Weekly28/私は彼女をよく知っていた/寄席
年明け、所用で柳下美恵さんに連絡したら国立映画アーカイブでのチネマ・リトロバート映画祭でこの映画を観るけれど、よろしければご一緒しませんかと返事がきて、詳細を読むと1965年のイタリア映画『私は彼女をよく知っていた』だった。
去年の夏、イタリア人の友人・フランチェスコがCinema Radio 28に出てくれた時、「おすすめのイタリア映画を1本だけラジオを聴いている皆さんに薦めるとしたら何の映画?」という質問をしたら、答えが『私は彼女をよく知っていた』だった。日本で紹介されることが少なく、観られる手段もなく、なかば諦めて頭の片隅に置いていた。誘われたらたまたま探していた映画だった、こんな偶然があるものですね。
↑ この回の 36:20前後から『私は彼女をよく知っていた』の話をしています。
https://www.nfaj.go.jp/exhibition/cinema_ritrovato202312/#ex-79041
*国立映画アーカイブのサイトより抜粋
戦後イタリアの奇跡的な経済成長下における刹那的で享楽的な日常を描いた「ブームのコメディ」(1958-1964)の典型とも言える傑作。ネオレアリズモの先駆的作品『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1943、ルキノ・ヴィスコンティ)などで脚本を手がけたピエトランジェリが、トスカーナの貧しい村からローマへ出てきて、ショービジネスの世界で破滅していく女性の姿を描く。2015 年にクライテリオン、FCB、ティタヌスが三者共同でオリジナルネガをもとにデジタル修復を行った。
1965(伊/仏/独:ウルトラ・フィルム/レ・フィルム・デュ・シエクル/ロキシー・フィルム)(監・原・脚)アントニオ・ピエトランジェリ(原・脚)ルッジェーロ・マッカリ、エットーレ・スコラ(撮)アルマンド・ナヌッツィ(美)マウリツィオ・キアーリ(音)ピエロ・ピッチオーニ(出)ステファニア・サンドレッリ、ニーノ・マンフレディ、ウーゴ・トニャッツィ、ロバート・ホフマン、ジャン=クロード・ブリアリ
「マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレンのような世界的スターではないけれど、当時のイタリアの有名俳優が総出演している」とフランチェスコは言っていた。
あらすじどおり、有名になりたい若い女性がショービズの世界に足を踏み入れ破滅していく物語で、フェリーニ『甘い生活』のような中身はないが華やかさだけはある狂宴のシーンが多い。そして2024年1月現在タイムリーなことに、スターに取り入り仕事を得るために、落ち目のコメディ俳優が若い女性(主人公)を献上する、話題の「上納システム」が描かれる場面があり、息を詰めて凝視した。お前この場で客を笑わせてみろよと指示されたコメディ俳優が、電車の走行音をガタンゴトンと全身を使って鳴らす場面があまりに長く満身創痍なので、「破滅していく」あらすじならば、満身創痍すぎたコメディ俳優がその場で倒れ亡くなり、若い女性が容疑者扱いされる流れかな?と推測したけれど違った。心配になるぐらい必死の芸だった。
主人公は成功のため身体を差し出すことを躊躇しないが、いまいち戦略に欠けるのと、若い美人は他にも山ほどいるといういことか、スターになる兆しも、ちやほやした扱いを受けることもない。一人の女性の顛末を描くが、固有の名前を持たず、どこにでもいそうな匿名のモブキャラ的存在に思えてくる。鑑賞して数日経過した今、演じたステファニア・サンドレッリの魅力は記憶にあるが、ヒロインの名前が何だったか思い出せない事実に『私は彼女をよく知っていた』という秀逸なタイトルが皮肉としてじわじわ効いてくる。彼女の名前は思い出せないが、「彼女のような属性の人物」が何を考えどう行動し、どう消費され、やがて蝕まれていくか私も、誰もがよく知っている。
そんな彼女が魅力的に見えるのが、有名になるには役立たなさそうな男たち…試合に負けたボクサーや、車整備のツナギを着た労働者…と一緒にいる時で、背伸びする必要がないからか屈託のない表情をしており、本当に可愛い。あのナチュラルな可愛さそのままで誰かに見つけられればいいのに、誰かに見つけられるためには、どこにでもいそうな着飾った女にならなければならず破滅に至る、そんな物語だった。
