Weekly28/はなればなれに/水無月

 

時間が経ち、2023年も半分が終了。

 

5月、横浜ジャック&ベティでエルンスト・ルビッチの話をした後、帰宅即入眠、明け方に目が覚めたのでtwitterを開くと追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭のトークゲストで以前、東京国際映画祭プログラミングディレクターをされていた矢田部吉彦さんの登壇を知り、チケットを予約した。

 

矢田部さんが「ゴダールについて語るという神をも恐れぬ行為」「ここ数日パニック」とtwitterで書かれており、数多の映画のQ&A司会やトークゲストとして登壇経験のある方でもゴダールは超緊張案件なのだな、と興味を持ったから。ルビッチ『生活の設計』を再見したばかりで男2・女1の三角関係の物語・ゴダール版を久しぶりに味わえるのも楽しみだった。

 

 

『はなればなれに』、B級映画っぽさがありゴダールの中でも好きなほうだったけれど、ある程度は価値観がアップデートされた令和の自分が観ると、パリの若者の無軌道な青春が輝いていようと、踊るアンナ・カリーナが無敵だろうと、ゴダール演出でとりわけ引っかかる女性の扱いの酷さにげんなりした。女性の身体に触れる何気ない動作が必要以上に暴力的でドキッとする。乱暴にモノを扱うみたい。次第に女性の心が離れていくと対話による歩み寄りを試みるでもなく、哲学書や思想本に答えを求めるように避難する男性ばかり出てくるように思う。

 

上映後のトーク、なんと矢田部さんお一人で登壇され滔々とゴダールについて語る!という回で、どれだけトークに慣れていようとこの形式・しかもゴダールは確かに超緊張案件だと思った。これまで聞いた上映後トークで同じ形式はずいぶん前、自作上映後に一人登壇し訥々と語る吉田喜重監督以来。ゴダールについて一人語りだなんて、人生において何があっても回避したいこと上位に入る。

 

矢田部さんのお話はゴダール自身の死について、ゴダールが生涯描いたテーマは「死」と「愛の不確実性」だったこと、アンナ・カリーナとの関係。ゴダールの人を人とも思わないような気まぐれさに振り回されたアンナ・カリーナが疲弊していき結婚生活は早くから破綻していたことなど。

 

『はなればなれに』に男に名前を聞かれたオディール(アンナ・カリーナ)が「モノ(Monod)よ。オディール・モノ(Odile Monod)」と答えると、男が「安売りスーパー(モノプリ:Monoprix)みたいだな」と冷たく返す場面があり、ちょっと嫌な感じ…何の意味?と考えていたら、ゴダールの実の母親の名前がオディール・モノだったと矢田部さん解説により知り、ゴダールの女性嫌悪の根深さに少しゾッとした。

 

古い映画を観る時、当時の歴史や文化を前提に描かれたことを念頭に置き、現在の価値観で好悪をジャッジしてはいけないと思うものの、映画は私にとってどこまでも娯楽だから、余暇の時間とお金を使って墨を飲むような気分になりたくない…と、せめぎあいの気持ち。

 

 

『はなればなれに』もしんどくなってしまった私の、記憶の中でのゴダール初期ベストは『アルファヴィル』で、再見する機会があってもしんどくならないことを願う。

 


<最近のこと>

 

夏越しの大祓も3年ぶりに神事が復活。茅の輪、無事くぐれたから無病息災が約束された。

 

 

水無月も無事食べ、ますます無病息災が約束された。東京で水無月を買える和菓子屋は少ないけれど、近所のつる瀬には売っていてありがたい。

 

6月30日、20年近く会っていなかった友人から連絡がきて再会。私がいろんな場所から書いていた日記を、友人もいろんな場所から楽しみに追いかけてくれていたようで嬉しかった。とりとめもないことでも書いて、公開して、続けておくものだなぁとしみじみ。

 

 

【about】

Mariko
Owner of Cinema Studio 28 Tokyo
・old blog
・memorandom

【archives】

【recent 28 posts】