事後譚

ペンギンしおり作戦を決行したものの、手術前のバタバタ等で600ページ以上の「狂うひと」を読了するのは難しく、いったん図書館に返却。次に借りられるのは、だいぶ先かな。
入れ替わりに、原稿を書くために「亡命ロシア料理」を借りてきた。ペンギンもこちらに移動。ルビッチ「ニノチカ」って3人組が異国の地にロシア料理屋を開くところで終わるから、この本は私にはなんとなく、ニノチカ事後譚のような位置づけ。ロシア料理のレシピもあって、アジアの夏に読むのは胃が重かったけれど、日増しに風が冷たくなる初秋の再読、ぴったりでは。読み終わったら手近なロシア料理屋に行きたい。
夜中、とりたてて痛みで起きることもなく、午後恐る恐る眼帯を外してみたら、もっと腫れ上がっているかと思えば全くそんなことなく、一応週末の間は大事をとるけれど、メイクもできるしコンタクトも入れられるのでは、というほぼ通常運転に戻り、拍子抜けしながらも、医療の進歩に感謝。こんなことなら、さっさと手術すればよかった。慣れない眼帯生活は、料理はおろか珈琲を淹れることすら手こずった。両眼生活に早々と復帰できて嬉しい。
中和

「海辺の生と死」からの流れで、こちらを読み始めた。「マーヤの自己改造計画」は大団円のエンディングだった。マーヤからミホのこのギャップ。心が追いつかないわ。確実に重い気分になるだろうので、ペンギン付箋をしおりがわりにして、脱力感で重みを中和する作戦を思いついたのだけれど、

しおり作戦のこと、すっかり忘れた状態で今朝、パッと本を開いたら、ぬっ?とペンギンが出現して、朝の千代田線で驚きの声をあげそうになったわ。
まだまだ読み始めだけれど、映画「海辺の生と死」は、”まるで映画の主人公のようなふたりの振る舞い”も含めて、現実を忠実に再現したのだなぁ。
今朝は、血判入りの誓約書に、ひぃっ!となったけれど、
こちらに写真あり
http://honz.jp/articles/-/43525
誓約書にとどまらず、血判を押すために指先を切った敏雄が貼った絆創膏を、ミホがずっと保管していたという事実に驚く。ふたりに関するものを何から何まで記録し保管していたらしい。こういう、何から何までとっておくタイプの人に対して、私は軽く恐怖心を覚えるので、ページをめくる手もおそるおそるになってしまう。
読書する集中力がずいぶん久しぶりに戻ってきたのは、ネットに触れる時間を意識的に減らした結果のはず。良いこと。
Black narcissus

「Black narcissus(邦題:黒水仙)」について所感メモ。1947年のイギリス映画。「赤い靴」で有名なマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの共同監督。ジャック・カーディフの撮影が素晴らしくて、映画って本当、ささっと私を異世界に連れて行ってくれるわぁ…と、うっとりしながら観た。
インド・ヒマラヤ山脈の女子修道院に、布教・教育のために駐在することになった修道女たちの物語。むせ返る異文化の香り、頼れる男性の存在、静寂を破る動物の吠える声や自然音が、ストイックな修道院生活を掻き乱し…。
混乱した修道女たちが右往左往しサスペンスのような後半に惹かれた。主演のデボラ・カーは安定の美しさだけれど、私はもっぱらキャスリーン・バイロン演じるシスター・ルースに釘付け。錯乱して暴走すればするほど爛々と美しくなっていく。
サスペンス、ホラーって筋書きより時々、女優の整った顔が一番怖いって思う時があって、シスター・ルース、まさにそれに該当。他に、いや、あなたの整った顔が一番怖いですから!って背筋が凍った映画の事例としてはポランスキー「反撥」の恐怖に引きつる若きドヌーヴの顔などがあげられる。
この映画を好きと言った友人のひとりは、パリ在住イタリア人、インドを舞台にした映画の脚本を書いている青年(ややこしい…)で、彼はどうしてこれが好きなんだろうなぁ…と、つらつら妄想し、私とは絶妙に映画の趣味は合わなかったけれど、彼はサタジット・レイや、ルノワールだと「河」がベストと言っていたので、単にインドに興味があるんじゃないかしら?というシンプルなmy結論に至った。ヨーロッパ人の好むエキゾチシズムの舞台としてのインド…「Black narcissus」もそんな感じね…など、メール1本、観たよ!って送れば答え合わせできそうだけれど、それをしないで頬杖つきながら妄想するのが好き…。
写真はイタリア青年に東京観光の一環として神保町 矢口書店を薦めたら行ったようで、お土産にもらったパンフレット。
夏の想い出