フランチェスコによると、イタリア国内で名作として捉えられている映画で、このような物語を名作として評価するイタリアに興味を抱いた。物語はシニカルながら、コミカルな演出が随所にある。手放しに面白い!と思える場面と「笑える場面として描かれてるっぽいが何が面白いのかわからない…国民性の違い…?」と考えてしまう場面の比率が、私がフランチェスコと話していて、手放しに面白い!の時と「彼は面白い話をしているっぽいが、言葉の意味を理解したところで…何が面白いの…?」と考える時の比率と同じだった。世界共通の古びない笑いもあるが、時代の笑いも、土地の笑いもあるし、笑いのツボの個人差もある。笑いの難しさよ。
<最近のこと>
『私は彼女をよく知っていた』後の講演に興味があったけれど、寄席のチケットを買っていたので神保町に移動。同じ建物に入り左側が神保町シアター、右側が神保町よしもと漫才劇場で、時と場合によってどちらにも用がある。入口に小津特集と令和ロマンのポスターが並ぶ2024年お正月。
関西人なので…?新年は寄席に行きたい。最推しはニューヨークで、単独ライブを年一度の楽しみにしています。神保町所属での推しはシンクロニシティという男女コンビ。この日はシンクロニシティと、2023年M-1敗者復活戦で一番面白かったエ゙バースのライブだった。どちらも生で見るのは初めてで、実力も個性も強いけれど真逆のキャラのコンビでめちゃくちゃ面白かったです。今年のM-1に期待。吉本興業が揺れているけれど、M-1が無事開催されますように。
書店や喫茶店、レストラン、映画館もお笑いの劇場もあって、さらに近所だし、神保町っていい街。
Weelky28/ガラスの動物園 消えなさいローラ
お久しぶりです。映画の話題ではないけれどラジオCinema Radio 28のゲストに来ていただいた川本悠自さんが音楽監督を務められる舞台『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』を新宿・紀伊国屋ホールで観てきたので所感を走り書き。
テネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』と、別役実がその後日譚を描く『消えなさいローラ』の2本立て。なんとなく90分+30分ほどかな?と思っていたら…なんと…!!
『ガラスの動物園』2時間半、休憩をはさみ『消えなさいローラ』もたっぷり1時間と4時間弱の観劇。長い映画を観ることには抵抗がなくて、最長は『SHOAH』(クローズ・ランズマン監督/9時間27分)を映画館で丸一日かけて観たこともあるので今回も大丈夫でしょ!と気楽に構えていたけれど複製芸術である映画の観客であることと、舞台の観客であることは随分異なる体感があった。生身の人間の情報量の多さを4時間近く浴び続けると、座って観ているだけでフルマラソンを自転車で伴走して完走したような疲労感があった。俳優だけではなく音楽の奏者の3人(コントラバス、ヴァイオリン、バンドネオン)もずっと舞台上にいるので、1日8時間も舞台の上に?会社員の労働時間みたい…と驚いたし皆さん公演期間中どう体調管理しているのかシンプルに興味が湧きました。
公演の詳細はこちら
https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/23_Glass_Laula/
<ガラスの動物園>
舞台は⼤恐慌時代1930年代のアメリカ中南⻄部、セントルイス。
華やかな過去の想い出の中で⽣き、⾃分の考えが正しいと信じて疑わない⼝うるさい⺟・アマンダ、脚が悪く極度に内気でガラス細⼯の動物たちと古いレコードだけを⼼の拠り所とする姉・ローラ、そんな⺟と姉に閉塞感を感じながら現状からの脱却を夢みる⽂学⻘年の弟・トム。裏さびれたアパートでウィングフィールド⼀家はそれぞれに窮屈な思いを抱えながらも、つましく暮らしていた。
ある⽇、ローラの現状に危機感を抱いていたアマンダは、男性との出会いの機会を与えるため、トムに職場の同僚を⼣⾷に招くように頼む。⼀家の元に訪れたジムは⾼校時代ローラが恋⼼を抱いていた⼈物で、⼀家に明るい変化が起こったように⾒えたが…。
上演台本・演出は渡辺えりさん。しばらく前に原作を読んだので、ディティールを忘れていたけれど、戯曲に忠実な印象。テネシー・ウィリアムズが自身を投影した追憶の物語だから、家族とともに過ごした30年代の日々を時間が経過した後に振り返っている設定で、活字で読むと随所に昔の物語であることが感じられたけれど、シングルマザー、毒親、障がい、多様な性的嗜好…と2023年らしいキーワードでも語ることもできることを令和の同時代を生きる俳優たちが演じるのを目の当たりにしてひとしお感じられ、けれど普遍性もあって、映画でも例えば『東京物語』なんて不朽の名作があるけれど、家族の物語は息が長いなと思った。
