情報摂取
甥っ子のノート。小学生でも英語の授業があるのね。家族の誰にも、几帳面なタイプはいないのに、洋服のたたみ方からノートの書き方まで驚くべき几帳面さで、誰に似たのかしらと不思議。
シャンプーのCMによくある、傷みささくれだった髪の断面、乱れたキューティクルが、しっとり成分でリペアされていくあの図のように、睡眠によりリペアされゆく我が細胞。正しき寝正月。
年末、ささやかながら大きなショックとして、濱口竜介監督がtwitterのアカウントを削除したことがあった。宣言どおり、年を跨ぐと潔く消えていた。「ハッピーアワー」や「親密さ」を一度観てしまうと、自分の欠片が映画に埋め込まれたようにも、登場人物たちの細胞が自分と混じり合ったようにも思えてしまい、彼彼女たちが世界や日本のあちこちで今日も誰かに目撃されている情報も、監督自身から得て、他人事ではないように思っていたけれど、理由もきちんと書かれており、自分自身がここのところ考えていたことと重なりもしたので、寂しいながら納得もした。
「もう10年近くTwitterをやっていましたが、時間の使い方や情報摂取の仕方をどう再構築できるか、試したいなと思っています。」
「Twitterはむしろ好きです。というか好きだからむしろ、みたいなところがあり…。後悔したら素直にすごすご戻って参ります。」
何かしら生み出す人、0から物語を立ち上げるような人には、静謐な時間こそ大事で、いかに情報を絶って静かな場所に篭るか、その人なりの工夫が要るのだろう。監督からどんな新しいものが生まれるのかこそを楽しみに待たねば。