白夜
借りては返し返しては借り、定期的に通っている図書館のサイト、返却日確認や予約のため、最もアクセス頻度の高いサイトかもしれない。新着DVDのお知らせをクリックしてみると、ヴィスコンティ『白夜』があったので借りた。ジップロックで貸し出される文京区スタイル。
5年ほど前、『白夜』のリバイバル上映をユーロスペースに観に行くと話したら、ヴィスコンティの?と言った人がいた。私が観に行くのはブレッソン『白夜』だったけれど、ドストエフスキー原作のささやかな物語は、ブレッソンより前にヴィスコンティも映画化していたと知ったのはその時で、ヴィスコンティ版を観る術がわからず、図書館のおかげでこの度めでたく機会があった。
原作のあらすじは、
サンクトペテルブルクに引っ越して以来友人が一人もできず夢想的で非常に孤独な生活を送る青年が、白夜のある晩に橋のたもとで一人の少女の出会う。不器用な青年は少女に恋心を抱き、逢瀬の度に気持ちは高まる。しかし少女の婚約者が現れその想いはあえなく散ってしまう。
wikiで調べてみると、ヴィスコンティやブレッソン以外に様々な国で映画化されているらしい(こちら)。登場人物も少なく、どんな街でも舞台となり得る物語だから納得だけれど、インドで何度も映画化されているのが不思議。最後は全員で歌って踊ったりするのかな…。
ドストエフスキーの原作にも手を出してみようとしたものの、主人公の男があまりに多弁で辟易とし、数ページで挫折した。ひとたび男が話し始めると、文庫数ページにわたって一人語りが続く。その語りの長さが彼の孤独の深さを表しているものの、多弁な男に苦手意識が強いもので、この男の口をピシャッと閉じて物語のエキスだけ抽出したブレッソンはさすがだなぁ…と敬服。先に観たブレッソン版の印象が強烈だったせいか、ヴィスコンティ版はさほど好みではなかった。
映画の設定はブレッソン版のほうが年齢も含め原作に近いと思う。ヴィスコンティ版は、当時30代に差し掛かっていたマストロヤンニに合わせてということか、うだつがあがらないサラリーマン設定。女性に縁がないわけではないが、転勤の多い仕事のせいで否応無しに引越し続きで、深まる仲も深まらず、継続した関係を求めても手に入れられないサラリーマン残酷物語。「甘い生活」でブレイクする数年前のマストロヤンニはややふっくらしてシャープさに欠けるもののやっぱり美形で、マストロヤンニが「女性とうまくいかなくて」とボヤいても、全身から放たれる隠しきれないナチュラル・ボーン・モテ男オーラに、ご冗談でしょう?と思ってしまって、斜めからツッコミながら観ることとなった。
イタリア/フランスというお国柄の違いというより、ヴィスコンティ/ブレッソンの作風の違いということか、ブレッソン版のなかなか相手に触れませんし迂闊に言葉もかけられません、という禁欲ムードに慣れてしまうと、ヴィスコンティ版のマストロヤンニは、べたべた相手に触り、よく喋り、居酒屋で管を巻く中年男のようであった…。
けれど、さすがにヴィスコンティ映画の美しさはたっぷり携えており、ヴィスコンティのわりには規模が小さい、小品…と思えば、ロケではなくチネチッタにつくられた巨大セットで撮られたそう。運河も橋も人工。撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽はニーノ・ロータ。フェリーニ映画でもお馴染み・イタリア映画の至宝と呼ぶべきスタッフの安定のお仕事。とりわけ雪のシーン!ホン・サンス『それから』を観たばかりの目には、モノクロの画面に雪が降ると、どうしてこんなに美しいのだろう?と思わずにいられない。
ヴィスコンティ版。これ全部セット!