母・アマンダを演じるのが渡辺えりさんだったからか、自分の描く理想の人生を子供たちに歩ませようと干渉する親の苦い部分だけではなく、下町のおおらか母さんみたいな明るい可愛らしさもあり、子供たちにとっては煩わしいだけの親ではなく、楽しい思い出もたくさん積もっているのだろうと感じられた。去年、東京ではフランスのカンパニーによる『ガラスの動物園』が上演され、アマンダ役はイザベル・ユペール(ユペール様!)だったようだけれど、ユペールが演じるとまるで違うアマンダになるのだろうな。
姉・ローラは足が不自由で、心も現代においては何らかの病名がつきそうな人物。演じるのは吉岡里帆さん。テネシー・ウィリアムズ自身の姉ローズがモデルと言われており、ローズは人生の長くを精神病院で過ごしロボトミー手術を受けた人でもあって、ガラス製のユニコーンの角が折れたとき確か「手術すれば大丈夫」というセリフがあった気がして、その単語の響きにドキッとした。吉岡里帆さんのローラは、きっとローラの内側にはワンダーランドが存在して動物たちに囲まれ、足も不自由なく動かせ、あたたかい家族や恋する相手と夢のような時間を過ごす、別の世界線を生きるもうひとりのローラが形成されており、現実世界と空想の世界の境界が曖昧で、少し現実世界への適応が難しい人なのかな、と思った。ローラのような人こそ創作して生きる人生が向いているのでは?と思うけれど、それはアマンダが求める娘の理想の人生ではないからこそ生じる軋轢の物語でもある。
弟・トムを尾上松也さんが演じ、膨大な台詞量とともに4時間弱ずっと舞台上に存在し続けるのを呆気にとられ眺めていた。長い物語を支える強固な、盤石な地盤!という安定感がありながら、トムという役の屈折も繊細さも舞台上にずっとある。
物語は家族にとって救世主でも闖入者でもあるジムの登場により展開し分断される。ビフォー・アフター、登場前・登場後と区分すると、ジム登場前が長くとられているように感じられ、家族3人が狭い家で問題を抱えながらそれぞれの主張とともに生きていることの窮屈さを観客の自分もしんどく、冗長に感じ始めた頃に、鮮やかにジムが登場するのが面白かった。やや弛緩してきたところを一気にピークに連れて行かれる。2時間半という時間の配分の面白さ。
原作から受けた印象と最も近かったのが和田琢磨さん演じるジムだった。華やかでもあり胡散臭くもあり、自分を自分以上に大きく見せながら、さりげなく他人を見下すことも忘れない。家族3人を一気に心酔させていくさまは宗教家のようでも、語気の強いYouTuberのようでもあった。
…というのがキャラクターに対する私の印象だけれど、トムの追憶で語られる30年代アメリカのある家族の物語で、退屈な仕事と窮屈な家庭から逃げるように夜な夜な映画館に行くトムという人物について、映画館、映画という単語が発せられるたびに、ひとりの映画好きである私は同志よ!という気持ちを抱きました。映画館に毎晩出かけ、明け方まで帰ってこない。そんなに毎日いったい何の映画を観てるの?という台詞があって、私は、え!映画は日々生産されるから観ても観ても観終わらないんです。愚問ですね!と心の中で答え、トムは「ニュース映画を観て…次にこんな映画を観て…」と観るものの内訳を説明していたけれど、映画館という場所はおそらく暗喩的な設定で、同性を愛するトムは出会いを求めて映画館に通っていたのだろうかと思う。日本でも一部の映画館が特定の性的嗜好を持つ人々の集いの場だった歴史があった。
それから、私は観劇当日は別の場所でエルンスト・ルビッチ監督の映画を観る機会に恵まれ、ルビッチ映画を観てから紀伊国屋ホールに向かったこともあって、『ガラスの動物園』は30年代アメリカが舞台で、30年代はエルンスト・ルビッチのハリウッドでの黄金時代でもあるから、毎晩映画館に通うトムはリアルタイムでルビッチの映画を観た人かな、と妄想した。『ガラスの動物園』は大恐慌時代のアメリカの父親のいない家庭の唯一の男性、大黒柱として働くトムは低賃金の労働者で、私の好きなルビッチの30年代の映画は大恐慌なんてどこ吹く風?という上流階級の男女の戯れ、タキシード、ドレス、ダンスパーティー、宝石、家のことは執事とメイドがやる人々ばかり出てくるから、シビアな時代に何ひとつリアリティのない物語を連発するルビッチよ…と思ったけれど、それでこそハリウッド、現実では味わえない豪華な夢を見せてこそ映画!という時代だったのだろうな。出会いを求めて行ったとしても映画も観ているはずだから、トムはかなりのシネフィルだと思う。何の映画が面白かった?俳優は誰が好き?セントルイスでおすすめの映画館ある?ってトムに質問してみたい。是非ラジオのゲストに来てください。お待ちしてます!