今朝、ドアを開けて外に出ると、空気が秋だった。家に帰ると、注文していた「ヤンヤン 夏の想い出」のパンフレットが届いており、オフィシャルに夏は終わったらしい。信じられないけれどこの映画、ロードショーでは見逃している。映画館に行く時間がどうしてもとれない時期だった。
監督のQ&Aはあるものの、驚くほど読むところが少なく、けれど写真が美しい。あの映画なら、どのショットを使っても美しいパンフレットになるだろう。

台北でなぜか古い西洋料理屋に入り、なぜかカレーを食べた。食後のコーヒーに西瓜が一切れ添えられていたのが、今年の夏の想い出。
CAFE GARBO

いただいた原稿を読み、取り上げられている映画、観たことがあるけれど記憶が薄い。再見していろいろ確認したり、思い出したりしたいと思ったけれど、DVDも廃盤になり、レンタルでも出回っていない観るのが難しい映画なのだった。「牯嶺街少年殺人
観ることが叶わないから、シナリオを読んで映画を思い出すなんて、この時代になんて古めかしいことをしているんだろう。むしろロマンティック。貪るように映画を観始めた時、東京に比べ京都で観られる本数は限られていたし、レンタルも今ほどタイトル数はなく、観たい映画がソフト化されているとも限らなかったから、私に残された数少ない手段のひとつは、学校の図書館にある、誰も借りた気配のないピカピカの世界/日本映画シナリオ集のようなタイトルの分厚い本を借り、監督、スタッフ、俳優の名前を確認し、シナリオを読みながら頭の中で映画を上映することだった。涙ぐましい健闘っぷり、なんという飢餓状態。あの時、勝手に脳内上映した映画のいくつかは、未だに実物を観ていない。酷い妄想癖はあの時、鍛えられたようにも思う。
いつでも観たい映画がすぐ観られるって、なんて素晴らしいの。そして、なんてつまらないの。いつか観られますようにと願った時から、映画との蜜月はもう始まっている。人とだって、会えない時間が愛育てることってあるでしょう。
話を戻して。パンフレットの広告に、CAFE GARBOというのがあって。

ガルボに会える。ガルボで会える。
1920〜30年代、ハリウッドに君臨した大女優”グレタ・ガルボ”を知っていますか?その理知的な美貌と、研ぎすまされた感性は、今だに伝説として語り継がれている程。現代を生きるあなたにも、そんなガルボになってもらえるひと時をと誕生したのがCAFE GARBOです。映画の街日比谷にて、昼下がりの息ぬきをコーヒーで、映画の心地よい余韻を軽い食事などで楽しんで…。あなたも主人公になってください。
ガルボに会えるだけじゃなく、ガルボになれるんです。これは96年発行のパンフレット。インターネット普及前夜のこういう、ずいぶん大きく出たね!って大胆さを讃えたくなるコピー、素敵です。ガルボになれるってことはニノチカになってルビッチに演出もされる…うっとり…。

そんなガルボのメニューがこちら。やっぱり「伯爵夫人のババロア ¥1,000」かしら。大きく出なきゃ。
CAFE GARBOは、日比谷シャンテの1階に存在した店なんだなぁ、と知ると同時に、シャンテで映画を観ることもタイムリミットが迫っていることを思い出し、急速に寂しくなった。
手元からすりぬける

