Rules
・2024年に観た映画のうち「最も印象に残っている映画」を1本選び、紹介してください。
・⾯⽩かった映画、良かった映画だけではなく「意味不明だったけれど、気がつけばあの映画のことばかり考えていた」「不愉快だったけれど、不思議と引っかかるものがあった」、 もしかすると、そんな映画も「印象に残っている映画」かもしれません。
・2024年に観た映画であれば、新作/旧作を問いません。
・映画館に限らずDVD、Netflix等の配信、⾶⾏機の中やテレビ放映で観た映画も対象です。
・映画タイトル、観た場所、そして2024年に撮った映画にまつわる写真を1枚添付し、説明してください。
Writers
小栗誠史(会社員・広報担当)
翠子(翠文庫)
aya (グラフィックデザイナー)
辻本マリコ (Cinema Studio 28 Tokyo主宰)
小栗誠史
Mr. Oguri’s Golden Penguin goes to…
Dancing Pina
(2022)
監督:フロリアン・ハインツェン・ツィオブ
観た場所:ゲーテ・インスティトゥート東京/東京/日本
『Dancing Pina』(2022)はピナ・バウシュの死後、彼女の作品をヴッパタール舞踏団のメンバーが若いダンサー達へ継承していく姿を描いたドキュメンタリー。カメラは2つの公演のリハーサルの様子を交互に追っていく。ひとつはドレスデンの〈ゼンパー・オーパー・バレエ〉での「トーリードのイフィジェニー」、もうひとつはアフリカ現代舞踊の母・ジャメイン・アコニーが設立したダカールの〈エコール・デ・サーブル〉での「春の祭典」。
ピナが創出した“タンツテアター”の真髄は、踊ることと演じることを融合させること。ダンサーは踊り手であることだけでなく、語り手となることを求められる。それは「なぜ踊るのか」ということを問われることでもあり、ゆえに若いダンサー達はもがき続ける。最も身近だからこそ、最も向き合うことが難しいのもまた自分自身。「踊りなさい、自分を見失わないように」と、かつてピナは言った。誰よりも踊りと向き合ってきたひとの言葉はシンプルで鋭い。
通し稽古が行われた夜、突如ワールド・ツアーの中止が告げられた。時は2020年、世界中をパンデミックが襲っていた。2022年に予定されていた日本ツアーもキャンセルされる中、トワイライトに染まりゆくトゥバブ・ディアラオの砂浜で最後のリハーサルが行われた。ステージに砂を敷きつめて踊られるピナの「春の祭典」に、これほどふさわしい舞台があるだろうか。
ゲーテ・インスティトゥート東京のホール。
翠子
翠文庫
Midoriko’s Golden Penguin goes to…
あんのこと
(2024)
監督:入江悠
観た場所:イオンシネマ和歌山/和歌山/日本
朝から雨。山を降り、高速道路に乗り、Sさんと映画を観に行く。
複雑な交差点にあるファーストフード店Мで昼食をとる。昼時にドリンクだけで話し込んでいる男と女が気になり、目ん玉だけ動かし見やる。2人の前にはムーミンの絵の入ったパンフレットが広げられている。男の方はスーツを着ている。保険の勧誘といったところだろう。女の方が嬉しそうに見えるのは私だけだろうか。
『あんのこと』を観る。
冒頭の杏に思わず、え、と声をもらしてしまう。首を横に小さく振りながら観る。私はこんな顔をした女の子と出会ったことがない、知らない。杏から目が離せなくなる。瞬きはこわごわとしかできない。表情、仕草から杏のことを少しずつ知っていく。車の助手席でサイドミラーに映る自分を見ながら、髪を一度耳にかけ、またすぐに外した杏に肯く。買い物をする杏の顔、入れ墨のおじいちゃんと喋る杏の顔、タタラと吾郎ちゃん(記者の役名覚えられず)に挟まれラーメンを食べる杏の顔。都度々々肯く。やっと息ができたと思っていたのにタタラの阿呆、阿呆、阿呆!どこかしこ構わず独り言を言ってしまう私もさすがに映画館では声を出さない。
次こそ今度こそ、と思うのは歌を知っているからかもしれない。「ねんねんころりよおころりよ」そう歌う母の声がはっきりと聴こえる。「ねんねんころりよおころりよ」そう歌う祖母の震えた声まではっきりと聴こえて、寂しくなった自分を責めた。
映画が終わる。私はしばらくの間立ち上がれなかった。一日一緒にいても140文字以内しか話さないSさんは「しんど。」とだけ言った。テーマパークみたいなハンバーグレストランに寄って帰る。帰り道もずっと杏のこと、それから杏の優しさについて考えた。
