情報摂取
日劇が閉まって哀しい気持ちでいたのに、平日が始まってみると慌ただしさに哀しみも紛れ、少しずつ日暮れが遅くなってきていることを喜び、新しい季節に新しい映画館が生まれることを楽しみにしている自分がいるのだから、流れる時間は人を変えるもの、薄情なものですね。
花椿最新号の表紙はソノヤ・ミズノ。「ラ・ラ・ランド」でも素敵だったけれど、断然「エキス・マキナ」が素晴らしかった。あの意志の強そうな身体をひっさげて、変な映画にどんどん出てほしい!
花椿、毎号とても楽しみにしていて先週もらったけれど、テーブルの上に置いたまま1週間開かなかった。さっき4分の1ほど眺めてみて、残りはいつ読むかなぁ。貪り読むわけではないけれど、花椿のことは好き。最近、情報摂取の頻度や速度についてぼんやり考えてみて、私と花椿の距離感ぐらい、マイペース、つかず離れずの距離で「新しく素敵なこと」には接していきたいな、と思う。たくさんの情報を熱心にチェックして自分だけのとっておきを探して見つけることや、どんどん更新されるものを待ってました!と受け取りに行くのは、もう自分の生活には馴染まない。
ずいぶん前、夜中までやることが溢れていた頃、日付が変わる直前に滑り込みで日記を更新していたある日、見知らぬ方からメールをいただいて、彼女も当時の私と同じぐらい夜が長く、何かを制作している間に日付が変わり、あ、日記、更新されてるかな?って私のサイトをチェックしてみて、されていると、わぁ!という気分で珈琲を淹れ、飲みながら読みます。と書かれていた。私にとって書くことが日課で、彼女にとって読むことが日課。自分の書くものが、誰かの時間の区切りになっているとは思いもよらず、不思議だし、嬉しく思いました。お会いすることはなかったけれど、時折、彼女はどうしているんだろう、もう生活も変わったかな?と、ぼんやり考えます。
28はペンギンの歩行のようにのんびりしたスピードで更新されるサイトだけれど、私と花椿のように、マイペース、つかず離れずの距離で楽しんでもらえたら嬉しいな、と2018年初頭は思っておる次第です。
物語る人々
銀座和光の最新ウィンドウ。色がどんどん変わって、赤になったり青になったり。ここで写真を撮るとガラスに反射した交差点界隈のビルや光が映り込むの、胸がキュッとする。
テーマは「情」。赤は女心、青は男心、だそうです。
https://www.wako.co.jp/display/
小栗さんが連載「One movie, One book」で取り上げていた千野帽子さんの著書「人はなぜ物語を求めるのか」。人はなぜ物語るのか?は、ぼんやり考え事する時のネタとして私の脳内によく登場するトピックなので興味深く読了。私は物語そのものより、「物語り方」とか「物語る角度」とか「物語を成立させるための構造」などに興味があるタイプだと思う。エモーショナルな性格ではないし、そもそも他者にすごく興味があるわけではないので、「感情移入して泣く」とか、そんな気分にまったくならないし、さっぱりよくわからないのに、これだけ物語に触れ続けているのは、そもそも物語って何…という方面に興味があるのかな、と。
以前、何かで読んだことに、人が朝起きて1日を終えるまでに目にしたものをすべて言葉にすると文庫本24冊分になる、という説があるらしく、なんという言葉の海!そんな中から何を拾って順序を組み立て言葉を選ぶか、という作業、例えば「日記を書く」という行為においても、さりげなく「物語ること」は成立している。さらに書く文字数には限りがあるので(毎日、文庫本24冊分を書く人はいない)、いかに総括して書く能力に優れていたとしても、零れ落ちる分量のほうが圧倒的に多く、SNSが発達して人の物語る頻度や道具が増え、同時に「よく知りもしないくせに」的諍いが絶えないのも、必然と感じる。
ここ数年、映画を観るうち、これはいったいどういう心理なのだろう?と、解せない部分も多いながら、その「物語りたい欲」や「物語る手法」に興味が湧いたのは、監督が自分自身に起きたことを、自分自身が演じ、映画に仕立て上げた映画を何本か観たこと。
例えば、ヴァレリー・ドンゼッリ「わたしたちの宣戦布告」。
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/donzelli&elkaim/index.html
監督が恋に落ち、子供が生まれ、子供の病気を乗り越えるけれど、二人は別れてしまう、という一連の流れを、監督自身と元夫、つまりこの現実の当事者が演じる映画。
サラ・ポーリー「物語る私たち」は、兄弟の中で自分だけ父親に似ていない、と言われていたサラ・ポーリー自身が、華やかだった母親の人生を追ううち、出生の秘密に辿り着くドキュメンタリー。
監督自身ではないけれど、別の映画の企画のために演じてくれそうな女性に会ったら、彼女自身の恋のエピソードが強烈で、そちらをその女性主演で撮ることにした、というサフディ兄弟の「神様なんかくそくらえ」。
http://realsound.jp/movie/2015/12/post-631.html
こういった映画を生み出す心理って「再現することによって乗り越える」欲…ということなのかな?と考えると、映画をつくる、自分を演じる、など、数多の表現方法の中から、これなら自分にもできるかな?という方法を選択し、自分に起きた出来事を物語にして、過去のものにしていく、手の込んだタフさに圧倒されると同時に、偶然かもしれないけれど、たまたま興味を持ったこれらの映画が、女性監督、女優自身、女の物語であること、を、ぼんやり考え続けている。
【本日更新】One movie, One book 第2回
本日更新しました。
小栗誠史さんによる連載「One movie, One book」は、原作本も映画関連本も登場しない映画と本のお話。第2回は、リチャード・リンクレイターの初期作が、ある本と紐付けて綴られます。
小栗さんの登場は夏以来。ウサギファンのみなさま、長らくお待たせいたしました!真冬の読み物、どうぞお楽しみください!