不注意というわけでもないのに、手元からすりぬけていく本ってありませんか。私にとっては伊丹十三の本がまさにそれで、エッセイもメイキング本もたくさん持っていたはずなのに、あずささんの原稿を読み、久しぶりに伊丹本を読んでみようかな…と探しても一冊もなくて愕然。様々な方法で手元からすりぬけて行ったように記憶しているけれど、印象深いのは「ヨーロッパ退屈日記」。ちょうど10年前の夏、そう、あの年の夏も涼しかった…(遠い目)…。ヘルシンキ中央駅から、

こんな電車に乗ってフィンランドの地方都市へ。物価が高く、電車代も高かったな。

こんな座席で移動がてら「ヨーロッパ退屈日記」を読んだり、ぼんやりしたりを繰り返し、駅に着き、気がつけば本を失くしていた。座席に置き忘れたのか、ペットボトルを捨てる時にゴミ箱に入れてしまったのか…。

ムーミンのパッケージに反応して、普段飲まない砂糖入りのものすごい色の甘ったるい飲み物を飲んだせいかもしれない。慣れないことはするものではない。けれど暇つぶし用に持参した「ヨーロッパ退屈日記」をヨーロッパで失くした、というエピソード、ちょっと気に入って、それから買い直していない。そろそろ再読しようかな。
それから古書店で状態の良いものを手に入れてホクホクしていた「フランス料理を私と」は、伊丹十三がフランス料理を作り客人をもてなす内容。蓮實重彦と岸恵子が客人で小津の話をする回があり、これは「会食のメンバーに加わりたくはないけれど、同じ店の会話の聞こえる席には存在して聞き耳をたてたい」シチュエーションランキング上位に入るキャスティング!再読したいけれど、人に貸したままになっている。手元にある方、これを読んだら、どうぞご返却されたし。
「幸福」と装い

映画と服飾について、私が読んだ限り一番の名著は秦早穂子さんの「スクリーン・モードと女優たち」(1973年/文化出版局)で決まり。ヌーヴェルヴァーグを日本に紹介した人だから、映画と服飾の切り口で書かれた文章でよく登場しがちな映画に加え、秦さんならではの視点から映画がピックアップされており、アニエス・ヴァルダ「幸福」も見開き2ページで取り上げられているのが最高。
そうそう「幸福」、装いが印象に残る映画だった。秦さんの文章は、シニカルな展開の隙間に”しあわせ”とは何か?の問いをこれでもかと投げつける物語とは裏腹に、労働者階級の市井の人々の暮らしとさりげない装いが一瞬の美しさを見せる3つのシーンを解説しながら、
“しあわせ”とはなんなのだ。それではすでに理屈になってしまう。前にあげた暮らしと装いのからんだ、三つのシーンをとりあげたほうがその答は、漠然とではあるが逆に出てくるのではないだろうか。”しあわせ”は、理づめで追求しても姿をみせてくれない。アニエス・ヴァルダのいいたかったこともそこにある。
と結ばれているけれど、公開時も現在も、上映のたびに物議を醸すであろうこの映画の、登場人物の暮らしと装いこそ、”しあわせ”の恐ろしく暗い面を映し出しているようで、私は彼らの装いが怖かった。愛人同士だった頃にはそれぞれの装いをしているのに、家族の形を纏い始めた途端、徐々に郊外のショッピングモールに並ぶ、そこに行けば家族みんなの洋服が同時に揃うような量産型カジュアルブランドの広告のように、家族のメンバーが他の家族の装いとも完璧にバランスを取る配慮を見せながら、作り物の幸福感を演出すべく変化していく。
シニカルさがタイトルにも装いにもあらわれた見応えのある映画。なかなか上映されないので、久しぶりに映画館で観られてホッとしている。「幸福」には他にも好きな(と言っていいのか)場面が山ほどあって、思いついたらまた書きます。
http://www.zaziefilms.com/demy-varda/
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