ロミーとミッシェルの場合

 

家で観た映画の記録。「ロミーとミッシェルの場合」。いこさん連載第2回がこの映画だったので懐かしくなり、ものすごく久しぶりに観た。

 

あらすじについては、いこさんが書いているとおり。

https://cinemastudio28.tokyo/happyhourfromkyoto_002

 

この映画、リアルタイムでは観ておらず、東京に引っ越した後、何度もレンタルで借りて観たことを覚えている。DVDじゃなく、レンタルVHSの時代。その頃の私の24時間ときたら、仕事(18時間)→通勤・その他(1時間半)→睡眠(4時間半)と、とにかく仕事しかしておらず、土日も平日もなく毎日その調子というのに、なんとなく金曜夜になるとルーティン以外のことをしたくなって、いそいそ映画をレンタルしに行ったり。小難しい映画を観る体力は残っていないから、何も考えず頭がほぐれる映画が良くて、アメリカの学園ものや、たわいもないロマコメを、ただでさえ少ない睡眠時間を削って観ていた。寝なさいよ、と思うのだけれど、それとこれとは別腹というもの。「ロミーとミッシェルの場合」もそんなふうに、パッケージの能天気さに惹かれて借り、なぜか心に引っかかって何度も何度も借り、気がつけばお守りのように握りしめていた映画。

 

今回、その頃ぶりに観てみて、前半あまりのお馬鹿なトーンに唖然とし、これをお守りのように握りしめていたなんて、あの頃の私はどれほど追い詰められていたのか…と、かつての自分をいまさら心配したのだけれど、最後まで観て納得。

 

途中、ロミーとミッシェルが喧嘩をする展開があり、しょうもない理由で、2人とも顔が引きつってるから本意ではないと誰の目にもわかるけれど、他者の目を気にして自分ではない誰かに成りすまそうとするロミーに対して、ミッシェルの苛立ちは「どうしてロミーではない別の誰かになろうとするわけ?ロミーはロミーだから素敵なのに。だからロミーは私の親友なのに!」という一点にブレずにあって、それこそこの映画の奥底をひたひた流れる哲学なのだね。90年代風のシャイニーな衣装に包まれた骨太な哲学!

 

ということを、自分は大事に思っていたのだ!と急速に思い出した。確かにこれは、働きすぎて消耗しかけていたあの時、私の胸ぐらを掴み、私を私に戻すための強力な装置として機能していた映画だったのだ。

 

お馬鹿でポップなだけではない「ロミーとミッシェルの場合」、知る人ぞ知る領域にある映画だけれど、いろんな人と話してみたい映画なのです。写真のミッシェルは、さくらんぼのネックレスとイヤリングが似合っていて、確かに「亀廣保」の干菓子、そのままイヤリングにしそうね!

 

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Mariko
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