女が身ひとつになるシリーズ
部屋の片付けに弾みがついてきて、片付けハイの状態にある。あっさり手放せるものとそうじゃないものの境界線はどこにあるのか、まだ説明はうまくつかない。映画に関するものも、賞味期限が過ぎたものは手放しているけれど、本も資料も何年ぶりかに触ってみると、それを大事に手に入れた時の自分も同時に思い出し、懐かしくも面倒。そういう種類の湿り気、苦手なのよね。
「スタージェス祭」のパンフレットは捨てない組。1994年に渋谷で特集上映(と言っても3本)された時のパンフレットで、3本分のシナリオも採録されて豪華。もちろん上映には行っておらず(そもそも東京に住んでいない時期)、古本屋かオークションで手に入れたもの。このクラシック上映は監督別にシリーズ化していたようで、大切にしているルビッチのものもこのシリーズ。パンフレットのデザインがいいね、と思ったらコズフィッシュが手がけていた。
プレストン・スタージェスはハリウッドのコメディ監督。スクリューボールコメディの名手と呼ばれている人。ルビッチほどでないにせよ大好きな監督で、シネマヴェーラなどでクラシック特集があった際は、ラインナップにまずスタージェスの名前を探す感じ。このパンフレット、片付け祭の合間に手に取るにふさわしく、3本のうち1本「パームビーチストーリー」は、女が身ひとつになるシリーズの系譜なんである。
「パームビーチストーリー」はいくつか邦題がある映画で「結婚5年目」と呼ばれていたりもする。名の通り、結婚5年目の夫婦が倦怠期に陥り、もうイヤ!と妻が身ひとつで家を飛び出し、やがてまた戻るまでの珍道中。この映画の清々しいところは、まさしく身ひとつである点で、お金も持たずにとりあえず駅に向かって走り、改札では周囲のおじさま方に色目を使って入場、そのまま電車に乗っちゃう。銃を乱射する過激なおじさま集団と触れ合ったり(電車と銃はスタージェスの常連アイテム)、御曹司に見初められ贅沢三昧を味わったり、片付け本によくある、新しい何かに出会いたければ、何かを捨てなければならないのです的セオリーを王道でいく展開だけれど、この妻は美貌と愛嬌で難事をくぐりぬけながらも、モノにはさっぱり執着なさそうなのが最高。スタージェスの女たち、みんなカラッと陽性でかっこいいの。
片付けの息抜きにパラパラ開いてみたら、中野翠さんのエッセイがあり、スタージェスの魅力がしっかり書かれていて同意しきり。
プレストン・スタージェスのどこが一番凄いかというと、タメを利かせないところである。ものすごく凝ったセリフや卓抜なギャグがギッシリと詰まっているのだが、セリフとセリフの間の余白や空白はギリギリに切り詰められているし、”思い入れたっぷり”みたいな場面は極力排除されている。タメを利かさずに、ひたすら先を急ぐ。しんみりしたり、ほのぼのしたり、うっとりしたりしているヒマもなく、どんどんどんどん先へ進んでしまう。(中略)こういうタメを利かさないコメディというのは、嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好きである(当たり前のようだけど)。私は、こういうコメディのほうが、何か、下世話な道徳性とスッパリ手を切っているようで、爽快痛快に感じてしまう。コメディというのはテンプラのようなもので、カラッとしているほど上等だと思う。説教や人生訓といった不純物の多い油で揚げちゃあ、ダメなのよ。
そうなのよ!あー、言いたいこと書いてくれててスッキリした。そして明日のお昼は、会社の人たちとテンプラ食べに行く約束なの思い出した。初めて行く店だけれど、カラッと上等なテンプラならいいなぁ。