Weekly28/草の響き/WHO ARE WE展

 

ギンレイホール閉館・移転のニュースを読み、あの立地と内装が好きだったので寂しいな、今なら岩波ホールの跡地が開いてるよ…と思った。ここ数年、ギンレイホールで観た映画を振り返ってみると『菊とギロチン』がとりわけ良かった。映画館じゃないと受け止められない長さとエネルギーの映画だった。調べてみると2019年3月のことで、併映は『寝ても覚めても』だった。もはや太古の昔に感じるけれど俳優・東出昌大が世間的にも熱い時期だった。

 

どんなスキャンダルでも好きな俳優であれば受け入れるかと言えばそうでもなくて、快/不快の基準は人の数だけあって、私の場合、結局は好意と失意のバランスだと思う。他人に対して、こんな人だと信じていたのに!という期待が極めて薄いから、今でも東出昌大は好きな俳優で、新作の報せが届くと公開を楽しみに待つ。

 

『草の響き』は2021年秋に公開され、映画館で見逃した。配信で観られたので、心身の調子のよい時を選んで観た。

 

 

心に変調をきたした男が、東京での編集者生活を引き払い、妻とともに地元・函館に戻ってくる。自律神経失調症と診断され、運動療法として毎日のランニングを始める。少し良くなってまた悪化してを繰り返し治療が長引くうち、妻との関係にも変化が…という静かな物語だった。

 

妻や両親の発言が、職場であれば即NGになりそうな当たりの強さでひやひやしたけれど、周囲がそうあってほしかった男の姿と病を抱えた現実とのギャップに、治療を支えながらの日常が長引くにつれ、周囲も次第に疲弊していったのだろうと想像した。

 

体格のいい東出昌大が函館の景色の中をただ走るだけで、じゅうぶんに映画が成立していた。自分をうまくコントロールできないやるせなさもどかしさの表情のバリエーションが無限にある男だった。妻役の奈緒の重みが最後に突然染みてきたのだけれど、序盤から仕草や視線で細やかな表現を積み上げてきたことの、あまりの自然さゆえに気づいていなかっただけだった。

 

 

コロナ前に函館に行き、その時は『きみの鳥はうたえる』のロケ地巡りの旅だったけれど、坂のある港町ほど映画の舞台に最適な土地はない、と確信した。冬の夕方に歩きながら、私の視界の大部分は無彩色で、カラフルなネオンが少量混じるだけで北国の情緒を感じてしまうな、と撮った写真です。

 

 

『きみの鳥はうたえる』や、この『草の響き』を制作した函館市民映画館シネマアイリスにももちろん行き、映画を観た。

 


 

<最近のこと>

 

国立科学博物館で開催中のWHO ARE WE展へ。会期終了間際に滑り込んだつもりだったけれど、好評により10月10日まで延長された。

https://www.kahaku.go.jp/event/2022/08whoarewe/

 

 

哺乳類の剥製と、引き出しが仕込まれた木製の什器が並ぶ展示室内。まず剥製を心ゆくまで眺め、引き出しを開けると、その動物の生態や特徴の説明が現れる。引き出しを眺め、知識やトリビアを獲得した状態でふたたび剥製を眺めると、新たな視点が立ち上がってくる、という展示デザインも仕掛けも凝ったつくり。

 

さまざまな哺乳類の剥製がずらりと並ぶのを眺めた後、近くの引き出しを開けると、ミニチュアサイズのそれぞれの動物の名前と擬音語で表現された角の形状の解説が。

 

 

キュートなオグロプレーリードッグ。引き出しを開けると、巣の断面図の解説。巣の内部はトイレはトイレ、食料庫は食料庫と用途に応じた部屋に分かれており、動線も考え抜かれた機能的な住居だった。

 

 

私は骨/骨格標本好きなので、『からだのなかの彫刻』とタイトルをつけられた骨のエリアは入念に観た。

 

『からだのなかの彫刻』、これほど私の骨フェティシズムを端的に表現した言葉があるだろうか。「機能の塊であるはずの骨。静かに並べると見えてくる美。」と添えてあって、どなたか存じ上げませんが、この言葉を書いた人…骨を愛でながら私とお酒を飲みませんか…?

 

 

リスの肩甲骨なんて、もちろん初めて見たけれど、1920年代のルビッチ映画の女たちが纏うイヤリングのような可憐さ。

 

 

骨エリアは他に小さめのサルの骨をプラモデルのパーツみたいに全部、平面に並べた引き出しがあった。いつまでも見ていたい美しさで、私は名前を知らないけれど、きっとその骨にも名前があるであろう短い接続パーツ的な小骨に魅了された。写真を撮るか一瞬考え、やめた。過去に経験した「火葬場で骨を拾う」という行為がフラッシュバックして撮影、人道的にどうなんだろうと思ったから。リスの肩甲骨では生じなかった感情なので、サルの骨格全体だったからかもしれない。

 

他にも開くと、説明要員として小型の剥製が入っている引き出しがあり、文字や模型での説明の引き出しに比べると、あ!生き物!という気持ちが不意に生じてドキドキした。

 

WHO ARE WEと問われているのは、ヒトも哺乳類の仲間だからで、他の哺乳類にも様々な収集癖はあったとしても、こんなふうに仲間の屍を集め、臓器を取り除き、綿と針金で姿を再現し、並べ、比較し研究したり展示したりするのはきっとヒトだけだ…と想像すると、ずいぶん大上段に構えた尊大な生き物であることよ、という気持ちが芽生えつつも次の瞬間、

 

カモノハシ、めっちゃ可愛いやん!!!

 

 

という興奮も抑えられず、この展示を見なければ生涯味わえなかったかもしれない各種各様の気持ちを味わう機会だった。

 

美術手帖の記事。写真多数。会場ならではの体験として、照明も音楽も良い。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25906

 

三澤デザイン研究室が展示デザインを手掛けている。インスタグラムに写真多数。

https://www.instagram.com/misawadesigninstitute/

 

いずれ書籍化されるかもしれないし、 Vol.01哺乳類だからシリーズ化されるのかもしれないけれど、あの場が期間限定なのはあまりにももったいないから、常設にしてほしい。

 

 

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Mariko
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