谷川俊太郎展

 

金曜夜に観た、谷川俊太郎展について。展示、え、これだけ?と最初は少ないと思ったけれど、気がつけば時間を忘れて没入しており、ひとりの人間の過去・現在・内側・外側を、さりげなく網羅的に見せながら、生まれた言葉、言葉を生むことそのものが展示されていたとしか説明しようのない感覚が生まれた。初めて味わう種類の感慨だった。

 

図録は中身を確認して結局買わず、あの展示空間が期間限定のものだということが寂しい。家から5分ほどの場所に、気が向けばいつでも遊びにいける公園のように、あの展示空間が存在してほしい。好きに寝転んだり、コーヒーを飲んだりしたい。

 

https://www.operacity.jp/ag/exh205/j/gallery.php

 

 

谷川さん以外の言葉が並ぶこの壁、この一節は聖書のものだろうと思いながら読んでいたら実際そうだった。最下部にある「著作者より引用の許諾を得ていないことを、お詫びします。」という一文に笑った。そうか、許諾なしに引用しても、お詫びすれば良いのか…(もちろん違うだろうけど…)。きちんと段取りを踏むとして、聖書の引用って、どこに許可を求めればいいんだろう。

 

展示された手紙はどれも素敵で(三島や、武満徹の直筆!)、谷川さんのお父さんからの手紙がとりわけ良かった。ご両親が出会った頃から送りあっていたという手紙が本になっているらしいので(『母の恋文』)、早速読むつもり。

 

映画的には、市川崑と撮った古い写真が展示されていた。年表を観ると、市川崑・和田夏十と出会った年、と明記されてもいた。『東京オリンピック』だけの関係かと思っていたけれど、他の映画(『股旅』など)にも携わっていたと知る。2020年のオリンピックも、何らかの形で関わってくれるといいなぁ。

 

10年以上前、谷川俊太郎さんと少しだけお話する機会があり、その頃の私の関心は、言葉は頭と体の中間の曖昧な位置にあるもので、体のものでもある以上、スポーツ選手が日々鍛錬するように、ピアニストが1日休むと3日損失するといわれるように、使いこなしたいと願うならば、言葉も日々鍛錬しなければならないのではないか、という点にあったので、「谷川さんは毎日、詩を書くのですか?」という質問をしてみました。お答えは「僕はパソコンで書くので、毎日パソコンの前に座り、言葉を書いたり消したりします」とのことだった。パソコンというのが少し意外だったのと、やっぱり毎日か!と思ったことを覚えている。確か夏で、展示されていたような、洗いざらしのTシャツ姿だった。

 

 

会場に歴代のワープロ、パソコンが展示されていた。書院、iBook、VAIO。私がお話した頃は、右下のVAIOの前に日々座っていらした頃かと思う。

 

 

そして、こんなメモも貼ってあって。今週、私は包丁でさっくり指を切ってしまい(指と白菜を混同)、右手人差し指という使用頻度の高い指なので生活に支障がややあるのだけれど、PCのキーボードは支障なくタイプできるけれど、万年筆で手帳に予定を書き加えることが痛くてできない。意識していなかったけれど、手書きって想像以上に指に力がいるのだな、と思い知った。そう考えると、PCで生み出される言葉と、手書きで生み出される言葉は、そもそもの体力のかけ方がずいぶん違うのだなぁ。こんな時代に敢えて手書きにこだわる人は、「力を使って書いた」ということが、言葉を生み出すにあたって大切な人なのでは。

 

谷川さんとお話した日は、女友達と一緒で。「谷川さん、きっとすごくモテる人だと思う」と私がつぶやくと、友達が「ね。手とか、触りたいって感じの人だったね」と言い、きゃあきゃあ言いながら帰り道を歩いた。

 

谷川さんに会いに行ったような気分になる展示だった。ギャラリーを出ると、寂しさで心が覆われた。オペラシティで、明日まで。

https://www.operacity.jp/ag/exh205/

 

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