<消えなさいローラ>
家を捨て、セントルイスを⾶び出していった弟のトムが帰ってくるのを、⺟とともに姉のローラは待ち続けていた。
そこへ突然、葬儀屋と名乗る男がやってきて…。名作『ガラスの動物園』の後⽇譚を描く⼆⼈芝居。
今回の公演では、葬儀屋を名乗る男を尾上松也さん、ローラ役を渡辺えりさん、吉岡里帆さん、和田琢磨さんが交代で演じる。私は吉岡里帆さん回を観ました。『ガラスの動物園』の後日譚ということで様々な設定は引き継がれているものの、奇妙な台詞が散りばめられた不条理劇で、こちらも戯曲を事前に読み活字に没入すると悲しくて辛い気持ちに満たされてしまったけれど、上演版は可笑しみのある演出も多く、とても楽しめた。川本さんに「マリコさんは別役実、お好きだと思いますよ」と言われたのですが、確かに面白かったです。渡辺えりさんや和田琢磨さんが演じるバージョンも観たいし、別役実の他のお芝居も観てみたいと思った。
吉岡里帆さんの声が好きで、今回の舞台は生で観られることに加え、生で声を聴けることも楽しみにしていた。キャスト4人がアナウンスする開演前の客入れの場内放送 の時点から吉岡さんの声に聞き惚れていたけれど、『ガラスの動物園』では喉を搾るような発声を敢えてしていた印象で、『消えなさいローラ』は普段の吉岡さんに近い、けれど役柄的に様々な発声を楽しめ、歌声も聴けて声ファンとして大満足。
『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』と吉岡里帆さんのローラを浴び続けたけれど、ともすればローラ役って演出や俳優によっては哀れを誘いそうな、可哀想と安易に思われる役になりそうだけれど、佇まいや声が凛とした吉岡さんが演じることで、ローラにはローラの豊かな世界があるんだろうと思わせる強さがあった。私自身はたまたま現実世界と折り合いをつけていく人生だっただけで自分の中にもローラ要素はたくさんあって、もし吉岡ローラが現実世界で私と出会うことがあったなら、話しかけていろんな話をしてみたいな、と思わせるローラだった。動物園に一緒に行ってペンギンを見たりね。
<音楽>
川本さんが音楽監督を務め、演奏者として舞台上にいると伺っていたので楽しみにしていたのですが、上演開始してすぐ、演奏者とトム(尾上松也さん)が客席を通って登場する先頭(たぶん?)にいたので驚き。トムが追憶の物語を語る進行役として、自身の語る物語にふさわしい楽隊を引き連れ、楽譜を手渡して演奏させるという設定が一連の動きで説明され、観たことのない演劇と音楽の関係だと思いました。その後すぐにトムに川本さんが飲み物を渡すアクションがあって、え!演奏するだけじゃなくて、歌舞伎の黒子や能楽の後見みたいな役割もあるの?と驚いていたら、音楽家の3人がどんどん物語に入り込んでいく演出が随所にあって面白かったです。
何度もアレンジを変えて演奏されたメインテーマのような楽曲があって、『ティファニーで朝食を』における『Moon River』のような、『Moon River』が主人公ホリー・ゴライトリーに捧げられた楽曲であるように、きっとローラに捧げられた楽曲なのだろうなと思いながら聴いていた。メインテーマが物語に寄り添って盛り上げることもあれば、紆余曲折を経て物語が荒れた後にふたたびメインテーマが流れることでホッとする気持ちになることもあった。家族のような長いつきあいの誰かと喧嘩した後に、すっと普段どおりに戻れるような、聴くことでいつもの日常を取り戻せるような強度のあるメロディだった。
私は時折、いろんな意味で慌ただしい時に、その時々で流行っている耳障りの良い歌謡曲を1曲選び、一定期間それを何百回も聴き続ける習性があって、気分がアップダウンすることを、ひとつの曲を何度も聴くことで鎮静・高揚させて一定レベルに保ち続けるための心理的工夫だと思っていて、主題歌やメインテーマには同様の作用があるのかな、と思った。
『ガラスの動物園』の展開が健やかなる時も病める時も、キャラクターたちが笑いあう時も不穏な時もメインテーマがふっと流れることでひとつの連続した物語と認識でき、どこか安心して物語に没入することができた。少し明るいトーンのメロディだったからか演出にも似合っており、音楽があったからこそローラという人物の哀しさがいたずらに強調されることなく身近で、友達になれそうで自分の一部でもありそうなローラに思えたのかもしれない。
