“Rhapsody in Blue” (One Piano , Four Hands)
パリ在住ピアニストの友人のコンサートへ。ここ数年は連弾。
楽しみにしていたピアノ連弾での『ラプソディ・イン・ブルー』は絶品であった。音源化してくれたら毎日10回は聴くし、このサイトでも美しい記事にして紹介したいとお願いしたけれど実現するかしら。楽器はピアノひとつなのに、透明なオーケストラを奥に従えているかのような分厚くカラフルな音たち。
聴きながらもちろん、モノクロのNYの街をウディ・アレンが走る姿を脳内再生。楽譜の表紙もまさにそんな絵。”Rhapsody in Blue” (One Piano , Four Hands)、こんな楽譜売ってるんだなぁ。
<お知らせ>
8/17(金)午後、奈良 東大寺本坊で友人のコンサートがあります。もちろん『ラプソディ・イン・ブルー』も聴けますよ。東大寺の普段は入れない建物で、庭が見事だそうです。ご興味のみなさま、是非。
Duo NaKaNaKa live in NARA
https://ynls.work/form/todaiji/details/#a011
「後援:東大寺」の文字の力強さ…!
白夜
借りては返し返しては借り、定期的に通っている図書館のサイト、返却日確認や予約のため、最もアクセス頻度の高いサイトかもしれない。新着DVDのお知らせをクリックしてみると、ヴィスコンティ『白夜』があったので借りた。ジップロックで貸し出される文京区スタイル。
5年ほど前、『白夜』のリバイバル上映をユーロスペースに観に行くと話したら、ヴィスコンティの?と言った人がいた。私が観に行くのはブレッソン『白夜』だったけれど、ドストエフスキー原作のささやかな物語は、ブレッソンより前にヴィスコンティも映画化していたと知ったのはその時で、ヴィスコンティ版を観る術がわからず、図書館のおかげでこの度めでたく機会があった。
原作のあらすじは、
サンクトペテルブルクに引っ越して以来友人が一人もできず夢想的で非常に孤独な生活を送る青年が、白夜のある晩に橋のたもとで一人の少女の出会う。不器用な青年は少女に恋心を抱き、逢瀬の度に気持ちは高まる。しかし少女の婚約者が現れその想いはあえなく散ってしまう。
wikiで調べてみると、ヴィスコンティやブレッソン以外に様々な国で映画化されているらしい(こちら)。登場人物も少なく、どんな街でも舞台となり得る物語だから納得だけれど、インドで何度も映画化されているのが不思議。最後は全員で歌って踊ったりするのかな…。
ドストエフスキーの原作にも手を出してみようとしたものの、主人公の男があまりに多弁で辟易とし、数ページで挫折した。ひとたび男が話し始めると、文庫数ページにわたって一人語りが続く。その語りの長さが彼の孤独の深さを表しているものの、多弁な男に苦手意識が強いもので、この男の口をピシャッと閉じて物語のエキスだけ抽出したブレッソンはさすがだなぁ…と敬服。先に観たブレッソン版の印象が強烈だったせいか、ヴィスコンティ版はさほど好みではなかった。
映画の設定はブレッソン版のほうが年齢も含め原作に近いと思う。ヴィスコンティ版は、当時30代に差し掛かっていたマストロヤンニに合わせてということか、うだつがあがらないサラリーマン設定。女性に縁がないわけではないが、転勤の多い仕事のせいで否応無しに引越し続きで、深まる仲も深まらず、継続した関係を求めても手に入れられないサラリーマン残酷物語。「甘い生活」でブレイクする数年前のマストロヤンニはややふっくらしてシャープさに欠けるもののやっぱり美形で、マストロヤンニが「女性とうまくいかなくて」とボヤいても、全身から放たれる隠しきれないナチュラル・ボーン・モテ男オーラに、ご冗談でしょう?と思ってしまって、斜めからツッコミながら観ることとなった。
イタリア/フランスというお国柄の違いというより、ヴィスコンティ/ブレッソンの作風の違いということか、ブレッソン版のなかなか相手に触れませんし迂闊に言葉もかけられません、という禁欲ムードに慣れてしまうと、ヴィスコンティ版のマストロヤンニは、べたべた相手に触り、よく喋り、居酒屋で管を巻く中年男のようであった…。
けれど、さすがにヴィスコンティ映画の美しさはたっぷり携えており、ヴィスコンティのわりには規模が小さい、小品…と思えば、ロケではなくチネチッタにつくられた巨大セットで撮られたそう。運河も橋も人工。撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽はニーノ・ロータ。フェリーニ映画でもお馴染み・イタリア映画の至宝と呼ぶべきスタッフの安定のお仕事。とりわけ雪のシーン!ホン・サンス『それから』を観たばかりの目には、モノクロの画面に雪が降ると、どうしてこんなに美しいのだろう?と思わずにいられない。
ヴィスコンティ版。これ全部セット!
