ける泣ける。

無視かいな。

ミチコさん、
エンドロールに出てきた子どもたちの目は
今この瞬間も輝いているのでしょうか。

地元の廃校活用の一環として、毎月ドキュメンタリー映画の上映を行っている『ふたかわ超学校』。
https://instagram.com/futacho

『おクジラさま』という映画を上映するにあたり、これは地元民として一度現地に足を運ぼうではないかと、スタッフたちで(全員ボランティア!)和歌山県太地町に行ってきました。
無計画の弾丸ツアーでしたが、クジラの神様がついている?博物館の資料の執筆していた学芸員さんに始まり、映画に登場した元AP通信記者のジェイさんにまで会え、話を聞くことができたのです。いやあ、面白かった。上映会当日は佐々木監督とオンラインでつないでトークライブも実施しました。

写真:学芸員さんに案内してもらった古式捕鯨梶取崎狼煙城跡からの太平洋

辻本マリコ

Cinema Studio 28 Tokyo主宰

Mariko’s Golden Penguin goes to…

偶然と想像
2021)

監督:濱口竜介
観た場所:有楽町朝日ホール、東京フィルメックスオープニングにて/東京/日本

私の2021年。

オリンピック開会式の数時間前に携帯が鳴った。
親しい人の突然の訃報を知らせるものだった。
それからの記憶は哀しみに覆われ、ぼんやりしている。

けれど、どこか冷静に「物語」が衰弱した心身にどう作用するかを観察していた。
そして濱口監督の2本には、確かな薬効があった。

夏の終りの『ドライブ・マイ・カー』は喪失と再生の物語で、いくつかの台詞は私が自分に問い、辿り着いた答えと似ていた。自分の思考が俳優の声に乗ってスクリーンから響く、治療のような時間だった。他者とは謎めいた存在で、死者は答えてくれず、謎を謎のまま大切に抱えていく、いつか自分が死ぬまで、と。

そして秋に観た『偶然と想像』には、天啓を受けた気分になった。

哀しみをひとしきり味わうと、いつも私は同じ結論に達し、めらめらと立ち上がる。それは「にもかかわらず私は、楽しく生きる。私の意志によって」というシンプルさで、何か気質のようなものが、いつも同じ結論に至らせるのだろうと考えていたが、『偶然と想像』に答えを見つけたかもしれない。

偶然により想像もしなかった展開に遭遇する人々。
偶然により不幸になることがあるのだから、偶然が奇跡のような幸せをもたらすことも必ずある。
単純な私は人一倍そう信じている。根拠はないけれど。

長らく好きな監督が、私の2021年にこんな映画を届けてくれたことも、偶然がもたらした奇跡のような幸せのひとつです。まさしく。

今はとても難しいことだけれど、心の治療には「遠くに行くこと」が必要な気がして、2回目のワクチン接種後、日帰りで訪れた長野。一日の最後に、夜の相生座で韓国映画『SEOBOK/ソボク』を楽しみました。

馴染みのない街で映画を観た後、たまたま通りかかったガラガラのバスで駅に向かうことでしか味わえない、心細さと高揚の混じった気持ち、久しぶりで新鮮でした。