高校

 

土曜の映画。フレデリック・ワイズマン「高校」。1968年。

 

ヴェーラのサイトより。

 

フィラデルフィア郊外にある“模範的な”高校の日常を追っている。朝のホームルーム、授業の風景、生活指導、父母を交えた進路相談、男女別に行われる性教育や家庭科の授業、クラブ活動……。高校を構成する教師、生徒、親、管理職たちの関わり合いの中で、イデオロギーや価値観が醸成され、伝えられていく様が映し出される。

 

手元にある「フレデリック・ワイズマンのすべて」によると公開後、賛否両論を呼び、舞台となった高校の校長が矢面に立たされた結果、上映禁止を呼びかけ、フィラデルフィア市から半径50マイル以内の上映が禁止されたと書かれており、ワイズマンの第1作「チチカット・フォリーズ」(精神病棟を撮った映画で同じく物議を醸した)に続く第2作がこの「高校」だから、この映画もまた過激な何かが切り取られているのかしら?と思いながら観ていたら、あっけなく終わった。75分の上映時間は、ワイズマン映画の中では随分短い。

 

観終わった直後は男女別に体育館に集められ、性教育を受けるくだりばかり思い出し、特に男子生徒に性知識の重要性を説く婦人科医が、装いは紳士的ながら、語り口がまるでスタンダップ・コメディアンのようで、不道徳すれすれのユーモアを交えながらレクチャーする姿(思春期男子たちは倒れんばかりの大爆笑)に圧倒されたけれど、冷静に考えてみると、淡々と観たつもりの幾つかのシーンが、68年に撮られた事実とともにワイズマンの思惑を象りはじめる。

 

舞台となった高校は界隈で随一の進学校とのこと。学生も教師もほぼ白人。公民権運動がピークに達し、撮影中にキング牧師暗殺事件があり、そのニュースにも触れられるけれど、黒人と一緒に学ぶこと暮らすことをどう思うか?の問いに、生徒たちの何人かは、何故そんな質問をするのか?当然、反対である、という憮然とした表情で手を挙げる。

 

冒頭、自己主張の激しい生徒に対し、厳しく規律を求める教師。女子生徒が作ったドレスを品評する小太りの家庭科教師は、平然と「ドレスはいいが、脚が太いのが残念」と繰り返し言い放つ。ヴェトナムの戦場に向かう卒業生からの手紙を、お涙頂戴とばかりに感情的に教師が読み上げて終わる、この映画の構造を思い返すに、淡々とあっさりした映画に思えたけれど、ワイズマンの批判が色濃く表れたカメラ位置であり、編集だったのだな、と思えてきた。

 

模範的なアメリカ人とは白人であることに誇りを持ち、規律を守り、ユーモアを交えた性教育を受け、健康な男子はお国のためにヴェトナムに行き、女子は脚が細い。判を押すように生産される「善きアメリカ人」工場としての高校。60年代らしいフレームの眼鏡や洋服のシルエット含め、アメリカの歴史を知るために、この短い映画をまた何度も観たい。

 

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Mariko
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