snowing

この日記が予約投稿される頃、無事に飛んでいれば、雪深い一帯にいるはず。
雪道の歩き方は『泳ぎすぎた夜』のたからくんで予習。
Cinema memo : 2月

ウエスト青山ガーデンの、登場した瞬間、ぐりとぐら!と小さく叫ぶルックス、ふかふかお布団のようなホットケーキ。
あっという間に2月。ぼやぼやしていると睡眠も食事も危ういほど慌ただしいので、隙間を見つけしっかり食べ、しっかり眠りたいものです。
海外の映画賞に絡むような映画がようやく日本で公開され始める2月。観たい映画が目白押し!2月のメモ。
1/25〜『サスペリア』
2/1〜『バーニング』
2/8〜『ファースト・マン』
2/15〜『女王陛下のお気に入り』
http://www.foxmovies-jp.com/Joouheika/
2/22〜『ビール・ストリートの恋人たち』
https://longride.jp/bealestreet/
2/28〜『半世界』
見逃していたアニエス・ヴァルダ『顔たち、ところどころ』がかかる!
改装後の早稲田松竹で映画を観るの、楽しみ。
ひかりの歌

ユーロスペースで。『ひかりの歌』を観た。
歌人の枡野浩一と映画監督の杉田協士が、映画化を前提に開催した「光」をテーマにした短歌コンテストで、1200首のなかから選出した4首の短歌を原作に制作した4章からなる長編映画。それぞれ孤独のなかを生きる主人公4人の女性を、ときに静かに、やさしく包む光がある。この世界で生きるための支えになるささやかな光のありかを描き出す。
この映画の存在を知ったのは、年末に根津であった「短歌、映画的」というトークイベントにデザイナーあずささんと行ってみたら、会場の隅っこにいらした男性が『ひかりの歌』の杉田監督で、トークの後半に参加された、という経緯。
短歌について一般的な知識しか持っていなかったけれど、歌人である小野田光さんのお話によると、短歌のどの部分から言葉が浮かぶかは人により(小野田さんは下の句から出来ることが多いそう)、複数の短歌が集合して「一連」というチャプター、章のようなまとまりを形成し、どの歌の後にどの歌を配置するかも一連の印象に影響する…という、ルールがありながら独創的な言葉遊び。字数制限のある原稿を書くと、最初はそんな字数で私の思いは書き終わりませんよ…と抵抗する気持ちが芽生えるものの、徐々に削ることの面白さに目覚める。削れば削るほど、残った言葉の背後で削った言葉が強く香るもので、短歌の楽しみとは、そういったものなのだろうか、と考えた。

『ひかりの歌』は私のイメージする短歌そのものに似て、登場人物たちの、言葉で説明されなかった心情が映像の背後で強く香る映画だった。行動ひとつひとつに動機や目的が存在したとしても、それを他者に説明したり打ち明けたりする場面は人生においてほとんどない、という現実が映っていたように思う。第1章から第3章にかけてそんな映像を積み上げ、第4章では違う展開を見せるが、私は第3章までが好きだった。
特に第2章。若くて可愛い女性が、彼女の住む狭そうな世界で「若くて可愛い」と言われるたびに追い詰められ、愛を告白されるなんて理不尽な暴力みたい。そんな苦悩を打ち明けようものなら「やっぱりモテるよね、可愛いし」としか言われず絶望を味わうことも目に見えているから誰にも言えない。そりゃもう、走るしかできることはなくて、自販機の光に出会うまで彼女が走る暗闇の、映画らしい照明が照らしてはくれない真っ暗さがとりわけ良かった。
魔法のような瞬間が散りばめられた映画だけれど、31文字の短歌から映画を編む監督こそ魔法使いみたい。
TIFF Studio

今週は、ペンギンって書かれたメールが飛び交っており楽しい。
去年、早起き生活は定着したけれど、早寝は難しかったので、今年は早く寝る訓練中。日記も夜の更新ではなく、隙間時間に書いて、毎日定時に自動更新する所存。しばらく12時更新でテスト。映画好きな人は映画の上映時間にスケジュールが振り回されがちだけれど、健康的に暮らしたいものですね。
TIFF Studioという東京国際映画祭の番組配信が始まると前日にtweetで知ったのでGoogleカレンダーに「TIFF Studio」と書いておき、待機。
まもなく24(木)20時~!
TIFF Studio 第1回放送!
ゲストは公開中『ひかりの歌』@lyssupport の杉田協士@kyoshisugita 監督!
MCの矢田部吉彦@yoshiyatabe PDとトークします!
このTwitterアカウントから生放送です!
お楽しみに!#TIFFStudio#TIFFスタジオ— #東京国際映画祭 #TIFFJP (@tiff_site) 2019年1月24日
『ひかりの歌』を観る予定を立てていたところで、監督のお話が聞けてナイスタイミング。観たばかりの『迫り来る嵐』にも触れられていた。サフディ兄弟を知ったのも東京国際映画祭のグランプリ上映だった。映画祭でかからなければ知ることのなかった映画とたくさん出会えて、とても感謝しています。
TIFF Studio、20時からと開始が早く、20分ほどでサクッと終わるのも朝型に優しくて良い。今後は隔週、木曜20時配信の予定だけれど、オープン記念?に来週も配信するそうです。
— #東京国際映画祭 #TIFFJP (@tiff_site) 2019年1月24日
迫り来る嵐

