Cinema on the planet
009- Mariko Tsujimoto
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017
2年前の秋のこと。1本の映画を観るためだけに、遠くに行った。
時折、運が良ければ映画祭で上映されるものの、配給されるかどうか確証はないフレデリック・ワイズマン監督の新作を求め、初めての山形へ。山形国際ドキュメンタリー映画祭は2年に1度開催。今年は10月10日から開催されますが、これは前回(2017年)の記録です。
映画祭会場へ
山形行きを決め、映画祭サイトで情報収集。チケットは前売もあるけれど当日でもどうやら席を確保できそう、と把握。駅から近く、会場のひとつである山形市民会館まで歩いて通えそうな立地のホテルを予約して事前準備完了。複数のプログラムが同時に進む規模の大きな映画祭で、海外からのゲストやプレスも多い印象だったから、宿泊を早めに確保したのは正解だったらしい。
上野からつばさに乗り山形駅に到着し、そのまま山形市民会館まで歩いて直行。荷物は受付でスムーズに預かっていただけた。
インターナショナル・コンペティション部門
初めての映画祭のため、インターナショナル・コンペティション部門の作品群から、時間が合うものを片っ端から観ることに。
『自我との奇妙な恋』(エスター・グールド監督/オランダ)、『ニンホアの家』(フィリップ・ヴィットマン監督/ドイツ)、『機械』(ラーフル・ジャイン監督/インド)を立て続けに観ながらも、心を掴まれるような出会いには至らず。
映画祭に来ると他では観るチャンスのなさそうな映画を選び、日本の作品はどうしても後回しになるけれど、ここは趣向を変えるべきでは?と『願いと揺らぎ』(我妻和樹監督)を選択。震災を境に途絶えていた伝統行事を復活させるまでの過程が丁寧に記録されていた。せっかく山形で映画を観るのだから、できるなら東北の映画を観ようと考え直した。
ソラリス
遠くまでわざわざドキュメンタリー映画祭に来ておきながらも、ドキュメンタリーを何本も観ると、きっと無性にフィクションが恋しくなるだろうと、あらかじめ調べておいた映画館に途中、抜け出して行った。山形駅近く、ソラリスという名の映画館。
ちょうど『アウトレイジ最終章』(北野武監督)の公開日だった。レイトショーの客席は老若男女で8割は埋まっていた。
ソラリスを出てホテルまで大通りを歩くと、ぐぐっと気温が下がった山形の夜は北の街らしい肌寒さ。旅先の夜に染み渡るヤクザ映画の余韻よ…。
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
お目当ての『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、早めに並んで入場。私が観た中では最も観客が多い上映だった。ワイズマンがニューヨーク公共図書館の活動を淡々と記録した205分の長い映画だけれど、知ることを求める人、生きるために知る人、それを支える人がこの世からいなくならない限り、永遠に撮り続けられそうで、永遠に観ていられる。はたしてこの映画、どうやって終わるのだろう?と不思議に思っていたら、ぱちんと鳴らした指先を合図に音楽が流れ、エンドロールに差し掛かった。バッハ「ゴルトベルク変奏曲」は、知ることを求めて1本の映画のために遠くまで移動してきた私への賛歌のように響き、憎らしいほど粋なラストだった。
『世界一と言われた映画館』
山形で映画を観るのだから、できるなら東北の映画を観てみたいと考えた私は、「やまがたと映画」特集から『世界一と言われた映画館 酒田グリーン・ハウス証言集』(佐藤広一監督)を観ることに。会場は山形美術館。ロダンの彫刻のあるロビーで開場を待った。
山形県酒田市にかつてあった、淀川長治氏も「世界一の映画館」と絶賛した映画館グリーン・ハウス。ロビーにはグリーン・ハウスで発行・配布されていた小冊子『グリーン・イヤーズ』が展示されていた。
映画はグリーン・ハウスにゆかりのある人々の証言でシンプルに構成されている。1976年、街の中心部を焼き尽くす大火事があり、グリーン・ハウスのボイラー室が出火元と言われている。どうしても苦々しい火事の記憶が蘇ってしまうから、酒田の人々はグリーン・ハウスについて口が重くなるけれど、それでもグリーン・ハウスは私たちに映画の夢を見せてくれた場所だったから語りたい、と思い出を話す人々が映された。アフタートークでは貴重な資料の解説もあり、満席の客席の何割かはグリーン・ハウスでかつて映画を観たことがある観客で、ご当地ならではの懐かしみにあふれたムードに包まれていた。
