ひかりの歌

 

ユーロスペースで。『ひかりの歌』を観た。

 

歌人の枡野浩一と映画監督の杉田協士が、映画化を前提に開催した「光」をテーマにした短歌コンテストで、1200首のなかから選出した4首の短歌を原作に制作した4章からなる長編映画。それぞれ孤独のなかを生きる主人公4人の女性を、ときに静かに、やさしく包む光がある。この世界で生きるための支えになるささやかな光のありかを描き出す。

 

http://hikarinouta.jp/

 

この映画の存在を知ったのは、年末に根津であった「短歌、映画的」というトークイベントにデザイナーあずささんと行ってみたら、会場の隅っこにいらした男性が『ひかりの歌』の杉田監督で、トークの後半に参加された、という経緯。

 

短歌について一般的な知識しか持っていなかったけれど、歌人である小野田光さんのお話によると、短歌のどの部分から言葉が浮かぶかは人により(小野田さんは下の句から出来ることが多いそう)、複数の短歌が集合して「一連」というチャプター、章のようなまとまりを形成し、どの歌の後にどの歌を配置するかも一連の印象に影響する…という、ルールがありながら独創的な言葉遊び。字数制限のある原稿を書くと、最初はそんな字数で私の思いは書き終わりませんよ…と抵抗する気持ちが芽生えるものの、徐々に削ることの面白さに目覚める。削れば削るほど、残った言葉の背後で削った言葉が強く香るもので、短歌の楽しみとは、そういったものなのだろうか、と考えた。

 

 

『ひかりの歌』は私のイメージする短歌そのものに似て、登場人物たちの、言葉で説明されなかった心情が映像の背後で強く香る映画だった。行動ひとつひとつに動機や目的が存在したとしても、それを他者に説明したり打ち明けたりする場面は人生においてほとんどない、という現実が映っていたように思う。第1章から第3章にかけてそんな映像を積み上げ、第4章では違う展開を見せるが、私は第3章までが好きだった。

 

特に第2章。若くて可愛い女性が、彼女の住む狭そうな世界で「若くて可愛い」と言われるたびに追い詰められ、愛を告白されるなんて理不尽な暴力みたい。そんな苦悩を打ち明けようものなら「やっぱりモテるよね、可愛いし」としか言われず絶望を味わうことも目に見えているから誰にも言えない。そりゃもう、走るしかできることはなくて、自販機の光に出会うまで彼女が走る暗闇の、映画らしい照明が照らしてはくれない真っ暗さがとりわけ良かった。

 

魔法のような瞬間が散りばめられた映画だけれど、31文字の短歌から映画を編む監督こそ魔法使いみたい。

 

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Mariko
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