ヒューマントラストシネマ有楽町で。中国映画『迫り来る嵐』。
1990年代。ユィ・グオウェイは、中国の小さな町の古い国営工場で保安部の警備員をしており、泥棒検挙で実績を上げている。近所で若い女性の連続殺人事件が起きると、刑事気取りで首を突っ込み始める。そしてある日犠牲者のひとりに似ている女性に出会い接近するが、事態は思わぬ方向に進んでいく…。
終始興奮しながら観たけれど、私自身の記憶と紐付いた興奮なので、この映画が面白いのかどうかはわからない。『迫り来る嵐』は1997年と2008年の中国の地方都市が舞台。それぞれ香港返還(1997年)、北京オリンピック(2008年)と、中国の街や人の外側から内側まで作り変えるきっかけになる転換点の年が選ばれて描かれている。
興奮したのは、私が中国に暮らし始めたのは98年、まさしくこの映画に描かれた頃で、地方都市の鉄鋼工場に働く中国人の男と、首都北京に暮らす外国人の私の生活はまったく同じではないけれど、北京においても路上で、あるいはバスの車窓から眺める風景、人々の服装の色、表情はこの映画に映されたそのままだった。
90年代後半の北京は、
・電化製品が急速に普及し、電気の供給が追いつかず、停電が日常茶飯事
・みんな自転車で移動。大きな荷物も工夫して自転車で運ぶアクロバティックな人々をよく見かけた
・スーパーマーケットが登場して間もなく、まだ珍しい存在。野菜や果物は八百屋で買う。定価の概念はなく価格交渉必須
・タクシーが安いのでしょっちゅう乗ったけれど、気を抜くと黒タクに遭遇してしまうので気が抜けない
・道路は舗装されていないエリアが多く、靴が土埃で白くなる
・華美な服装の人がいない。髪に寝癖がついている。化粧をするのは水商売の女だけ
・デパートやスーパーマーケットでは偽札チェッカーが必ずあった
・細胞分裂するように街が変わる。先週食事したレストランが、今週は跡形もないなんてしょっちゅう。壊しては作り、作っては壊しの繰り返し
など、日常生活を送るために必要なエネルギーが日本の比ではない、というワイルドな環境で、あの時代の中国で人々と知り合い、言葉を覚え、楽しく暮らせたのだから、私はきっとどこでも生きていける(拳を固めながら)。
帰国した後も数年おきに中国に行くたびに、空港の建物が変わり、人々の髪の寝癖が消え、友人は華やかな服を着て化粧をするようになり、自動車が普及し、スマホを持ち、WeChatを駆使し、現金を使わなくなり、空気は悪くなり、いつも渋滞で、街はすっかり顔を変えた。素朴だったあの子が、整形美人になったような戸惑い。そして確かに、オリンピックを境に中国はガラリと変わった。北京は、なのかもしれないけれど。
目に見える部分だけでこれだけ変わるということは、目に見えない部分も同じく変わっているはずで、何も娯楽がなかった北京で、おしゃべりするだけでいくらでも時間を潰せた素朴な友人が、すっかりスマホやブランドバッグにご執心な様子に軽くショックも受けるけれど、彼らが望んだ便利さや発展を手に入れられたのならば良かった、とも思う。短期間で一気に成し遂げ、平然と変化の恩恵を享受する逞しさを改めて尊敬もする。それでも時折、かつて彼らが着ていた服は、自転車はどうなったのだろう、彼らはいつそれを捨てたのだろう、どんな気持ちで、とふと考える。懐かしむ感情を嘲笑うように、私が過ごした98年の北京はもう跡形もない。
しかし懐かしい景色は『迫り来る嵐』の中にあった。監督はロケハンの途中、舞台となる鉄鋼工場を見つけ、あまりに90年代の面影を残していることに驚いたらしい。私も驚いた。探したら残ってるのだね、さすがに中国は広い。
主人公の男は、自分がいる場所で幸せになりたかっただけなのだろう。いい仕事をして褒められ、みんなに尊敬される。「自分がいる場所」がいつまでも続くとは限らず、「幸せ」の概念はあっという間に更新されて、いつまでも「みんな」でいられるわけもない。1997年から2008年の中国の11年とはそんな年月だったということを、映画の形に整えて私に改めて納得させてくれた、『迫り来る嵐』はそんな映画だった。
監督インタビューはこちら「時代の変化が嵐のように襲ってきた」
アイ・フィール・プリティ!

