なみのこえ 新地町

 

濱口竜介・酒井耕監督による東北記録映画三部作、3月に『なみのおと』『なみのこえ 気仙沼』を鑑賞する機会があり(こちらこちらの日記に書きました)、続きを楽しみにしていた。前回と同じ場所へ再び。上映されたのは『なみのこえ 新地町』『うたうひと』の2本。

 

まず『なみのこえ 新地町』から。

http://silentvoice.jp/naminokoe/

 

震災から1年後、福島県新地町で撮られたドキュメンタリー。震災体験とその後を語る人、聞く人が差し向かいになり記録される。向かいあう2人は時に語り合い、時に沈黙する。聞く人がいない場合は、監督のどちらかが聞く人になる。

 

美容師夫妻、役場の上司と部下、漁師の親子、鉄鋼所を営む男性、被災した女性と東京にいて被災しなかった女性、図書館司書の女性の語りが記録されていた。人は見かけによらない…とハッとすること数度。

 

『なみのこえ 気仙沼』の最後に登場する若い夫婦の妻がまるで気仙沼の希望を担うヒロインに見えたように、『なみのこえ 新地町』でも最後に登場する図書館司書の女性が新地町のヒロインのように見えた。女性の職場である図書館の棚の間で撮られ、聞き手は濱口監督。震災体験よりも、語ることが苦手と言う女性が訥々と語り始め、濱口監督があなたにとって語ることはどのような意味や作用を持つのか、を静かに深堀りしてゆく。どれほどの時間の記録だったのか次第に西陽が射し込み、女性の座る位置には影をつくり、監督の座る位置はオレンジ色に照らされ、語る人/聞く人の境界線を区分するようにも、震災の当事者/当事者ではないがそれを聞く人の境界線を区部するようにも見えた。

 

こんなふうに聞かれることがなければ、あんなふうに女性が語ることもなかったのだろう。女性の体内に長らく埋蔵されていた言葉が、純度の高さを伴ってついに排出された、語ることが苦手と自認する人ならではの強さがあり、このまま映画が終わらなければいいのに、と願った。

 

 

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Mariko
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