鈴木清順監督
何をどうしたらそこが?と不思議ながら、派手に寝違えたのか、背中の左半分に激痛。椅子に座るのが辛いので、早々にベッドに入り、枕をあてがいながら書き作業を進めておる。
鈴木清順監督が亡くなった。93歳。オリヴェイラは映画監督の姿形をした天使か何かだと思っていたし、鈴木清順は映画監督の姿形をした仙人か何かだと信じて疑わなかったので、ふたりとも人間だったのだね…!そして人間には寿命があるんだね…という気持ちでいる。
ユーロスペースでの、宍戸錠さんと監督のトークに行ったのは何年前だっけ。宍戸錠さんはご自宅が全焼しニュースを賑わしていた頃だったけれど、お顔もテカテカツヤツヤ、全身から陽のオーラ漂い、何があってもスターはスター!と圧倒された。監督はすでに車椅子、酸素ボンベからチューブで吸入しながらの登壇だったけれど、スター宍戸をちょこちょこからかいながら、終始飄々としておられ、レトロスペクティブながら、懐かし話も深いい話もしてやるもんか、みっともない。という江戸っ子っぽい気概、満席の場内は笑いに包まれていた。
初めて観たのは「陽炎座」を、家でVHSで。高校時代にあんなのを観てしまって、その後の人生が数ミリ歪んだように思う。「物語る」ことを放棄するかのような展開、けれど耽美なイメージの連続が目に雪崩れ込み、映画とはなるほど活動「写真」なのだから、物語が破綻しても強いイメージの連続で時間を構成することができるのだな、と最初の衝撃を受けた。その後何度も観て、物語についても謎解きのように徐々に理解は深めているけれど。
語録も痺れるものばかりで、山口小夜子さんとの対談だったか、
「愛」なんてものは嫌いだよ。そういうウジウジしたものは。
という一言が、生粋の江戸っ子っぽくて、そして清順映画そのもので、やたら記憶に残っている。
12月、本郷の教会での上映会で買った文庫本を開いてみる。「恋愛」というエッセイがあったので、お?とページをめくると、書き出しから、「馬鹿な奴程燃え上がる。」、そして「男は迂闊に恋をしてはならぬ。」と締め括られていた。