真っ赤な星
テアトル新宿で。『真っ赤な星』は11月、完成披露上映会で鑑賞。この映画は、タイトルが決まる前からずいぶん長く存在を知って楽しみにしていた。
井樫彩監督の名前は、なら国際映画祭で偶然観た『溶ける』で知った。靴を脱いで上がってパイプ椅子に座るような公民館スタイルの上映で観たのだけれど、『溶ける』に圧倒され、これ撮ったのってどんな人なんだろう?って思っていたら、恥ずかしそうに監督が登場し、しかしニコニコしているだけで映画についても自分についてもほとんど何も喋らず、何も喋らなかったことで、ますます興味が沸いた。最終日、授賞式で『溶ける』は賞を獲ったけれど、やっぱり監督はほとんど喋らなかった。誰もが自分のことを喋りすぎる21世紀に、興味だけ掻き立てて去って行った人だった。
名前を覚えて、新作は必ず観よう!と心に誓い、その新作が『真っ赤な星』。
耳障りの良い言葉を選べば緑豊かな、選ばなければ何もない、と形容されそうな地方の街に暮らすふたりの女性の物語。今時そんな悲惨な現実はあるのだろうか…と訝しくも、きっとあるのだろうな、と同時に思わせる、周りの誰もが彼女たちに優しくない場所で、八方塞がりの日々を送る。徐々に気が重くなってくる物語だったけれど、辛くなる直前にすっと差し込まれる空や星、見晴らしのいい高台からの景色、朝焼け…彼女たちがいる景色があまりに鮮やかに切り取られていて、地獄のように思える地上も、俯瞰で見れば天国みたいな、綺麗なところだなぁ、と観終わって時間が経過すると、とても美しい映画を観たと思えたから不思議。『溶ける』を観た時にも確か、そんなことを思った。
台詞や音楽に頼らず、沈黙を恐れず、映画という表現と観客をスパッと信じてそうな、肝の据わりっぷり。井樫彩監督、現在22歳。映画を撮った時はもっと若かったはずで、年齢と表現の成熟にどれぐらい相関があるのかはわからないけれど、信じられなくて、監督いくつだっけ?人生何回目よ?ってプロフィールを二度見したくなる感じ。
完成披露だったので上映前に挨拶があり、ふわふわ動く真っ赤な星の風船と戯れて、やっぱり殆ど何も喋らなかった監督は右端の女性です。公開前後、いくつかのwebにインタビューが公開されているのをちらっと見かけたけれど、映画だけを観て、どういう人なんだろうな…?って考えているほうが楽しい気がして、ほとんど読んでいない。
2年前の夏、ある書店であったイベントに参加することになり、映画にまつわるアイテムを出品したところ、ほとんどお買い上げいただき、いくばくかの利益を得ることとなったのですが、そのお金は映画のために使うべきでは?と考え、使わずにキープしていたところ、井樫彩監督が新作を撮る、クラウドファウンディングで支援を募っているとの情報を得て、微々たる金額ながら、参加してみることにしました。
クラウドファウンディングのリターンとして『真っ赤な星』のサイトにも、映画のエンドロールにも、Special ThanksとしてCinema Studio 28 Tokyoの名前を載せていただいています。
東京での公開はもうすぐ終わる?ようですが来年以降、あちこちの街で公開が決まっているようなので、ご興味の方、新しい監督の映画を観てみたいというみなさま、是非に。
数あるクラウドファウンディングの中から、井樫彩監督の映画を選んだのは、『溶ける』を観たのが、なら国際映画祭だったからという理由があると思います。『溶ける』は地方に暮らす女子高生の物語。自分の居る場所がつまらなくて息が詰まって、どこかに行きたくてしょうがない。観終わった後、ぼぅっとして外に出てコーヒーを買い、池のほとりのベンチで飲んで顔を上げると、興福寺の五重塔が見えて、絵葉書そのものの、嘘みたいに整った視界だった。奈良は私の地元で、あの子のように、つまらなくて息が詰まって、どこかに行きたくてしょうがなかったけれど、こんな景色、他にどこにあるのかしら、世界中探したって奈良にしかないのにね、と可笑しな気分になったところで『溶ける』が一気に身体に染みてしまって、だから井樫彩監督は、私にとって特別な監督なのです。