フランシスカ
アテネフランセにて。マノエル・ド・オリヴェイラ特集、先週観たものについて。
去年3月、ユーロスペースでの上映を皮切りに全国巡回したプログラムに数本追加した東京最終上映。追加された未見の「フランシスカ」がお目当て。(上映作品一覧)
1850年代のポルト。小説家カミーロ・カステロ・ブランコと友人のジョゼ・アウグスト、そして「フランシスカ」と呼ばれる英国人の娘ファニー・オーウェン、実際にあった3人の恋の物語をもとに、アグスティナ・ベッサ=ルイスが書いた小説「ファニー・オーウェン」の映画化作品。二人の男に愛されたフランシスカはジョゼを選ぶが、3人の関係は悲劇的な結末を迎える。
三角関係もの大好き(ルビッチ好きたるもの!)なので、あらすじをざっとチェックして楽しみにしており、なんとなくトリュフォー「突然炎のごとく」のような感じなのかな…でもオリヴェイラだし何が起きるか…と観てみると、男2人(ジョゼ、カミーロ)が文学青年かつ親密で、やっぱり「突然炎のごとく」っぽい!と思っていたら、ジョゼだかカミーロだか(最後までどっちがジョゼでカミーロなのか識別できなかった…愚鈍な私の目…)が、女というのは何も知らない方がいい。そっちの方が自分好みに育てられて好都合というようなセリフをのたまったので、えー!!と軽く引いた。
「突然炎のごとく」って、ジャンヌ・モローが小悪魔的にコケティッシュで男2人が翻弄される物語のように思えるけれど、ふと考えてみると原題も「Jule et Jim」と男2人の名前だし、男同士が仲良くいちゃいちゃ暮らしているところに女が割りこもうと躍起になって自滅していく物語にしか思えず、そんな振る舞いのどこが小悪魔なのか、と考えるに至った。一方「フランシスカ」、タイトルも女性の名前だし、男2人がフランシスカに翻弄されて変化していく物語なのでは…と、ぬけぬけとのたまったセリフに軽く引きながらも、いつフランシスカが反撃に転じるのか期待しながら観ていたら、男から心ない疑惑をかけられ、フランシスカはあっけなく死んだ。えー!早まらないでフランシスカ、地球上に男は何人いると思う?…35億…あと5000万…!今すぐその2人から逃げて…!と頬を張りたくなるよ。
オリヴェイラ、「アブラハム渓谷」なんて、女の一生を描いた傑作を撮った人だから、「フランシスカ」の展開は意外。そして憤懣やるかたない気持ちになったけれど、音楽が終始、映像と合っておらず、辿り着いた明るくはないラストで、無闇に明るい音楽が高らかに鳴り響いており、これはもしや、真剣に観てはいけない、すべては茶番、コメディー、深刻な面持ちで愛や女を語りながらも、幸せにすることなく女を死に追いやった男2人の面を晒しものにするような、見てやってくれよこの哀れな男どもを!と、オリヴェイラ流のシニカル演出だったのではないか…と最後に思った次第。こじつけだろうと、そうとでも思わないと私の心はどこに向かえばいいの。映画は長く、眠気を誘うテンポだったけれど、男がいきなり馬に乗ったまま部屋に入ってくるなど、謎めきながらも笑いを誘う演出がいくつかあって、オリヴェイラらしさは味わえた。
その後、遺作となった短篇「レストロの老人」について、ポルトガル文学者の方のレクチャーがあり、最後に「レストロの老人」の上映もあった。以前、この短篇を観た時、1%も理解できなくて呆然としたけれど、それも当然と思えるほど、ポルトガルの歴史や文学が重層的に編み込まれているということを、丁寧に紐解いたレクチャーだった。付け焼刃的に知識を得たところで血肉になってはいないので、改めて観た「レストロの老人」の理解度はあいかわらず3%ほどだったけれど、1%→3%の理解度向上のために、知らないことを知ることが役割を果たしており、知識がなければ楽しめない種類の映画は存在し、オリヴェイラのいくつかの作品は完全にそれである、と思い知った。