トランプと湯たんぽ
金曜夜にジャズコンサートから帰った後は、ひたすら部屋に籠って片付けたり、家まわりの連絡をしたり(設備に不具合があり不動産屋に連絡)、28に関する連絡メールを何通も送る等、部屋着のような格好で地味にto do listを消してゆく週末を過ごした。
特に今年に入ってから加速していることに、部屋じゅうのモノが壊れる。材質的にも強度的にも壊れようがないだろう、と思っていた金属製の湯たんぽですら壊れた。小さな穴があいた)。薄ら怖くなって「モノ 壊れる 同時 意味」などgoogleに尋ねてみたら、大きな変化の前の予兆、吉兆と書かれていることが多く、買い替えで発生する面倒気分を期待で制御しようとしておる。
ロメール「緑の光線」では、浮かない表情で街とヴァカンス先を往復するデルフィーヌが、あちこちで偶然、トランプのカードを拾うという不思議エピソードが度々挿入され、彼女に訪れる変化の予兆をさりげなく示していた。デルフィーヌのトランプ、私の湯たんぽ。
シナリオ採録つきのパンフレットを取り出し、ついでにMONKEY映画特集号も。西川美和監督による「我が心のデルフィーヌ」という、「緑の光線」のデルフィーヌに触れた短篇が収録されている。この号は「永い言い訳」公開と同じ頃に発売され、この短篇はどう読んでも「永い言い訳」を連想するものだった。
終わるときは終わるし、壊れるときは壊れる。そういうものよ。壊れてもいいから、私も観たいわ、緑の光線。明日は雪らしいけれど。