あと、不穏な音が好きなので『消えなさいローラ』のお茶を巡るやりとりの場面で流れていた音楽は、ずっと聴いていたいぐらい好きだった。
Cinema Radio 28のゲストで来ていただいたのは9月で、川本さんは絶賛作曲中・悩み中だったのに舞台を拝見して、すごい!音楽できてる!と思いましたし、作曲だけでなく長丁場の生演奏を何回も毎日、の大仕事っぷりに、私は私の持ち場で良い仕事をするぞ、と気持ちを引き締めた秋でした。
川本悠自さんゲストのCinema Radio 28、是非お聴きください。9月上旬に収録しました。
川本悠自さんBlogで音楽制作ついて細かく紹介されており、これからも続くようです。私は敢えて読まずにこれを書いたので、これからじっくり読みます。ラジオで質問した「物語に音楽をつけること」への、詳細なアンサーが書かれているのかも?と思っています。
Weekly28/はなればなれに/水無月
時間が経ち、2023年も半分が終了。
5月、横浜ジャック&ベティでエルンスト・ルビッチの話をした後、帰宅即入眠、明け方に目が覚めたのでtwitterを開くと追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭のトークゲストで以前、東京国際映画祭プログラミングディレクターをされていた矢田部吉彦さんの登壇を知り、チケットを予約した。
矢田部さんが「ゴダールについて語るという神をも恐れぬ行為」「ここ数日パニック」とtwitterで書かれており、数多の映画のQ&A司会やトークゲストとして登壇経験のある方でもゴダールは超緊張案件なのだな、と興味を持ったから。ルビッチ『生活の設計』を再見したばかりで男2・女1の三角関係の物語・ゴダール版を久しぶりに味わえるのも楽しみだった。
『はなればなれに』、B級映画っぽさがありゴダールの中でも好きなほうだったけれど、ある程度は価値観がアップデートされた令和の自分が観ると、パリの若者の無軌道な青春が輝いていようと、踊るアンナ・カリーナが無敵だろうと、ゴダール演出でとりわけ引っかかる女性の扱いの酷さにげんなりした。女性の身体に触れる何気ない動作が必要以上に暴力的でドキッとする。乱暴にモノを扱うみたい。次第に女性の心が離れていくと対話による歩み寄りを試みるでもなく、哲学書や思想本に答えを求めるように避難する男性ばかり出てくるように思う。
上映後のトーク、なんと矢田部さんお一人で登壇され滔々とゴダールについて語る!という回で、どれだけトークに慣れていようとこの形式・しかもゴダールは確かに超緊張案件だと思った。これまで聞いた上映後トークで同じ形式はずいぶん前、自作上映後に一人登壇し訥々と語る吉田喜重監督以来。ゴダールについて一人語りだなんて、人生において何があっても回避したいこと上位に入る。
矢田部さんのお話はゴダール自身の死について、ゴダールが生涯描いたテーマは「死」と「愛の不確実性」だったこと、アンナ・カリーナとの関係。ゴダールの人を人とも思わないような気まぐれさに振り回されたアンナ・カリーナが疲弊していき結婚生活は早くから破綻していたことなど。
『はなればなれに』に男に名前を聞かれたオディール(アンナ・カリーナ)が「モノ(Monod)よ。オディール・モノ(Odile Monod)」と答えると、男が「安売りスーパー(モノプリ:Monoprix)みたいだな」と冷たく返す場面があり、ちょっと嫌な感じ…何の意味?と考えていたら、ゴダールの実の母親の名前がオディール・モノだったと矢田部さん解説により知り、ゴダールの女性嫌悪の根深さに少しゾッとした。
古い映画を観る時、当時の歴史や文化を前提に描かれたことを念頭に置き、現在の価値観で好悪をジャッジしてはいけないと思うものの、映画は私にとってどこまでも娯楽だから、余暇の時間とお金を使って墨を飲むような気分になりたくない…と、せめぎあいの気持ち。
『はなればなれに』もしんどくなってしまった私の、記憶の中でのゴダール初期ベストは『アルファヴィル』で、再見する機会があってもしんどくならないことを願う。
<最近のこと>
夏越しの大祓も3年ぶりに神事が復活。茅の輪、無事くぐれたから無病息災が約束された。
水無月も無事食べ、ますます無病息災が約束された。東京で水無月を買える和菓子屋は少ないけれど、近所のつる瀬には売っていてありがたい。
6月30日、20年近く会っていなかった友人から連絡がきて再会。私がいろんな場所から書いていた日記を、友人もいろんな場所から楽しみに追いかけてくれていたようで嬉しかった。とりとめもないことでも書いて、公開して、続けておくものだなぁとしみじみ。