memorandom.tokyo連載 One book,One movie 第2回
memorandom.tokyoで連載中の「One book, One movie」第2回更新されました。
眺めのいい窓辺でぼんやり妄想、考えごとする時間を愛してます。第2回は夏に行った台北、老舗ロシア料理屋の窓辺でつらつら考えたこと。題して「亡命とマシュマロ」、お楽しみいただければ幸いです。
アーカイブはこちらから
http://www.memorandom.tokyo/archive
ん?「One book, One movie」が何故かarchivesに表示されていない…第1回はこちらです。
http://www.memorandom.tokyo/onebook-onemovie/1388.html
東京上空
2017年・秋の東京上空いらっしゃいませ。
眺めのいいテラスから、工事中の競技場も新宿のビル群も東京タワーも紅葉も遠くに富士山も見える。夜は夜でネオン煌めき、ここに人が立っているのを眺めるのは、「her」のホアキン・フェニックスを眺めるような近未来アーバン感がある。「her」、ハリウッドでもビーチでもない近未来LAが映し出されていて、あの景色好きだったなぁ。
「泳ぎすぎた夜」を引きずりながら本棚の前に立ってみると、「雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集」が目に入ったので、鞄に入れる。電車で読んだメールに、これから帯広に向かう、と書かれていて、寒そう…と思いながら本を開くと、最初のエッセイが「雪の十勝」だった、というシンクロ。東京の寒さにすら怯えているけれど、雪は雪で羨ましい。
銀ブラ
昨日、髪を整えに銀座に出たついでに、シャネルで写真展、エルメスで映画を観て、かねまつ本店で靴を修理してもらいがてら出たばかりの銀座百点をもらう、パーフェクトな数時間の銀ブラを達成した。あれもこれも無料でほとんどお金を使わなかった。老舗の懐の深さと安定感にうっとり。
夏、手土産を買った和菓子屋で8月号をもらって以来、毎月1回は銀座でのんびりして、ついでに銀座百点をもらいたいものよ…と心に決めたけれど、9月号をもらい損ねているうちに10月号が出てしまった。
季節感ある表紙、読みものの充実、クラシカルな文字組、魅力はたくさんあるけれど、銀座百点は何より、その月、画廊や劇場で何が観られるか情報が載っていて、銀座のタウン誌として機能しているところが素敵だと思う。誰もがインターネットで何もかも調べるわけじゃないものね。
映画のページもちゃんとあって、その月、銀座有楽町日比谷界隈の映画館でかかるたくさんの映画からかの数本のチョイスも銀座百点らしさがある。有楽町スバル座、行ったことないので行きたいけれど、観たいものがかからないというジレンマ。隣のページはとらやの羊羹の広告。
銀座百点
事後譚
ペンギンしおり作戦を決行したものの、手術前のバタバタ等で600ページ以上の「狂うひと」を読了するのは難しく、いったん図書館に返却。次に借りられるのは、だいぶ先かな。
入れ替わりに、原稿を書くために「亡命ロシア料理」を借りてきた。ペンギンもこちらに移動。ルビッチ「ニノチカ」って3人組が異国の地にロシア料理屋を開くところで終わるから、この本は私にはなんとなく、ニノチカ事後譚のような位置づけ。ロシア料理のレシピもあって、アジアの夏に読むのは胃が重かったけれど、日増しに風が冷たくなる初秋の再読、ぴったりでは。読み終わったら手近なロシア料理屋に行きたい。
夜中、とりたてて痛みで起きることもなく、午後恐る恐る眼帯を外してみたら、もっと腫れ上がっているかと思えば全くそんなことなく、一応週末の間は大事をとるけれど、メイクもできるしコンタクトも入れられるのでは、というほぼ通常運転に戻り、拍子抜けしながらも、医療の進歩に感謝。こんなことなら、さっさと手術すればよかった。慣れない眼帯生活は、料理はおろか珈琲を淹れることすら手こずった。両眼生活に早々と復帰できて嬉しい。
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