ヤンヤン 夏の想い出

 

早稲田松竹で観た『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年/エドワード・ヤン監督)、35mmフィルム上映。過去に観た映画と再会して、傷の入ったフィルムのバチバチ音を聴くと、ずいぶん生きたなぁ自分もと思う。思いませんか。

 

http://wasedashochiku.co.jp/archives/schedule/40690

 

台北の文教エリアに暮らす一家の、結婚式で始まり葬式で終わるひと夏の群像劇。圓山大飯店で結婚式を挙げ、NJ(父親)は企業の共同創業者のひとりのようだから裕福な家庭なのだろう。娘は名門と呼ばれる学校に通い、一見何の不自由もなさそう。

 

そんな家庭と周辺にも日々ざわめきは生じ、怪しげな宗教にハマったり、恋愛がもつれて殺傷沙汰に巻き込まれたり。エドワード・ヤンらしい都市生活者の孤独が描かれる。

 

何度も観ており、かつては学生たちに近い年齢だったのが、いつの間にか父親母親と同年代かやや下?という年齢に差し掛かり、今回思ったのはNJ(父親)の素晴らしさ。善良なる存在であることを自らに課し、行動規範として人生の半ばまで遵守してきた人物の、さりげなくも地に足のついた存在感。何が起きても一家の軸が大きくは揺らがないのはNJが中心にいるからであろう。NJの真意ははっきりとは見えないが、再会した美しい初恋の相手を、今も昔も選ばなかったのは、ある種のエキセントリックさを周到に回避するNJなりの防衛本能なのかもしれない。

 

そんなNJの本心が垣間見えるのは、日本のクリエイター大田との会話においてで、彼らの交わす簡単な単語を繋げた英語の、流暢すぎないからこそ詩のようなやりとりが一言一句美しい。大田を演じるイッセー尾形が天使みたい。でも、こういう天使みたいな人って人生で時々出会って、自分も思わず誰にも話ししたことないような「いきなり本題」みたいなことを打ち明けてしまうよね。

 

NJ役の呉念真(ウー・ニ゙エンジェン)、エドワード・ヤンが亡くなった後に東京国際映画祭で追悼特集があり『ヤンヤン 夏の想い出』の後だったかに登壇した記憶があって、本人のお話も実直な言葉でとてもわかりやすかったことを覚えている。

 

 

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Mariko
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