儚さ
カメラロールの写真を遡ることで、今年観た映画群を思い出そうとしたけれど、今年の映画初めは京都立誠シネマで濱口竜介監督「THE DEPTH」だったと写真が告げていて、立誠シネマももうないんだなぁとしみじみする。みなみ会館が閉館してしまうと、京都における映画的ノスタルジアがほぼ失われることとなり、私の愛の対象は、ずいぶん儚い。
立誠シネマの最後の上映企画の中に、ウルグアイ映画「映画よ、さようなら」が混じっており、あの映画は2016年bestの1本だったけれど、best5のうち4本までは日記に書いて、「映画よ、さようなら」についてだけ書き忘れていることを、忘れていない。
「映画よ、さようなら」はウルグアイのシネマテークが閉館することになり、長年勤め上げてきた男が閉館作業をし、葬り、新たな一歩を踏み出す物語。ひたすら観客に物語を見せることに黙々と従事してきた男が、その行為を失った時、映画の記憶が彼の背中をそっと押す。見せる側でも観る側でもあった男が、映画の主人公よろしく物語の中心になる。冒険映画の主人公のように、勇ましく一歩を踏み出すエネルギーを、映画が授けてくれる、という物語だった。あの映画を最後に選ぶ、立誠シネマよ。と、遠くから静かに感動しながらサイトを見ていました。
http://www.action-inc.co.jp/vida/
この映画の面白いところは、映画の中ではいかにも閉館しそうな、寂れた雰囲気が漂っているシネマテークは実在のウルグアイのシネマテークで、しかし実在のシネマテークは映写室もたくさんあって規模が大きく、プログラムも充実した賑わいのあるシネマテークであるらしい。賑わいのある場所を、寂れた場所に見立て、架空の物語の舞台にしてしまうカメラマジック。まさに映画!
しばらく連載などの更新は休眠したおりましたが、明日更新します。愛の対象の儚さについて。明日の夜、またお会いいたしましょう。
5 Best movies 2016 / Part4
Best movies 2016、4本目はジョニー・トー監督「スリ」、2008年、香港映画。
記憶はいつだって身勝手で、良かったことだけを保存する傾向のある人は、過去を砂糖でくるみ、包んだ手を開くとベタつきが残る。ノスタルジーの取扱いは難しい。「スリ」は、取扱いに成功した稀な1本。
返還後、想像以上に香港の街の変化は早く、幼少の頃から親しんだ懐かしい建物も徐々に取り壊されゆく中、好きだった香港の街を記録するために、「スリ」を撮ったと特典インタビューで監督は語っていた。
籠にとらわれた鳥を逃す物語。大陸からやってきた、マフィアのボスの情婦。ハイヒールであちこちを行き来しながら、4人のスリ集団をそそのかし、彼女の解放をめぐって、雨の広東道でスリとマフィアが対峙する。
身体性が奪われつつあるのは犯罪の世界でも同じようで、相手の体と密着して犯行に及ぶ、スリという行為自体も、やがて旧時代のものになっていく。大陸の発展が急速に進む中、かつて大陸から自由な香港に夢を抱いてやってきた人々の存在も、過去のものになる。籠にとらわれた鳥こと美しい情婦だけが、広東語ではなく普通話を話していた。大陸からやってきたのだ。
ここまでだとジョニー・トーお得意のクールな男の世界だけれど、特筆すべき点は、ほとんどミュージカルのように音楽に彩られていること。セリフが歌、というわけではないけれど、「スリ」はジョニー・トーが大好きだという「シェルブールの雨傘」へのオマージュでもある。なんと…!ジョニー・トー、いかつい風貌のくせして、ロマンティック…!