Rhapsody in Blue
パリ在住ピアニストの友人が毎年、夏の帰国ついでに催すコンサートを楽しみにしており、今年はピアノ連弾でガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』を弾くと知って俄然楽しみに。
もちろん反射的にManhattan!!!と反応。映画史上最も美しいオープングのひとつと思う。『ラプソディ・イン・ブルー』ピアノヴァージョン、聴いたことがないので、安易にyoutubeで探したりせず、コンサートを楽しみに。
惑星
年明けから使っていた手帳が大きくて、文庫サイズに買い換え。持ち物のサイズを意識的に小さくしているせいで、小さなショルダーバッグだけで通勤可能になり、移動中は文庫本を読むようになった。就業時間を1時間前倒したせいで、電車がまだ混んでおらず、本を広げる隙間ができたせいもある。三島『宴のあと』を返却し、借りた上田岳弘『私の恋人』を読み始める。文庫本を次から次へと読むなんて、通学時間が長すぎて読書するしかなかった高校生の頃みたい。
初めて読む作家で、デビュー作が『太陽・惑星』のタイトルで刊行されているらしく、『私の恋人』を気に入ったらそちらも読む(けれど文庫化はされていない…)。インタビューを読んむと、『太陽』『惑星』の二編で、『惑星』は、タルコフスキー『惑星ソラリス』から着想を得て、「惑星ソラリスの内面描写」を試みた、とのこと。惑星の気持ち。もはや風の歌を聴け、どころではない。
https://www.sinkan.jp/special/interview/bestsellers64.html
ふぁぁ、面白いなぁ。世の中にはいろんな妄想と創作があるのね。
紫陽花が存在感を増す歩道。東京も近々、梅雨入りするだろう。
クレールの膝
ロメール特集で観た「クレールの膝」、1970年。クレールがロメール女優たちの中でもとりわけの美少女、男がヒゲもじゃ程度の記憶しか残っておらず、再見すると記憶は間違っておらず、でも記憶以上にふくよかな物語で驚いた。これはもっと何度も観るべき映画だったのでは。
サイトのあらすじより。
避暑地アヌシーで旧友の作家オーロラと再会した外交官ジェロームは、たわいもない会話から、ふたりの若い娘たちを誘惑することに。結婚を間近に控えた中年男が10代の少女の膝に執心するという一見不道徳な物語だが、ロメールらしい官能性とふしぎな可笑しみが見る者の目を釘付けにする。少女たちの輝く肉体とネストール・アルメンドロスによる美しい映像が、見事なアンサンブルを奏でる。
アヌシーの水辺、陽光、夏、湖にアヒル。こんな風景と夏の開放感の中、薄着の男女が集まって恋が始まらないとしたら嘘だね!という気分にさせられるアルメンドロスのカメラ。
ジェローム(ヒゲもじゃ。ジャン=クロード・ブリアリ!)とクレール(美少女)の間の話が中心かと思えば、クレールが登場するまでが長く、前半はほとんどローラ(ベアトリス・ロマン…若い!)とジェロームの話。愛や恋を観念的に語ることで意気投合したふたりは、恋に似た気持ちを抱き合うけれど大きく盛り上がりはしない。やがてクレールが遅れて登場し、弾けるような肢体が画面に登場するや否や、ジェローム同様、観客である私も、さっきまで小難しい顔して見守っていた、言葉を尽くして語られた愛についての議論など何の役にも立たないね!世にも美しい場所で、さらに夏なのに、湿っぽい言葉なんて野暮!と薄情に手のひら返して、クレールの膝に夢中になっていくのだ。こまっしゃくれた態度のローラも同級生男子(ファブリス・ルキーニ…若い!)の登場により、ジェロームとぐっと距離ができ、もうヒゲもじゃには興味はないわ、あたし若いし。と豹変するのも痛快。最初から全員を登場させず、登場人物が徐々に増え、相関図の矢印が複雑さを増していく構成、楽しい。
