スリー・ビルボード

 

あの場所の話ばかりしておるけれど、仕事をしていると、東京ミッドタウン日比谷を愛する友人から夕方に連絡が入り、帰りに待ち合わせてお茶しましょうよう、のお誘いだった。もちろん、東京ミッドタウン日比谷で。

 

上半期に観た映画、何が良かった?という話になり、友人は『アイ、トーニャ』かな?毒親の、酷い話だけれど、めちゃくちゃ面白かったとのこと。私は見逃してしまい名画座にかかるの待ち。マリちゃんは?と言われ、パッと思いついたのは『スリー・ビルボード』だった。道路沿いに看板を3枚立てる話、と説明したら、友人は「看板の話」と覚えたらしい。略しすぎのきらいはあれど、間違ってはいない。

 

『スリー・ビルボード』、早稲田松竹で観た。アメリカの田舎町、道路沿いある3枚の野立看板を見つめる中年女性。広告会社に行き、野立看板に文字を載せる。女性の、娘が殺され犯人はまだ捕まっていない。遅々として進まない警察の捜査を挑発する文字が看板に書かれる。

 

http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

 

タイトルそのままの、3枚の看板の話。それぐらいのあらすじ把握で観るべきだし、それ以上は知らないほうがいい。物語が、思いもよらぬ着地をするから。犯人を探して手に汗握る展開、結末は誰にも言わないでください…的映画とはまた違う、思いもよらぬ着地なんである。

 

監督のマーティン・マクドナーは劇作家として著名な人。早稲田松竹の最前列で観ると、視界が丸ごとスクリーンだったせいか、上質な演劇を最前列で観ているような気分を味わった。フランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル(!!!)、ウディ・ハレルソン、名優たちの繊細かつ豪胆な演技が触れるほどの距離にあった。かぶりつきで堪能した。

 

昨今の私の映画鑑賞傾向として、これまでよく観ていた古い日本映画への興味を失いつつある。家族ものでも恋愛ものでも、男は男らしく、女は可憐であれ、父は家長として振る舞い、母は家庭を支える…的物語、類型から外れるとすれば外れたことそのものがドラマティックに描かれがちで、それぞれの役柄が、それぞれの役割を綺麗に与えられすぎている窮屈さ、休日の貴重な時間とお金を使ってわざわざ眺めることに疑問が生まれた。映画が直接、現実生活の諸問題を解決するヒントや、明日の栄養を与えてくれるとも思っていないけれど、この2018年を生き抜くために、同時代の映画を観たいのです。

 

その点、『スリー・ビルボード』の登場人物たちよ。看板を設置する中年女性は、娘を殺された怒りに燃えているがゆえとはいえ、とても褒められたもんじゃない行動だってとる。言葉遣いも娘への態度も、模範的な母親とは言えないかもしれない。警察署長も警官だって然り。

 

誰もが一言では形容しづらい複雑さを抱え、物語の進行に連れ、そんな人だとは思わなかったけれどという一面が露呈しはじめ、人物相関図の矢印は乱反射し、展開が読めなくなる。そう人生は長い、世界は広い、自由を手にした僕らはグレー。あなたも私も白だけでも黒だけでもないんです。舞台がゆっくり暗転するように映画が閉じエンドロールが流れると、ああ現代の、現在進行形の映画を観たなぁ!と、まさに求めていた感慨で胸が満たされた。

 

 

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