万引き家族

 

是枝裕和監督『万引き家族』、先行上映で観た。

 

http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

 

『誰も知らない』のように、最後にエモーショナルな歌が流れて泣かせてくれることもなく、観客は苦々しさとともに映画館を去ることになる。祖母、父、母、叔母、息子、娘、それぞれがそれぞれの役割を家族の中で演じることを渇望した熱量のせいか、擬似家族の生活はファンタジーのようだった。

 

ただ息子の役割を全うするだけでよかったはずの少年が、不意に妹という存在を得たことで、兄としての役割まで演じることを急遽求められ、父から息子に伝承されたゲームのように興じていた万引き行為の社会的正当性(正しいはずがない)を問い始めたところからファンタジーに綻びが生じ始める。家族が静かにゆっくり解体されてゆくのをただ眺めることしかできないなんて小津映画みたいだった。

 

映画祭などでどこにあるのかもわからないような国の、小さな家族の物語に触れると、少しはその国の実情を知った気になる。俳優たちがその国で有名なのか無名なのかは知らず、名前を覚えることもない。それでも忘れた頃に、ふとその国のニュースを耳にすると、ああ、あの家族たちは大丈夫かしら、と映画と現実が混じり合うことは時折あって、短時間の、フィクションであっても、触れた物語は私の中にそんな痕跡を残してゆくものだけれど、『万引き家族』で目撃した一人ひとりも、そんなふうに不思議な匿名性をもって記憶に残るだろう。日本に暮らす私には子役のふたり以外はよく見知った俳優ばかりだけれど、それぞれが名前を消して、あの家族の一人ひとりとして存在することに成功していた。とりわけ海水浴の場面で砂浜に座る祖母は、間も無く命が消えようとする人そのもののような、もはや自分の肉体の重量を自分自身ではどうにもできないような、ごろんとした個体として画面に映っていた。

 

けれども観終わると、しばらく安藤サクラのことばかり考えた。

 

パルムドール獲得が発表されて以来、まだ映画が公開されていないにもかかわらず、ネガティブな反応も目にしたけれど、是枝監督のこのコメントには大人の対応だな、と強く思わずにはいられなかった。大人の大人らしい振る舞いを見聞きすること自体が、久しぶりだったからかもしれない。

 

「21年ぶりの(日本映画の)パルムドールということで、思った以上に取り上げられて、普段、映画について語らない人たちもこの映画について語る状況になって、一部で、僕と僕の映画が物議を醸しているかのような状況になっていますが、それはこの映画が、通常の枠を超えて多くの人のところに届いているのだなと個人的には前向きに捉えています」

 

 

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