ューマントラストシネマ有楽町で。ここでかかる映画、見逃すと新宿界隈まで追いかけるか、名画座にかかるのを待つかになってしまうので、気になる映画は上映回数の多いうちにさっさと観ておきたい。今年の抱負。
『アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング』
邦題とピンクが目に眩しいポスターだけで敬遠する人も多そうな映画だけれど、これがなかなか面白い。ふくよかな体型の女性が、その体型がゆえに自分に自信が持てずにいたけれど、強く頭を打ったことがきっかけで魔法がかかった状態になり、自分を絶世の美女と思い込む…という筋書き。
冴えないけれど実は美しい原石が誰かとの出会いにより磨かれて花開くとか、別の女優をキャスティングして同じ役がまったく違う見た目になるとか、同じ女優でもファットスーツや特殊メイクで見た目操作→素の状態に戻して印象を変えるなどの手法で、生まれ変わったキラキラの私!を演出する映画はたくさんあれど、『アイ・フィール・プリティ!』は見た目はまったく変化せず、頭を打った衝撃で彼女の内なる自己肯定スイッチが盛大に押され、昨日までと1mmも変わらない容姿の自分がにわかに煌めきはじめる、というユニークさ。あなたはあなたのままですでに素敵である、他人にならなくても、のメッセージを伝える映画は多々あれど、これほどわかりやすく視覚化した映画ってあっただろうか。意外な役どころのミシェル・ウィリアムズもあわせて楽しめる。
タイトルもシンプルにして秀逸。名画座にかかった折には『オーシャンズ8』の併映にすると、女性は肩で風切る気分で映画館を出られること間違いなし。
リヒター|クールベ

1/20で終わる美術展に駆け込みシリーズ。ムンクとは別の日に、改めて上野へ。国立西洋美術館の常設内での展示「リヒター|クールベ」が目当て。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018richter.html
ゲルハルト・リヒターの自宅のダイニング・ルームには、クールベの風景画が飾られていて、それと隣りあう部屋に、リヒターの自作《シルス・マリア》がある――。
かたや、19世紀なかばに「生きている芸術(アール・ヴィヴァン)」を標榜してレアリスムを創始し、近代絵画史のとば口を切り拓いたギュスターヴ・クールベ(1819-1877年)。またかたや、1960年代に資本主義リアリズムの旗手のひとりとして頭角を現して以降、つねに現代美術の最前線に立ちつづけてきたゲルハルト・リヒター(1932年-)。まったく無関係かにも思える、それら新旧ふたりの画家の絵画を、後者の自宅の様子を模すようにして、美術館のなかで出逢わせてみます。
近代絵画史の「はじまり」に立っていたクールベと、その「終わり」に立ってきたリヒター。後者は前者の絵画を、どのように見つめてきたでしょうか。現代画家のまなざしを介して、国立西洋美術館が所蔵する過去の絵画を、すこし違ったふうに見つめ直すきっかけとなったら幸いです。
クールベは風景画、リヒターの「シルス・マリア」はピントの合わない写真のようなリヒターらしい画風の風景画、もう1点は抽象画。クールベとリヒター、同じ時代に生きていたなら気が合ったんじゃないかなぁ。それとも同じ時代に生きていたとしてもやっぱり、ダイニングに絵を飾るぐらいの距離感が望ましいのだろうか。展示はクールベ1点、リヒター2点、合計3点のみ。けれどこれが、なんとも味わい深い展示で、常設のちいさな一角でしばらく痺れて動けなかった。3点だけれど過不足なく、余白も香る編集力。
この展示を観たかったのは、オリヴィエ・アサイヤスの映画(こちら。邦題は『アクトレス〜女たちの舞台〜』)を観て以来、シルス・マリアという場所に興味を抱いたから。行ってみたい。

3点だけ鑑賞してさっと帰ってもよかったけれど、西洋美術館の常設を観るのが初めてだったので、ぐるっと回遊してみることに。美術に興味を持って勉強していた時期があったけれど(博物館学芸員免許も保有)、当時の興味は写真や現代美術にあったので、西洋美術館の存在は長らくスルーしていた。こんな豪華なコレクションを散歩がてら行ける距離で、ル・コルビュジエの建築で、500円で観られるなんて、お金の意味がよくわからないな。
映画好きとしては、父ルノワール(ピエール=オーギュスト・ルノワール)の「木かげ」という作品は、そのまま子ルノワール(映画監督ジャン・ルノワール)の『ピクニック』の舞台になりそうな木かげっぷりで、父と子、血は争えぬ…!とニヤニヤする楽しみもあった。
父ルノワールの「木かげ」
http://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0183.html
ホン・サンス監督はアメリカで美術の勉強をしていた人と記憶しているけれど、以前、監督の講義を聴講した際、セザンヌに影響を受けたという言葉があり、以来セザンヌの絵を観るたびに反射的にホン・サンスのことを考える。
こちらの講義
「シカゴの大学に美術館があり、そこで初めてセザンヌの絵を観たときに衝撃を受けました。“もうこれだけあればいい、ほかに何も要らない”、そういうふうに思ったんです」
http://unzip.jp/pickup/jiyugaoka2/
西洋美術館の常設、週末は時間延長、無料観覧日も毎月あると知った。夕食後の散歩がてら通い詰めそう。
http://www.nmwa.go.jp/jp/visit/index.html
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