台北暮色
渋谷にて、『台北暮色』。この映画の存在を知ったのは、去年の台北映画祭でもらった映画祭ガイド。時間が合わなくて観られず。その年のフィルメックスで『ジョニーは行方不明』のタイトルで上映された時も見逃し、先日『白夜』を観に行ったユーロスペースに貼られたポスターでようやく、見逃したあの映画に『台北暮色』と新たな名前が与えられ、公開中と知った。
http://apeople.world/taipeiboshoku/
台北という街の魅力は形容しづらい。古さと新しさの融合、様々な国や民族の様式が混じる、アジアの都会、迷路のような路地、親切な人々…そんな街は他にもあるけれど、すべての配合が絶妙、ということだろうか。
ヒロインの携帯電話に頻繁にかかってくるジョニー宛ての電話。一人から何度もではなく、複数の人物から頻繁にかかる。ある時はジョニーの誕生日を祝うべく電話の向こうで歌まで歌われる。ヒロインが受け、かける電話は、煮え切らない男や、離れた家族とのもので、電話で話す時のヒロインはどこか緊張しているのに、関係のないジョニー宛ての電話は不思議と声色も明るく、楽しそう。
台北、見知らぬ人物からの電話となると『恐怖分子』を連想するけれど、私が台北に滞在した時、台湾のSIMを挿した携帯に頻繁に間違い電話がかかってきた。同じ人物からの電話が、数時間置きに何度もかかる。煩わしくなった私はついに電話に出て、かけ間違いです、私は日本人旅行客ですよ?と繰り返して理解してもらったけれど、徐々に見知らぬジョニーに愛着が湧いた様子のヒロインの、かけ間違いです、の口調が柔らかくなってゆくのを観て、私もあんなふうに優しく話すべきだったのかもしれない、と思った。台湾の電話番号割り振りルールがおおらかなのか、間違い電話、案外よくある話なのだろうか。
侯孝賢の弟子筋である黃熙(ホアン・シー)監督の第1作。エドワード・ヤンの映画に出ていた柯宇綸や、張国柱が登場し、音楽は林強!と、先達の遺伝子も感じられ、映画祭のガイドブックには現代版『ミレニアム・マンボ』と書かれていた。確かに共通要素は多いけれど、儚げな中華美人のスー・チーに比べ、『台北暮色』のヒロイン、リマ・ジダンの台北を歩き走る、野生動物のような、動くたびピッと筋肉の存在を感じさせる身体が、この映画を現代のものにしている。人の間や都市を漂うだけではなく、意志のもとに鍛えないとあの身体は獲得できず、よる辺のない境遇のヒロインに筋の通った強さを与えている。リマ・ジダンが画面を動くたび見惚れた。
ヒロインと交差する人物たちのエピソードがスケッチのように描かれるが、どれも着地しない。地下鉄でかけた電話に、折り返しがくるかは描かれない。最後まで映画を見守ると、オレンジ色に照らされた街に車のランプが乳白色に光り、ああ台北の夕方は確かにこんな色だった、昼と夜の間をあんな色の光が包んでくれる街ならば、白でも黒でもない今日も、ただ生きていけるかもしれない。台北の魅力は、夕方なのだった。『台北暮色』、いいタイトルだな。