5 Best movies 2016 / Part3
眠気も覚めました。書いたら眠るけれど。
5 Best movies 2016、3本目は濱口竜介監督「PASSION」、2008年の映画。
「同級生の結婚を祝福する若者たち。しかしそこで男の浮気が発覚し、カップルは別々の夜を過ごすことになる。」
夏、新文芸坐のオールナイト1本目で観て、冬にポレポレ東中野で再会。ブランクの半年、「PASSION」の全体は覚えていて、細部を確認したい気持ちだったけれど、再見してみると、自分は何を観ていたのだろう、と思うほど全体の記憶も曖昧だった。
この、ぼんやりと対象を捉えられない感じ、何かに似てるってしばらく考えて、例えば、淡い恋愛感情を抱いてる相手の顔って、思い出せなくないですか。私だけなのかしら、と思っていたら、案外そういう人はいるようで、眩しいものを見る時と同じで普段より瞳孔が開いてるせい説とか、心理学的な説とか、さまざま説があるらしい。己の強い好意は認めるけれど、その輪郭はあまりに曖昧、「PASSION」のこと、少し熱が冷めるまで正確に捉えられそうもない。
中心にいるのは5人の男女。相関図の矢印を書いても、誰の想いも一方通行で、誰かの好きな人は別の誰かが好き、ということがじわじわと炙り出される群像劇。舞台は横浜で、バス、埠頭、マンション、ビル、特別なものは何も映されないけれど、街がきちんと映っている。夜明けの埠頭での長回しのシーンが出色で、2人の会話が止まった時、乱暴に画面を横切る赤いトラック!あまりに映画的な瞬間に鳥肌が立ち、演出ではなく偶然だったと知ってさらに鳥肌が立った。
女性は2人いて、自分はどちらかというとタカコっぽい。タカコはカラックスのミューズだった頃のジュリエット・ビノシュのような雰囲気を持っていた。良くも悪くもタカコに矢印が集まりがちのは、タカコが恋や愛を信じていなくて(あるいは信じていない振る舞いをしていて)空洞だから(あるいは空洞そうに見えるから)ではないでしょうか。あいつのどこがいいんだよ?と問われたタカコが「彼も私も他人に対する期待値が低くて、だから一緒にいてラク」って、けっこうな愛の言葉だと思う。こんなこと言われたら、あいつのどこがいいんだよ?なんて質問する人は、すごすご敗北するしかない。
カホについては、自分にない要素ばかりだから興味深く観察した。ラストの展開が1度めはうまく掴めず、2度観てもわかったとは思えないけれど、彼らは別れ話でようやく、お互いを見たのかな。考えてみれば「ハッピーアワー」でも、純さんの旦那さんは、相手の不在でようやく己の愛に気づく、というキャラクターだったように思う。
この感想の散漫さが、私の「PASSION」への初心な愛を物語っております。眩しくて瞳孔が開いていたせいか。
新文芸坐で夜中に観終わり、しばらく呆然とした。台北を舞台にした恋愛群像劇であるエドワード・ヤンの「恋愛時代」を観た時、いつか日本映画で、こんなのを観られたらいいなと漠然と願った。都市を舞台にして、街も主役のひとりで、恋愛群像劇で、スケッチのようだけれど不思議に普遍でもある、そんな映画が、懐かし映画を発掘するでもなく、同時代に生まれたらどんなに心強いだろう、と。
恐ろしいことに20年経過し、自分の願いも忘れたまま、映画を観るたびに、まるで違う、近いけど違う、惜しいけど違うと、期待と落胆を無意識に繰り返してきたはずの、求めた映画が目の前にあった。しかも2008年に作られていたのを、ずいぶん見逃してきたのだった。大袈裟ではなく、忘れた頃に運命って向こうからひょっこりやってくるのだな。2016年、観る本数が減ったのは、慌ただしかったせいもあるけれど、100の映画を観るよりも、観るたびに新たな発見と新たな問いが生まれる1本の映画と出会ったからかもしれない。「PASSION」も「親密さ」もそんな映画で、2016年は紛れもなくハマグチの年だった。