Weekly28/Cine-Piano/兎
週末、サイレント映画ピアニスト柳下美恵さんの上映会に伺いました。
会場は川崎市アートセンター アルテリオ小劇場。新百合ヶ丘駅から徒歩数分。川崎市に足を踏み入れるの、ずいぶん久しぶり…。こちらのイベント。午後のオトナの部。
https://kawasaki-ac.jp/th/theater/detail.php?id=000481
しっかり傾斜のある座席で、スクリーンも大きく、鑑賞しやすい会場でありがたい。
最初はアリス・ギイ監督の短編作品集。アリス・ギイはゴーモン社のタイピスト・社長秘書として働くうち、リュミエール兄弟のシネマトグラフ上映を社長と観て、私ならもっと面白いものを撮れる!と主張。かくして世界初の女性監督が誕生!というユニークな経歴の人で、フランス・アメリカで活躍し生涯で撮った映画の数なんと1000本…。数分程度の超短編も多く含まれているそうだけれど、それにしても、なパワフルさ。
今回観た中では『ビュット=ショーモン撮影所でフォノセーヌを撮るアリス・ギイ』(1907年/2分)は、この時代の映画で、私は初めて観る「メイキング動画」で、こんな映像が現存しているなんて、と新鮮な驚き。撮影風景の絵画のようなエレガントさも素晴らしく、映画最初期のクラシカルさが好きなのだけれど、時代の風俗や服装がフィクションに反映されるのだから、撮る側の人たちも映画の中身同様にクラシカルなのだよな、と当たり前のことを再確認した。
そして『フェミニズムの結果』(1906年/8分)。フェミニズムの活動・主張の結果として、女性が男性的な役割を獲得し、男性が女性の役割を担う様子が描かれており、ちょうど今、NHKドラマ版を観ていることもあって、男女反転した大奥を描くよしながふみ版『大奥』の1900年代・フランス庶民バージョンのような映画で驚いた。権威的に振る舞う女性たちがカフェで談笑し、女性を支える役割の男性が育児や家事にいそしむ描写や、ジャケットとスカートのセットアップ、帽子までは女性の装いとして不自然ではないけれど、そこにネクタイとステッキを加えることで「男性的な役割を獲得した女性」を衣装で表現しているのが興味深い。
アリス・ギイ、世界初の女性監督という物珍しさに加えて、その立ち位置を存分に活用した批評性もしっかりあって面白い。なんというか、さすがリュミエールを観て、私ならもっと面白いの作れるけど!ってばんばん行動に移していくような本人のキャラクターがしっかり作品に滲み出ている。
後半は待望のエルンスト・ルビッチ『花嫁人形』(1919年)。何度も観ている映画だけれど、演奏つきで観るのは初めて。今回は柳下さんのピアノに加え、フルート、ヴァイオリンも加えたトリオ演奏での上映で、トリオならではの音の厚みや、声も使った(ニワトリの声!)演奏で、ただでさえ楽しい『花嫁人形』が、さらに楽しいものになっていた。
『花嫁人形』、ルビッチのドイツ時代のミューズとも言えるオッシ・オスヴァルダが主演で、久しぶりにオッシにスクリーンで再会できた喜びで胸がいっぱいになったけれど、改めてまじまじと観ると、その表情や間合い、なんと素晴らしい喜劇人であることよ。ルビッチとの相性はもちろん、オッシであれば吉本新喜劇であっても、現代のコントであってもすんなり馴染みそうなコメディ基礎体力の高さ。作られてから1世紀以上経つのに、上映中ずっと笑いが溢れていて、笑いにも流行があるけれど、これほど普遍的な笑いもあるのだな。
ルビッチとオッシのコンビでは『男になったら』も大好きなので、ルビッチの『男になったら』と、アリス・ギイ『フェミニズムの結果』の併映も観てみたい。男性/女性監督それぞれが描く女性が男性に・男性の役割になったら、の物語、見比べると面白そう。
<最近のこと>
コロナ禍の年始の過ごし方として、なけなしのお正月気分を味わうために楽しみにしていた東京国立博物館での恒例イベント「博物館で初もうで」。今年は会期ギリギリに駆け込みました。
https://www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=past_dtl&cid=5&id=10799
ドヤ顔っぽい表情の伊万里焼の兎を楽しみに行き、実物のドヤ感も可愛かったのだけれど、びっくりしたのはこちらのうさ耳の兜!