冒頭から、年季の入ったアパートの部屋にいるサイモン・ヤムが歌って踊りはしないものの、ステップを踏むようなリズムで物語が始まる。全篇の音楽は、フランスの作曲家による東洋趣味、西洋流解釈の東洋といった手触りで、エキゾチックな香港の街によく似合う。
「シェルブールの雨傘」オマージュだから、クライマックスのスリ合戦も雨の中。色とりどりではないけれど、男たちの黒い傘に落ちては跳ねる、超スローモーションでとらえられた雨粒の動きのエレガントなこと…!つるんと無機質に変化していく街で、「義理人情」とか「矜持」とか、簡単に使うのももはや気恥ずかしい、やがて死語になりそうな言葉が似合う場面だった。
これだけ要素を盛り込むと、どうしても甘いノスタルジアに支配された映画になりそうなものを、そうならないのは87分とコンパクトで、省略が多用されているからか。少なくはない登場人物たちも、巧みな人物配置であっという間に説明してしまう名人技。思い入れ強く語りたいことがある時ほど削るべき、とルビッチとジョニー・トーが教えてくれる。潔く削った断面からのみ香る種類の詩情に溢れ、大切な写真をアルバムにしまうように、街へのラブレターを投函するように、こんな映画を香港に贈ることができるジョニー・トーが羨ましい。
5 Best movies 2016 / Part3
眠気も覚めました。書いたら眠るけれど。
5 Best movies 2016、3本目は濱口竜介監督「PASSION」、2008年の映画。
「同級生の結婚を祝福する若者たち。しかしそこで男の浮気が発覚し、カップルは別々の夜を過ごすことになる。」
夏、新文芸坐のオールナイト1本目で観て、冬にポレポレ東中野で再会。ブランクの半年、「PASSION」の全体は覚えていて、細部を確認したい気持ちだったけれど、再見してみると、自分は何を観ていたのだろう、と思うほど全体の記憶も曖昧だった。
この、ぼんやりと対象を捉えられない感じ、何かに似てるってしばらく考えて、例えば、淡い恋愛感情を抱いてる相手の顔って、思い出せなくないですか。私だけなのかしら、と思っていたら、案外そういう人はいるようで、眩しいものを見る時と同じで普段より瞳孔が開いてるせい説とか、心理学的な説とか、さまざま説があるらしい。己の強い好意は認めるけれど、その輪郭はあまりに曖昧、「PASSION」のこと、少し熱が冷めるまで正確に捉えられそうもない。
中心にいるのは5人の男女。相関図の矢印を書いても、誰の想いも一方通行で、誰かの好きな人は別の誰かが好き、ということがじわじわと炙り出される群像劇。舞台は横浜で、バス、埠頭、マンション、ビル、特別なものは何も映されないけれど、街がきちんと映っている。夜明けの埠頭での長回しのシーンが出色で、2人の会話が止まった時、乱暴に画面を横切る赤いトラック!あまりに映画的な瞬間に鳥肌が立ち、演出ではなく偶然だったと知ってさらに鳥肌が立った。
女性は2人いて、自分はどちらかというとタカコっぽい。タカコはカラックスのミューズだった頃のジュリエット・ビノシュのような雰囲気を持っていた。良くも悪くもタカコに矢印が集まりがちのは、タカコが恋や愛を信じていなくて(あるいは信じていない振る舞いをしていて)空洞だから(あるいは空洞そうに見えるから)ではないでしょうか。あいつのどこがいいんだよ?と問われたタカコが「彼も私も他人に対する期待値が低くて、だから一緒にいてラク」って、けっこうな愛の言葉だと思う。こんなこと言われたら、あいつのどこがいいんだよ?なんて質問する人は、すごすご敗北するしかない。
カホについては、自分にない要素ばかりだから興味深く観察した。ラストの展開が1度めはうまく掴めず、2度観てもわかったとは思えないけれど、彼らは別れ話でようやく、お互いを見たのかな。考えてみれば「ハッピーアワー」でも、純さんの旦那さんは、相手の不在でようやく己の愛に気づく、というキャラクターだったように思う。
この感想の散漫さが、私の「PASSION」への初心な愛を物語っております。眩しくて瞳孔が開いていたせいか。
