あさがくるまえに

 

早稲田松竹で観た「あさがくるまえに」。カテル・キレヴェレという若き女性監督。

 

サイト(こちら)のあらすじより。

 

ル・アーヴル。夜明け前、ガールフレンドがまだまどろみの中にいるベッドを抜け出し、友人とサーフィンに出かけたシモン。しかし彼が再び彼女の元に戻ることはなかった。帰路、彼は交通事故に巻きこまれ、脳死と判定される。医師はシモンの両親に移植を待つ患者のために臓器の提供を求めるのだが…。

パリに住む音楽家のクレールは末期の心臓病である。生き延びるためには心臓移植しか選択肢はない。しかし彼女は、若くない自分が延命することの意味を自問自答している。そんな時、担当医からドナーが見つかったとの連絡が入る――。

 

最前列で観ていると、冒頭のサーフィンのシーンの迫力に圧倒された。あらすじを把握せずに観始めたけれど、この後に何らかの不幸があるのだろうな、と予言するような波の迫力。波と戯れる生の極みにあるシンプルに若い青年たちと猛々しく死を匂わせる波との強いコントラストがそのまま生と死のあわいを無言で表現していた。

 

物語そのものに心動くというより、タハール・ラヒムはじめ昨今のフランス俳優陣にさほど明るくない私でも、それなりに見覚えのある俳優が何人も出ているのに、彼らが群像劇の一部としてうまく周囲に馴染み、うまく気配を消しており、結果、失われようとする若い命や、彼の身体が動いていた頃の小さな恋の思い出など、映画のフレッシュな部分が際立って見えることに心動いた。心臓を移した後の身体なんて、肌もなめらかで彫刻のよう。こんなふうに若さを扱えるのは、監督自身の若さゆえなのだろうか。横たわる女性の目のクローズアップで映画が終わったことも、「あさがくるまえに」を印象深く記憶したことの理由のひとつとして、記録しておきたい。

 

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