迫り来る嵐

 

ヒューマントラストシネマ有楽町で。中国映画『迫り来る嵐』。

 

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1990年代。ユィ・グオウェイは、中国の小さな町の古い国営工場で保安部の警備員をしており、泥棒検挙で実績を上げている。近所で若い女性の連続殺人事件が起きると、刑事気取りで首を突っ込み始める。そしてある日犠牲者のひとりに似ている女性に出会い接近するが、事態は思わぬ方向に進んでいく…。

 

終始興奮しながら観たけれど、私自身の記憶と紐付いた興奮なので、この映画が面白いのかどうかはわからない。『迫り来る嵐』は1997年と2008年の中国の地方都市が舞台。それぞれ香港返還(1997年)、北京オリンピック(2008年)と、中国の街や人の外側から内側まで作り変えるきっかけになる転換点の年が選ばれて描かれている。

 

興奮したのは、私が中国に暮らし始めたのは98年、まさしくこの映画に描かれた頃で、地方都市の鉄鋼工場に働く中国人の男と、首都北京に暮らす外国人の私の生活はまったく同じではないけれど、北京においても路上で、あるいはバスの車窓から眺める風景、人々の服装の色、表情はこの映画に映されたそのままだった。

 

90年代後半の北京は、

・電化製品が急速に普及し、電気の供給が追いつかず、停電が日常茶飯事

・みんな自転車で移動。大きな荷物も工夫して自転車で運ぶアクロバティックな人々をよく見かけた

・スーパーマーケットが登場して間もなく、まだ珍しい存在。野菜や果物は八百屋で買う。定価の概念はなく価格交渉必須

・タクシーが安いのでしょっちゅう乗ったけれど、気を抜くと黒タクに遭遇してしまうので気が抜けない

・道路は舗装されていないエリアが多く、靴が土埃で白くなる

・華美な服装の人がいない。髪に寝癖がついている。化粧をするのは水商売の女だけ

・デパートやスーパーマーケットでは偽札チェッカーが必ずあった

・細胞分裂するように街が変わる。先週食事したレストランが、今週は跡形もないなんてしょっちゅう。壊しては作り、作っては壊しの繰り返し

など、日常生活を送るために必要なエネルギーが日本の比ではない、というワイルドな環境で、あの時代の中国で人々と知り合い、言葉を覚え、楽しく暮らせたのだから、私はきっとどこでも生きていける(拳を固めながら)。

 

帰国した後も数年おきに中国に行くたびに、空港の建物が変わり、人々の髪の寝癖が消え、友人は華やかな服を着て化粧をするようになり、自動車が普及し、スマホを持ち、WeChatを駆使し、現金を使わなくなり、空気は悪くなり、いつも渋滞で、街はすっかり顔を変えた。素朴だったあの子が、整形美人になったような戸惑い。そして確かに、オリンピックを境に中国はガラリと変わった。北京は、なのかもしれないけれど。

 

目に見える部分だけでこれだけ変わるということは、目に見えない部分も同じく変わっているはずで、何も娯楽がなかった北京で、おしゃべりするだけでいくらでも時間を潰せた素朴な友人が、すっかりスマホやブランドバッグにご執心な様子に軽くショックも受けるけれど、彼らが望んだ便利さや発展を手に入れられたのならば良かった、とも思う。短期間で一気に成し遂げ、平然と変化の恩恵を享受する逞しさを改めて尊敬もする。それでも時折、かつて彼らが着ていた服は、自転車はどうなったのだろう、彼らはいつそれを捨てたのだろう、どんな気持ちで、とふと考える。懐かしむ感情を嘲笑うように、私が過ごした98年の北京はもう跡形もない。

 

しかし懐かしい景色は『迫り来る嵐』の中にあった。監督はロケハンの途中、舞台となる鉄鋼工場を見つけ、あまりに90年代の面影を残していることに驚いたらしい。私も驚いた。探したら残ってるのだね、さすがに中国は広い。

 

主人公の男は、自分がいる場所で幸せになりたかっただけなのだろう。いい仕事をして褒められ、みんなに尊敬される。「自分がいる場所」がいつまでも続くとは限らず、「幸せ」の概念はあっという間に更新されて、いつまでも「みんな」でいられるわけもない。1997年から2008年の中国の11年とはそんな年月だったということを、映画の形に整えて私に改めて納得させてくれた、『迫り来る嵐』はそんな映画だった。

 

監督インタビューはこちら「時代の変化が嵐のように襲ってきた」

 

 

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