和歌山紀南地方でドキュメンタリー映画を中心に自主上映会活動を行っている『キノクマ座』のお手伝いをごくごくたまあにしている。この日はインドカレー屋クリシュナカフェ(ホテルシラハマの2階にある)で『映画◯月◯日、区長になる女。』を上映。キノクマ座スタッフ私含め3人、客1人で観た。紀南地方、この手の映画は人が来ない。この日も杏のことを考えた。
aya
グラフィックデザイナー
aya’s Golden Penguin goes to…
美と殺戮のすべて
(2022)
監督:ローラ・ポイトラス
観た場所:ヒューマントラストシネマ有楽町/東京/日本
2024年は人権、戦争、資本主義について考え続ける年で、情報過多・資本主義の結果、生活や安全や穏やかさが削られていくのを見ていました。
『美と殺戮のすべて』はドキュメンタリーで、アメリカで問題になっているオピオイド中毒(スポーツや仕事での怪我にアメリカで処方される鎮痛剤に依存性があり、過剰摂取などで50万人以上が死亡している社会問題)についての映画です。
映画の被写体であるナン・ゴールディン自身も2014年にオピオイド中毒となり、治療を行っています。
ナン・ゴールディン自身は写真家として既に高い評価を得ており、映画の中でも写真作品をスライドショー形式でたくさん見ることができます。
強く、痛々しく、とても美しい、社会の周縁にいる人の姿。
そして、オピオイド中毒で苦しむ人、ご家族や友人を亡くされたかたたちの訴え。
オピオイド鎮痛薬の大量処方で財を成したサックラー家は、有名な美術館に多額の寄付を行い、建物に名前が刻まれています。
ナン・ゴールディンは、そのサックラー家の名誉は人の死から作られたものだとして、美術館から名前を消すようデモを行っています。
映画の中の美術館でのデモは、私がこれまで見た中で一番美しいデモでした。
社会運動と、個人の思い、社会を変えようと動く人の姿と、その実現の様子。
暗い気持ちになりそうな時に、この映画の美しさと痛みと強さをずっと思い出すでしょう。
2024年1月19日に青森で見かけた映画館。初めての東北旅行で、静かに雪が降る中、小さな映画館に『FIRST COW』のポスターが貼ってあり、ここで同じ映画を見た方がいるんだと思いました。
辻本マリコ
Cinema Studio 28 Tokyo主宰
Mariko’s Golden Penguin goes to…
夜明けのすべて
(2024)
監督:三宅唱
観た場所:TOHOシネマズ上野/東京/日本
『夜明けのすべて』は回復のすべて、ケアのすべてと呼びたい映画だった。
PMS、パニック障害を抱えた同僚ふたりが周囲にさりげなくケアされながら回復してゆく。ケアする元上司、私と同じ姓の「辻本さん」が自死遺族とわかった瞬間、ハッとした。これは私の物語なのだ。
コロナ禍、私は身近な友人を自死で亡くした。外出が制限された東京で、オリンピックが始まる直前だった。弔いの儀式も仲間と集うことも封じられ、食欲を失くし、睡眠が乱れ、弱っていった。あの「辻本さん」にも、そんな時間はあっただろう。誰にも悲しみに気づかれず、淡々と仕事していたに違いない。大人だから。私みたいに。
それからの記憶は薄暗く、時間をかけ、周囲の人たちの優しさに寄りかかり、ゆっくりと悲しみとともに生きていく覚悟ができた。その過程は『夜明けのすべて』で描かれた回復そのものだった。
2024年は選択の年だった。集中して、最善を選んで決めた。選ぶことも決めることもエネルギーが要ることで、エネルギーの回復に、私は感動していた。しばらく前までずたぼろで「今が人生のどん底かも…」と独り言で現在地を確認していたのだから。
これから、周囲の人たちの弱った時に、何もできなさに狼狽えながら「それでも、できることはある」と、差し出せるすべてを差し出していくだろう。回復の兆しを感じたら泣いてしまうかもしれない。あの「辻本さん」のように。
2024年夏、ずっと憧れていた台湾・台南市にある全美劇院へ。1950年開業。ハリウッドでも成功した台湾出身のアン・リー監督が幼少期に通った老舗映画館。手描き看板、年輪を感じさせる上映ホール、薄茶色の椅子、親切なスタッフ、南国らしい街の雰囲気…すべてが痺れるかっこよさでした。