ジェロームずるい。私もクレールの膝に触りたい。けれど、相手を弱らせた隙に膝を思いのまま撫でまわすなんて、ただの姑息な中年男の作法すぎて興ざめ。大人の余裕ってものはどこに行ったの。あ、そんなの最初からないのか。
そんなジェロームの一部始終を、長らくの友人であるオーロラという女性が観察者として見守る。オーロラは作家らしく、ジェロームから逐一報告される揺れる男心を聞きながら、時にジェロームにローラをけしかけたり、クレールの膝に触れるようハプニングを演出したりする役割。聞き役なくして誰の物語も成立しない。ジェロームの物語はオーロラの存在なくして展開せず、ふたりは一心同体、表裏一体だけれど、彼女がその役割を静かに引き受けるのは、物書きらしい好奇心ゆえなのか、それとも観念でも肉欲でもない、別の種類の愛ゆえなのか、私の納得に至るには、あと何度か観なければならない。
膝が主役
肌寒い梅雨の夜空をくぐって映画館に辿り着くと、アルメンドロスの切り取った1970年、アヌシーの水辺と陽光。ロメールの別の映画の最後のセリフのように「la vie est belle!!」って小さく叫びたくなった。人生は美しい!
ロメール特集に遅ればせながら参戦。
http://mermaidfilms.co.jp/rohmer2017/
ずいぶん細部を忘れていた「クレールの膝」を観たら、想像以上に膝が主役の映画で、あらすじを端折って伝えると「美少女・クレールの膝に触りたくてしょうがない男の物語」(ずいぶん端折ったね!)。撮影のせいか脚本が上手いのか観ているうちにクレールの膝に触りたくて触りたくてムズムズしてくるの。よく見つけたね、あんな膝、と唸るナイス膝キャスティング。ロメールもさぞかし、膝…膝…って血眼になって探したのでしょうね!
もう何度も観たから今回はもういいよなど、そろそろ言ってもいいほどのロメールだけれど、観てみるとやはり見飽きない。まだまだ観たい。
Ginza blue
何気に年度始め、打ち合わせに次ぐ打ち合わせ、席に一瞬戻れば次の打ち合わせの予定を決めるメールが届いており返信…という今週。前々から予約していた上映は絶対死守!と、切り上げて銀座へ。
エルメスの手しごと展、表参道ヒルズと銀座メゾンエルメスで開催されており、映画の上映は銀座で。
http://www.maisonhermes.jp/feature/421337/
アニエス・ヴァルダを目当てに、「パリと職人たち」の上映プログラムを堪能。エルメスの発行する上質な映画リーフレットをいつも楽しみにしており、今回のはステッカーがついていた。手しごとにちなんで、職人さんが使う道具モチーフ。手紙を出す時に、封筒に貼ろうかな。
外に出ると、前のビル(ソニービル?)の照明がブルー。とても美しくて、週末のウキウキ、120%増量。
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