江戸時代・17世紀のもので「左右には兎の耳を模した脇立を付け、背面には𩊱の上端を波形にしています。兎は動きが素早く多産であることから、戦国武将にも好まれました」のキャプションがついていたけれど、戦場でこんな可愛い兜を身に着けた武将を見たら、戦闘意欲が減退して、まぁ…仲良くしようや?って停戦気分になってしまいそう。
Weekly28/LAMB/映画の秋
寒暖差と低気圧で身体の調律の困難さ極める秋ですね。
久しぶりに映画館通いを自分内解禁し、丸の内ピカデリーへ。アイスランド・スウェーデン・ポーランド映画『LAMB』を観た。
<あらすじ(公式より)>
ある日、アイスランドで暮らす羊飼いの夫婦が羊の出産に立ち会うと、羊ではない“何か”の誕生を目撃する。2人はその存在をアダと名付け育て始めるが——。
ホラーという紹介もあるようだけれどホラー感はなく、北欧民話のようだった。主人公夫婦は羊を世話し売ることで生計を立て、家内では猫や犬も飼っている。広大な自然の中に見渡す限り人影はなく、人間より動物のほうが頭数が多い場所で暮らしている。群れた羊たちの緊迫の表情の冒頭から、動物たちが揃いも揃って演技派で、特に猫!猫、少ない登場場面のすべてで記憶に残る演技を披露しており、K-POPアイドルも平伏す表情管理の巧みさだった。
羊ではない“何か”を我が子のように育てるうち(アダちゃん。キモかわ!特に手のあたり、見てはいけない禁忌に触れた感ある造形)、かつて子供を亡くした夫婦に芽生える親心によって、動物の領分に無断で土足で踏み込んでいく人間のエゴが暴走する。最後、え!これで終わり!ここからもうひと展開始まるんじゃないの?って、キングオブコントの厳しい審査員ような感想を抱いたけれど、振り返ってみるとあのエンディングだから親が子供に読んで聞かせるような、オチは弱いが教訓はある民話のような印象が増したのかもしれない。
科学博物館でWHO ARE WE展を観たばかり(このひとつ下の投稿参照)というタイミングもあって、動物の生態に興味はあるけれど動物を飼いたい、ひとつ屋根の下で生活をともにしたい、という欲望が自分にない理由が『LAMB』にあるように思った。人類である私は人類と生活したり交流したりするのは日々の営み、感情の動き、病や衰弱について同類としての相互理解が前提にあるから受容できるけれど、人類とは異なる生物群にはその前提がないことへの怖さを感じてしまう。わからない生物群に対し餌を与えることにより食糧を保障し、生存に最適の温度や環境を整え外敵から身を守る手伝いをするうちに、自然と主従の感情が芽生えてしまいそうで怖い。わからない、怖いと思いながらも生活は続くから、いつか『LAMB』の夫婦のように傲慢な支配欲が制御できなくなりそう…。
私なんぞ布と綿でできた小さなペンギンもふもふ愛でるぐらいが関の山よ、と自分と動物の関わりについて再考する機会がもたらされる、『LAMB』は教訓を含んだ民話的映画なのだった。
<最近のこと>
4回めのコロナワクチン(オミクロン株対応/4連続ファイザー)を10月はじめに接種。木曜に接種券を受け取り、金曜に予約し、土曜の夜に接種するスピード感だった。
副反応は過去3回と同じく接種翌日に38℃前後の発熱と、食欲増進。ふだん発熱時は食欲が減退するけれど、コロナワクチンに限っては食欲が増す。弱々しい自分を想像して準備しておいたゼリー飲料やお粥に目もくれず、朝からラーメン食べたり餃子焼いたりする食べっぷり。身体が混入した異物と闘っている!絶対に負けるもんか!という勢いで食べ、熱が下がるにつれ食欲が落ち着いていく。こんな副反応に最初はびっくりしたけれど、4回目ともなると慣れるものだな。
過去4回で一番、副反応が軽微だったけれど、オミクロン株対応ワクチンだからか、単に慣れただけか判断がつかない。
ワクチン接種も完了したことだし、気をつけながら映画の秋を楽しもう、と東京国際映画祭と東京フィルメックスのチケットを何枚か購入した。東京国際映画祭のチケットシステムが相変わらずの使いづらさでイライラすることまでも、コロナ前の秋を思い出すようで懐かしかった。イライラしたけれど。
Weekly28/草の響き/WHO ARE WE展
ギンレイホール閉館・移転のニュースを読み、あの立地と内装が好きだったので寂しいな、今なら岩波ホールの跡地が開いてるよ…と思った。ここ数年、ギンレイホールで観た映画を振り返ってみると『菊とギロチン』がとりわけ良かった。映画館じゃないと受け止められない長さとエネルギーの映画だった。調べてみると2019年3月のことで、併映は『寝ても覚めても』だった。もはや太古の昔に感じるけれど俳優・東出昌大が世間的にも熱い時期だった。
どんなスキャンダルでも好きな俳優であれば受け入れるかと言えばそうでもなくて、快/不快の基準は人の数だけあって、私の場合、結局は好意と失意のバランスだと思う。他人に対して、こんな人だと信じていたのに!という期待が極めて薄いから、今でも東出昌大は好きな俳優で、新作の報せが届くと公開を楽しみに待つ。
『草の響き』は2021年秋に公開され、映画館で見逃した。配信で観られたので、心身の調子のよい時を選んで観た。
心に変調をきたした男が、東京での編集者生活を引き払い、妻とともに地元・函館に戻ってくる。自律神経失調症と診断され、運動療法として毎日のランニングを始める。少し良くなってまた悪化してを繰り返し治療が長引くうち、妻との関係にも変化が…という静かな物語だった。
