Weekly28/LAMB/映画の秋
寒暖差と低気圧で身体の調律の困難さ極める秋ですね。
久しぶりに映画館通いを自分内解禁し、丸の内ピカデリーへ。アイスランド・スウェーデン・ポーランド映画『LAMB』を観た。
<あらすじ(公式より)>
ある日、アイスランドで暮らす羊飼いの夫婦が羊の出産に立ち会うと、羊ではない“何か”の誕生を目撃する。2人はその存在をアダと名付け育て始めるが——。
ホラーという紹介もあるようだけれどホラー感はなく、北欧民話のようだった。主人公夫婦は羊を世話し売ることで生計を立て、家内では猫や犬も飼っている。広大な自然の中に見渡す限り人影はなく、人間より動物のほうが頭数が多い場所で暮らしている。群れた羊たちの緊迫の表情の冒頭から、動物たちが揃いも揃って演技派で、特に猫!猫、少ない登場場面のすべてで記憶に残る演技を披露しており、K-POPアイドルも平伏す表情管理の巧みさだった。
羊ではない“何か”を我が子のように育てるうち(アダちゃん。キモかわ!特に手のあたり、見てはいけない禁忌に触れた感ある造形)、かつて子供を亡くした夫婦に芽生える親心によって、動物の領分に無断で土足で踏み込んでいく人間のエゴが暴走する。最後、え!これで終わり!ここからもうひと展開始まるんじゃないの?って、キングオブコントの厳しい審査員ような感想を抱いたけれど、振り返ってみるとあのエンディングだから親が子供に読んで聞かせるような、オチは弱いが教訓はある民話のような印象が増したのかもしれない。
科学博物館でWHO ARE WE展を観たばかり(このひとつ下の投稿参照)というタイミングもあって、動物の生態に興味はあるけれど動物を飼いたい、ひとつ屋根の下で生活をともにしたい、という欲望が自分にない理由が『LAMB』にあるように思った。人類である私は人類と生活したり交流したりするのは日々の営み、感情の動き、病や衰弱について同類としての相互理解が前提にあるから受容できるけれど、人類とは異なる生物群にはその前提がないことへの怖さを感じてしまう。わからない生物群に対し餌を与えることにより食糧を保障し、生存に最適の温度や環境を整え外敵から身を守る手伝いをするうちに、自然と主従の感情が芽生えてしまいそうで怖い。わからない、怖いと思いながらも生活は続くから、いつか『LAMB』の夫婦のように傲慢な支配欲が制御できなくなりそう…。
私なんぞ布と綿でできた小さなペンギンもふもふ愛でるぐらいが関の山よ、と自分と動物の関わりについて再考する機会がもたらされる、『LAMB』は教訓を含んだ民話的映画なのだった。
<最近のこと>
4回めのコロナワクチン(オミクロン株対応/4連続ファイザー)を10月はじめに接種。木曜に接種券を受け取り、金曜に予約し、土曜の夜に接種するスピード感だった。
副反応は過去3回と同じく接種翌日に38℃前後の発熱と、食欲増進。ふだん発熱時は食欲が減退するけれど、コロナワクチンに限っては食欲が増す。弱々しい自分を想像して準備しておいたゼリー飲料やお粥に目もくれず、朝からラーメン食べたり餃子焼いたりする食べっぷり。身体が混入した異物と闘っている!絶対に負けるもんか!という勢いで食べ、熱が下がるにつれ食欲が落ち着いていく。こんな副反応に最初はびっくりしたけれど、4回目ともなると慣れるものだな。
過去4回で一番、副反応が軽微だったけれど、オミクロン株対応ワクチンだからか、単に慣れただけか判断がつかない。
ワクチン接種も完了したことだし、気をつけながら映画の秋を楽しもう、と東京国際映画祭と東京フィルメックスのチケットを何枚か購入した。東京国際映画祭のチケットシステムが相変わらずの使いづらさでイライラすることまでも、コロナ前の秋を思い出すようで懐かしかった。イライラしたけれど。