東京に戻ると、グリーン・ハウス支配人だった佐藤久一の生涯が綴られた『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』を一気に読了。とにかくグリーン・ハウスの素敵なこと!そして佐藤久一の魅力的なこと!恋と革命のために生まれてきた、なんて言葉が似合いそうな男が、そして裕福な生まれで潤沢な資金力にも恵まれた男が創ると、こんなロマンティックな映画館が出来上がるのか。回転ドアをくぐり館内に入るとスクリーン脇には生花。1階の上映ホールに加え、2階にある定員5人の新特別室は家族で出前をとって寛ぎながら観賞でき、さらにミニシアター的ラインナップのシネサロンもある上に、遅くまでレイトショーを観ても映画館の無料巡回バスで帰ることができる。まるで、映画好きの少年が画用紙にクレヨンでぐりぐり描いた「ゆめのえいがかん」そのもの。
映画が上映された山形美術館の一室は簡素だったけれど、入場時にスクリーン脇のスピーカーから音楽が流れていた。本を読んで思い出したことに、それは確かに、グリーン・ハウスで上映前に流されていたというグレン・ミラー・オーケストラ『ムーンライト・セレナーデ』だった。
文翔館
初めての山形だから少し観光も、と映画祭会場から徒歩圏内にある文翔館へ。1916年に開館したかつて県庁、県会議事堂として使われていたイギリス・ルネサンス様式の煉瓦造りの建物で、国の重要文化財に指定されている。
復原された正庁や貴賓室が見学できるほか、郷土資料の展示も楽しめる。入館は無料で、映画の合間の気分転換にもぴったり。
山形で撮影された映画の資料展示もあった。
映画のロケ地としても使われており、この部屋では『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』が撮影されたとのこと。
私の文翔館への興味には理由があった。mame kurogouchiというファッションブランドのあるシーズンに、宮本輝の小説『錦繍』からインスピレーションを受けたデザイナーが東北を巡り生まれたコレクションがあり、ブランドも愛用し『錦繍』も長らくの愛読書だった私は、手に入れた何着かを大切にしている。お気に入りの紺のジャガードのワンピースは、文翔館の壁紙の模様から着想を得て生まれたと何かで読んだ。あちこちの部屋に出入りして、この壁紙かな?と何枚も写真を撮った。
ドッコ沼
東北に向かうにあたって、本棚から『錦繍』を引っ張り出して鞄に入れてきた。冒頭の一文に登場する地名と現在地からの距離がうまくつかめなかったけれど、山形駅の案内所で尋ねてみると行けない距離ではないと知り、山の上に向かうことにした。
山形駅から蔵王温泉行きのバスに乗車。終点で降りて少し歩き、ロープウェイ乗り場へ。
山頂が近づくにつれ、秋色のパレットは色数豊富に。
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼の降り口に辿り着くまでの二十分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいでございます。
あなたに、こうしてお手紙を差し上げるなんて、思い返してみれば、それこそ十二、三年ぶりのことになりましょうか。もう二度と、あなたとはお目にかかることはないと思っておりましたのに、はからずもあのような形で再会し、すっかりお変わりになってしまったお顔立ちやら目の光やらを拝見して、私は迷いに迷い、考えに考え抜いて、とうとう思いつくすべての方法を講じて、あなたの御住所を調べ、このような手紙を投函することになってしまいました。」
ドッコ沼は蔵王高原に佇むエメラルドグリーンの静かな沼だった。何故この色なのか、理由はわからないらしい。こんな山の上でかつて別れた夫に偶然出会ったら、沼を眺めながらも心は泡立って仕方なかったに違いない。そりゃ長い手紙も書くよね…と、愛読書のロケ地巡りを果たし、心で呟いた。『錦繍』は映画化されそうでされないけれど、いつまでもして欲しくない。
蔵王温泉からのバス
ドッコ沼からリフトとロープウェイを乗り継いで引き返し、蔵王温泉駅からバスに乗り込む。映画祭に来たことを忘れるような景色に包まれたけれど、あとはバスに30分乗れば山形駅まで戻ることができる。
ぼんやり発車を待っていると、満席ではない車内で老婦人がきっちりと私の隣に腰掛けてきた。その人はしばらくタイミングを伺った後、どこから来たの?と私に質問をした。
東京から来ました、山形は初めてで、と答える。山形の方ですか?と問い返すと、生まれも育ちも山形で、とその人は言った。蕎麦に肉、山形名物は私の好物だから、地元の人が行くような美味しい店はないか質問してみたら、どちらもあまり食べないから知らない、とその人は笑って言った。何がお好きですか?と聞いてみると、野菜が好き、とまた笑い、観光客の私を気遣ったのか、山形の人は麺が好きね、ラーメンとか蕎麦とか、と付け加えた。
当たり障りのない話題の代表のように食べ物の話をしていたのに、それからどう展開したのか、気がつけばその人が最近まで現役だった理容師で、さすがに年齢も年齢だから一応引退したけれど、他の理容師には髭を剃らせない常連客がいるから今でも店に出ることがある、世間話をするのが楽しみでね、という話に私は相槌を打っていた。
