ヘイズ・コード研究

 

と、いうほどの真面目なことではないけれども。

 

午後、古い日本映画をDVDで観ていて、物語も俳優も素晴らしいのに、ひたすらテンポが悪く、それがゆえに映画に乗り切れなかった感が気持ち悪く、発作的にルビッチ=テンポの神様を求めた。久しく観ていないなぁ、観たいなぁ。

 

「シェイプ・オブ・ウォーター」を観た後、監督インタビューをいくつか読んだ。デルトロのインタビュー、どれも内容が違っていくつか読んでも全部違うから面白いの。特にこのインタビューが読みごたえあり。

 

https://www.cinematoday.jp/interview/A0005905

 

とりわけ興味深かったのは、

 

Q:では次回作のためにどんな準備をしているのですか?

今は1930年代に作られた映画をたくさん観て、次回作への刺激を受けている。ハリウッドでは1934年にヘイズ・コード(道徳的な側面から映画を検閲する制度)が実施され、それ以後は映画にさまざまな制約が作られた。ヘイズ・コード以前の映画には、悪い者が勝利して善人が敗北したり、女性が2人の男を愛したり、不倫をしたりと、自由な発想で作られた大人の映画がたくさん存在した。そうした映画の可能性や、映画本来の純粋な美しさを、今僕は吸収しているところだよ。

 

という箇所。反射的にルビッチ映画のいくつかを連想した。デルトロ、ルビッチ観てるかなぁ。デルトロのルビッチ論を読みたい。「女性が2人の男を愛したり」=「生活の設計(1933年)」のことでは?

 

ルビッチとヘイズ・コードの関連には興味津々で、文献を読むほどではないけれど、時折ざっと検索して知識欲を満たしておる。「生活の設計」で、ミリアム・ホプキンスが「NO SEX!」って言い放った時、30年代にそのセリフはOKだったのか!という事実にちょっと感動。可能だったのはヘイズ・コード施行前の映画だったから、なのかな。「天使」は1937年のため、ヘイズ・コード施行後の映画で、ディートリッヒ演じるエンジェルは、夫のいる身でありながら、別の男に心を動かす筋書きだけれど、コード的にOKだったのか?OKだったから21世紀に私が無事、観ているのだろうけれど…と思ったけれど、「天使」はもともと舞台だったのを映画化した物語で、舞台では娼館で出会う設定だったところを、映画ではロシア大使館と置き換え、舞台では明らかに情事があるのを、映画では食事にとどめる等、ヘイズ・コードを意識した書き換えがなされている事実を知った。…知識欲が満たされた興奮!

 

ルビッチが傑作を連発していた頃と、ヘイズ・コード施行前・後が重なるので、今後もこの極私的かつざっくりした研究は続く…。

 

ルビッチ映画はとりわけ女性が魅力的で、魅力の理由は彼女たちがもれなく精神的に自立した存在であるから、だと思うけれど、ほとんどが上流階級の物語で、女性たちは働かず、執事や召使がいるため家事も一切しない。豪華な生活は社会的地位の高い夫の稼ぎによるもので、女性の自立=経済的自立とセット、という論調からは外れる。確かにルビッチ映画の女たちは、経済的自立はしていないけれど、精神的自立はしている、という点も興味深く、こちらも極私的かつざっくりした研究の対象なんである。

 

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