新文芸坐で夜中に観終わり、しばらく呆然とした。台北を舞台にした恋愛群像劇であるエドワード・ヤンの「恋愛時代」を観た時、いつか日本映画で、こんなのを観られたらいいなと漠然と願った。都市を舞台にして、街も主役のひとりで、恋愛群像劇で、スケッチのようだけれど不思議に普遍でもある、そんな映画が、懐かし映画を発掘するでもなく、同時代に生まれたらどんなに心強いだろう、と。
恐ろしいことに20年経過し、自分の願いも忘れたまま、映画を観るたびに、まるで違う、近いけど違う、惜しいけど違うと、期待と落胆を無意識に繰り返してきたはずの、求めた映画が目の前にあった。しかも2008年に作られていたのを、ずいぶん見逃してきたのだった。大袈裟ではなく、忘れた頃に運命って向こうからひょっこりやってくるのだな。2016年、観る本数が減ったのは、慌ただしかったせいもあるけれど、100の映画を観るよりも、観るたびに新たな発見と新たな問いが生まれる1本の映画と出会ったからかもしれない。「PASSION」も「親密さ」もそんな映画で、2016年は紛れもなくハマグチの年だった。
5 Best movies 2016 / Part2
5 Best movies 2016、2本目は濱口竜介監督「親密さ」、2012年の映画。
前後篇からなる255分と長尺のこの映画、夏にオールナイトで観ようと試みたものの夜に弱い私は案の定、後半すっかり眠ってしまい、いつか昼間に観る機会があればと願っていた。案外早く機会が巡り、秋に南浦和であったロングフィルムシアターという、長尺映画ばかり選んでかける奇特な映画祭で再会した。昼間だったから、今度は眠らずに全篇を観た。観終わってみると、真夜中とはいえ、こんな映画が目の前でかけられていたのに、よく眠れたものだね!と自分に呆れた。
「ともに演出家であり、恋人同士でもある令子と良平は互いに傷つけ合いながら舞台劇『親密さ』初演を迎える。」
前篇は「親密さ」を上演するまで。脚本を書いたり稽古をしたり。一方、海の向こうでは戦争が始まり、キャストのひとりも戦地に行く決意をする。開演が迫る中、遅々と進まない稽古、果たして幕は上がるのか…と不安に襲われながらインターミッション。後篇は2時間ほどの舞台「親密さ」をそのまますっぽり内蔵しており、あれほど前篇でハラハラしたのが嘘のように「親密さ」は完成し観客の前で演じられている。やがて「親密さ」は幕を下ろし、時が過ぎ、恋人同士だったふたりは駅で再会する…という、不思議な構造を持つ映画。年末に濱口監督特集で他の映画を観て知ったことに、「親密さ」よりずいぶん前の「何喰わぬ顔」は、映画の中に映画をすっぽり内蔵しており、「親密さ」の芽吹きを感じられた。こんなのいつ発明したんだろ?と思っていたら、最初から発明していたのか。
後篇、舞台「親密さ」で読み上げられた手紙に書かれた言葉が記憶から消えない。ここしばらく耳にした中で、もっとも切実な愛の言葉だったように思う。口にして伝えるのではなく、手紙という手段を経由することで、言葉は切実さを増していた。手で書き、受取人以外の人目に触れぬよう封をする儀式を経ない限り、生まれない種類の言葉たち。
「親密さ」を観るのが先だったか、あの夜が先だったか順番は忘れたけれど、しばらく前、少し遠くで深夜に仕事が終わり、真夜中のタクシーに乗った。眠れずに窓から外を見ていると、渋谷駅近くに差し掛かったあたりで、歩道を歩く一組の男女が目に入った。
ずいぶん前、頑張れば渋谷から歩いて帰れなくもない距離に住んでいた頃、時折、夜中にこの辺りを歩いて家に向かった。終電を逃したからという理由の時も、なんとなく電車に乗りたくなくてという理由の時もあった。ひとりの時も、隣に誰かがいる時もあった。窓から見える、あの男女のように。
真夜中の東京の、街灯のオレンジに照らされて歩く男女は、映画の場面のようにフィクショナルで、演出されたように美しかった。タクシーの中で私は、過ぎ去った自分の若さとたった今、擦れ違った気がしていた。時空を隔てた幽体離脱のように、自分が自分を少し離れた場所から眺めている。永遠に失くさないと信じていても、あっさり隣にいる人の連絡先も失ってしまうし、名前すら忘れてしまったりもする。タクシーは夜道を進み、やがて彼らは見えなくなった。
映画館の暗闇で「親密さ」を観る気分は、真夜中のタクシーの窓からかつての自分と擦れ違ったあの夜に酷似している。この映画について濱口監督が書いた言葉を目にした時、確かにそんな部分で見たかもしれない、と思った。