ふと自分の話ばかりするのはと思ったのか、あなた東京の人なの?と聞かれたので、生まれは関西です、お寺ばかりの街ですがいつかいらしてくださいね、と答えると、もうそんな遠いところに行くのはね、とその人は言い、古い旅の記憶を語った。若い頃、理容室での修行は朝も夜もなく毎日働き通しだったけれど、新婚の頃に一度だけ銀山温泉に行った、と。話を聞きながら脳内で再生される若い男女の佇む銀山温泉は何故かモノクロの映像で、雪が静かに降り、タイトルも忘れてしまった成瀬だか誰だかの映画に似ていた。がらんとした映画館の客席で、その人の人生を観賞しているようだった。
窓の外を流れる景色は郊外から市街に近づいてゆく。その人があの建物、と指差した道路沿いの一軒は親戚が営む店で、それも理容室らしかった。ほどなく角を曲がるとバスは山形駅に直結する大通りに差しかかる。デパートを指差しながら、今は息子夫婦と同居しているけれど、晩御飯の時間が早いから夜にお腹がすく。あのデパートに100円ショップがあって、お菓子を買うの。お腹がすくと、お菓子を食べる。バスはもはや巨大なカメラで、移動しながらその人の人生を撮影しているみたい。
シルバーパスを使ってお金のかからない範囲でバスに乗り、気が向けばこうやって隣り合わせた誰かと会話する日々なのかもしれない。蔵王温泉街をぶらぶらして買ったという和菓子の包みを見せ、帰ったら近所にお裾分けに持っていくの、とその人は言った。
終点がどんどん近づいてくる。時折、映画を観ながら、一体何をしているのだろうと思うことがある。見知らぬ他者の名前を覚え、その生活を間近に眺め、涙に笑顔、毛穴に裸、喜怒哀楽をひとしきり見守り、暗闇の中こんなに近くであなたを知ったのだから、もはや他者ではない、と愛着が湧きはじめた頃に照明が点く。こんにちはの後、少しだけ一緒にいたら、あっという間にさよならを言うのだ。
バスはその人と私を吐き出した。降りぎわにその人がシルバーパスを見せたので、そこに書かれた名前と年齢を読んだ。81歳。いつかまた山形を訪れたとしても、きっとすれ違うこともないだろうけれど、その人が夜に食べるお菓子を買う店を、私は知っている。ロータリーで初めて向かい合うと、軽く会釈をして言った。さよなら、どうか、お元気で。
information
山形国際ドキュメンタリー映画祭
https://www.yidff.jp/home.html
山形市民会館
山形県山形市香澄町2丁目9-45
https://www.shanshanshan.jp/
『自我との奇妙な恋』(2015年)
監督:エスター・グールド
https://www.yidff.jp/2017/ic/17ic13.html
『ニンホアの家』(2016年)
監督:フィリップ・ヴィトマン
https://www.yidff.jp/2017/ic/17ic06.html
『機械』(2016年)
監督:ラーフル・ジャイン
https://www.yidff.jp/2017/ic/17ic10.html
『願いと揺らぎ』(2017年)
監督:我妻和樹
https://www.yidff.jp/2017/ic/17ic14.html
ソラリス
山形県山形市城南町1-1-1 霞城セントラルB2F
https://www.forum-movie.net/yamagata/
『アウトレイジ最終章』(2017年)
監督:北野武
https://outrage-movie.jp/
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2016年)
監督:フレデリック・ワイズマン
http://moviola.jp/nypl/
山形美術館
山形県山形市大手町1-63
http://www.yamagata-art-museum.or.jp/
『世界一と言われた映画館
酒田グリーン・ハウス証言集』(2017年)
監督:佐藤広一
http://sekaiichi-eigakan.com/
『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を
山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(2010年)
著:岡田芳郎/講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205424
文翔館
山形県山形市旅篭町3丁目4-51
https://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/
mame kurogouchi
https://www.mamekurogouchi.com
*2015AW COLLECTION
http://soen.tokyo/fashion/collection/mame2015aw.html
『錦繡』(1985年)
著:宮本輝/新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/130702/
ドッコ沼
山形県山形市 蔵王温泉 ドッコ沼畔
https://zaochuoropeway.co.jp/jp/summer/dokko.php