夏の最終日
今年の夏は、部屋に篭りがちではあったけれど、外に出る時はいきなり台北に行ったり、いきなり富士山に登ったりと、行動の振れ幅が極端であった。
霧たちこめる富士山6合目。
手帳型のiPhoneケースが傷んでおり、同じ形状のもので買い換えるかを考える。会社のセキュリティカードやPASMO、クレジットカード等、たくさん入れられるのは便利だけれど、それらを使うためにケースを開くたび、iPhoneを触ってあれこれチェックする癖がついてしまったことを憂いている。
クリストファー・ノーランは携帯電話を持たず、メールアドレスも持ったことがないらしい。周りにたくさん人がいて、用がある人が向こうからはるばる訪ねてきてくれる人だからこそ許されることかもしれないけれど、細切れに情報を摂取しないから生まれる余白の時間が、あの独創的な映画を生み出しているのかと思うと興味深い。私は持たないことは不可能だけれど、触れる時間はなるべく減らしたいと思っている。工夫あるのみ。
そんなことを考えた、肌寒い夏の最終日。
誠光社の堀部店長の、こちらの文章が切実で良かった。「少しずつ時間をかけながら行うべき価値観のすり合わせを勇み足で迫った彼は、それだけ孤独だったに違いない。」