台北ストーリー / タレンタイム
久しぶりに、ギンレイホールへ。アジア映画2本立て。素晴らしい番組だった。
・台北ストーリー
エドワード・ヤン監督、1985年。侯孝賢、蔡琴、監督の盟友と奥さんが主演。観るのは3度めで、近いところではリマスタ版ができた時、フィルメックスの先行上映で観たら、上映前に現在の年齢の侯孝賢がビデオ舞台挨拶し、「彼の周囲にいる人間は、彼の映画に出ることから逃れられない」って言ったのが可笑しかった。以下、ギンレイでもらったリーフレットから、あらすじ。
家業を継いだ元野球選手のアリョンと会社勤めでキャリアウーマンのアジンは幼なじみのカップル。ある日アジンが突然解雇されアメリカへの移住を考えるが…。急激な変貌を遂げる80年代の台北を舞台に、過去に囚われた男と未来に想いを馳せる女のすれ違いを描く!
エドワード・ヤンの映画に登場する人々は、ここではないどこかに行きたがる人と、今いる街で生きていくことを諦念まじりに受け入れた人がいつも登場し、両者の軋轢で物語が転がってゆく。その舞台になる台北も、生き物みたいに日々変化していて、街の過渡期をいつも捉えているけれど、考えてみれば、街っていつも過渡期で完成形があるものでもないのだった。
エドワード・ヤンのフィルモグラフィのうち、特に好きな1本というわけではないけれど、富士フィルムの電飾看板がどーんと大写しになる夜の場面のために、定期的に観たくなる。あの看板は今はもうないけれど、看板のあったビルは今も存在するらしい。
・タレンタイム
2009年のマレーシア映画。ヤスミン・アフマド監督。
とある高校で音楽を競うコンクール「タレンタイム」が開かれることになった。女子学生のムルーや優等生のカーホウ、転校生ハフィズらは様々な葛藤を抱えながらタレンタイムに挑む…。多民族社会で生きる思春期の若者の心情をみずみずしく描いた青春群像ドラマ!
わー、うまくまとまったあらすじだけれど、これだけで映画の魅力を説明しきれていない感も同時にすごい。映画が始まってすぐ字幕で、様々な言語が入り混じる映画です、と説明が入る。言葉だけでなく登場人物たちの宗教も、属する社会的階級も違い、同じ中華系でもエリートもいれば、ムルーの家のメイドのようにそうじゃない人物もおり、誰の背景もシンプルではない。差別や嫉妬も隠すことなく物語の中に編み込まれてゆく。マレーシアの映画、映画祭で何本か観たけれど、宗教儀式(「タレンタイム」では葬儀のシーンがある)や美しい自然の描写も必ず登場するイメージがあり、それらはマレーシアの日常を描くための必須事項なのだろうけれど、「映画を観る歓びのひとつは、新奇なものに触れることである」という、そのものずばりの感慨をいつも抱く。
ムルーと聴覚障害者の青年との恋では、言葉が通じない二人が表情を読みとったり、手話という新しい言語を覚えることを始め、ルビッチ「ニノチカ」のような信じる・属するものが違う二人が愛ゆえに違いを乗り越えていく物語が現代にもあれば!といつも思っているけれど、「タレンタイム」、設定は大きく違えど、探していたものの手触りが僅かでも確かにあって、意外なところで出会っちゃったな、と思った。生徒が歌う歌は吹き替えらしいけれど、音楽も素晴らしい。
「台北ストーリー」「タレンタイム」の2本立て、振り返ってみると共通項はいくつもあって、エドワード・ヤンもヤスミン・アフマドも若くして亡くなっており、どちらにもアジア映画らしくバイクが登場。そしてエドワード・ヤンの映画といえば、電気を点けて消す動作が印象的に登場するけれど、「タレンタイム」、電気がついて映画が始まり、電気が消えて映画が終わった。
ギンレイホールで、金曜まで。
http://www.ginreihall.com/schedule/schedule_170902.html