「『親密さ』は、若い人たちに見て欲しいとよく言うのですが、正確には自分の『若い部分』によって見てもらえたら、と願っています。」
5 Best movies 2016 / Part1
春節も立春も過ぎ去り、2017年もすっかりスタートして久しいですが、Best moviesを書き、きちんと2016年にサヨナラの手を振りたいものです。
2016年、後半はサイトのオープン準備に勤しんでおり、特にweb構築を自分ですると決めてからの11月以降の記憶がない。メモを見ると11月、12月に20本ほど観てるっぽいけど、あのスケジュールの中どうやって時間を捻出したのか記憶が朧げすぎて狐につままれた気分。そんな理由もあって、ここ数年で最も鑑賞本数は少なかったけれど、覚えている範囲では1本1本の濃度は濃かった。
Best moviesを選ぶ基準は人それぞれあるだろうけれど、新作・旧作の区分はせず、2016年に初めて観た映画という定義で選びました。そう決めないと年1度は観るルビッチが永遠にBestを占拠し続ける事案が発生することと、新作・旧作を分ける理由づけが希薄で、日本公開がたまたま2016年で本国ではずっと前に製作されていることもあったり、永らく観たかった映画とリバイバルでようやく出会ったり、ということも、よくあることだからです。
Best moviesは5本選びました。順位はなく、つけられるはずもありません。
まず1本目、「ディストラクション・ベイビーズ」真利子哲也監督。
公式サイトより。
愛媛県松山市西部の小さな港町・三津浜。海沿いの造船所のプレハブ小屋に、ふたりきりで暮らす芦原泰良と弟の将太。日々、喧嘩に明け暮れていた泰良は、ある日を境に三津浜から姿を消す──。それからしばらく経ち、松山の中心街。強そうな相手を見つけては喧嘩を仕掛け、逆に打ちのめされても食い下がる泰良の姿があった。
街の中で野獣のように生きる泰良に興味を持った高校生・北原裕也。彼は「あんた、すげえな!オレとおもしろいことしようや」と泰良に声をかける。こうしてふたりの危険な遊びが始まった。やがて車を強奪したふたりは、そこに乗りあわせていたキャバクラで働く少女・那奈をむりやり後部座席に押し込み、松山市外へ向かう。その頃、将太は、自分をおいて消えた兄を捜すため、松山市内へとやってきていた。泰良と裕也が起こした事件はインターネットで瞬く間に拡散し、警察も動き出している。果たして兄弟は再会できるのか、そして車を走らせた若者たちの凶行のゆくえは──
ロードショーで見逃がし、早稲田松竹で捕まえてみると、「ヒメアノ〜ル」との2本立て。間違いなく2016年最もハイカロリーな2本立て、2本の映画の中で一体何人が暴力を受けたのだろう、という暴力映画たち。
「ヒメアノ〜ル」が最後、彼が人を殺す動機が明かされるのに対し、「ディストラクション・ベイビーズ」は最後まで泰良が暴力を振るう理由は明かされない。動機なき純粋なる暴力。何の説明もなく冒頭から日常の一コマのようにナチュラルに暴力が映され、周囲を巻き込み加速する。
もちろん暴力行為を支持も称揚もしないけれど、モラルは観ている間は完全に傍に追いやり(追いやることができなければ、最後まで観るのは辛いのでは)、ひたすら描かれるただただ純粋な暴力は、サバンナを駆ける野生動物たちの無駄のない動きや、オリンピック選手の筋肉をうっとり眺める時のような、不思議な陶酔をもたらすものがあった。
泰良(柳楽優弥)、動物として大平原に産み落とされていたなら違和感もなかっただろうに、人の形で松山に産み落とされてしまって、あなたも大変ね、と思わせる不穏な説得力。その野蛮かつ優雅な佇まいに、小悪党ども(菅田将暉、小松菜奈)が惹きつけられ内なる暴力を開発されていくさまも、弟(村上虹郎)に同じ血が流れていることを示唆する終わりも、消えたはずの泰良がまた地面から生えてくるような土着の匂わせかたも、すべて祭りの光と残り香に混じってこちらに届き、向井秀徳の音楽が流れる中、エンドロールを眺めながら嚙みしめる興奮は2016年随一のものだった。
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