妻や両親の発言が、職場であれば即NGになりそうな当たりの強さでひやひやしたけれど、周囲がそうあってほしかった男の姿と病を抱えた現実とのギャップに、治療を支えながらの日常が長引くにつれ、周囲も次第に疲弊していったのだろうと想像した。
体格のいい東出昌大が函館の景色の中をただ走るだけで、じゅうぶんに映画が成立していた。自分をうまくコントロールできないやるせなさもどかしさの表情のバリエーションが無限にある男だった。妻役の奈緒の重みが最後に突然染みてきたのだけれど、序盤から仕草や視線で細やかな表現を積み上げてきたことの、あまりの自然さゆえに気づいていなかっただけだった。
コロナ前に函館に行き、その時は『きみの鳥はうたえる』のロケ地巡りの旅だったけれど、坂のある港町ほど映画の舞台に最適な土地はない、と確信した。冬の夕方に歩きながら、私の視界の大部分は無彩色で、カラフルなネオンが少量混じるだけで北国の情緒を感じてしまうな、と撮った写真です。
『きみの鳥はうたえる』や、この『草の響き』を制作した函館市民映画館シネマアイリスにももちろん行き、映画を観た。
<最近のこと>
国立科学博物館で開催中のWHO ARE WE展へ。会期終了間際に滑り込んだつもりだったけれど、好評により10月10日まで延長された。
https://www.kahaku.go.jp/event/2022/08whoarewe/
哺乳類の剥製と、引き出しが仕込まれた木製の什器が並ぶ展示室内。まず剥製を心ゆくまで眺め、引き出しを開けると、その動物の生態や特徴の説明が現れる。引き出しを眺め、知識やトリビアを獲得した状態でふたたび剥製を眺めると、新たな視点が立ち上がってくる、という展示デザインも仕掛けも凝ったつくり。
さまざまな哺乳類の剥製がずらりと並ぶのを眺めた後、近くの引き出しを開けると、ミニチュアサイズのそれぞれの動物の名前と擬音語で表現された角の形状の解説が。
キュートなオグロプレーリードッグ。引き出しを開けると、巣の断面図の解説。巣の内部はトイレはトイレ、食料庫は食料庫と用途に応じた部屋に分かれており、動線も考え抜かれた機能的な住居だった。
私は骨/骨格標本好きなので、『からだのなかの彫刻』とタイトルをつけられた骨のエリアは入念に観た。
『からだのなかの彫刻』、これほど私の骨フェティシズムを端的に表現した言葉があるだろうか。「機能の塊であるはずの骨。静かに並べると見えてくる美。」と添えてあって、どなたか存じ上げませんが、この言葉を書いた人…骨を愛でながら私とお酒を飲みませんか…?
リスの肩甲骨なんて、もちろん初めて見たけれど、1920年代のルビッチ映画の女たちが纏うイヤリングのような可憐さ。
骨エリアは他に小さめのサルの骨をプラモデルのパーツみたいに全部、平面に並べた引き出しがあった。いつまでも見ていたい美しさで、私は名前を知らないけれど、きっとその骨にも名前があるであろう短い接続パーツ的な小骨に魅了された。写真を撮るか一瞬考え、やめた。過去に経験した「火葬場で骨を拾う」という行為がフラッシュバックして撮影、人道的にどうなんだろうと思ったから。リスの肩甲骨では生じなかった感情なので、サルの骨格全体だったからかもしれない。
他にも開くと、説明要員として小型の剥製が入っている引き出しがあり、文字や模型での説明の引き出しに比べると、あ!生き物!という気持ちが不意に生じてドキドキした。
WHO ARE WEと問われているのは、ヒトも哺乳類の仲間だからで、他の哺乳類にも様々な収集癖はあったとしても、こんなふうに仲間の屍を集め、臓器を取り除き、綿と針金で姿を再現し、並べ、比較し研究したり展示したりするのはきっとヒトだけだ…と想像すると、ずいぶん大上段に構えた尊大な生き物であることよ、という気持ちが芽生えつつも次の瞬間、
カモノハシ、めっちゃ可愛いやん!!!
という興奮も抑えられず、この展示を見なければ生涯味わえなかったかもしれない各種各様の気持ちを味わう機会だった。
美術手帖の記事。写真多数。会場ならではの体験として、照明も音楽も良い。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25906
三澤デザイン研究室が展示デザインを手掛けている。インスタグラムに写真多数。
https://www.instagram.com/misawadesigninstitute/
いずれ書籍化されるかもしれないし、 Vol.01哺乳類だからシリーズ化されるのかもしれないけれど、あの場が期間限定なのはあまりにももったいないから、常設にしてほしい。
Weekly28/サイドカーに犬/吾妻鏡
ご無沙汰しています。お元気ですか?私は元気です(山に向かって)。Weeklyなどと言った舌の根も乾かぬうちに停止してしまい、鈴虫鳴く中、これを書いています。
第7波、東京の感染者数が報じられると東京以外の人は、東京の人々よ、どういう生活なの…と心配されるかもしれませんが、住人としても自分が感染していない(たぶん)のが不思議なぐらい身近に迫っている。体感として第6波終了時点で周囲で感染歴のある人はだいたい20%ぐらいだったのが、第7波現時点で40〜50%ぐらいまで上昇したかな、という感じ。7・8月は陽性者続出で仕事がまわらなくなるのをフォローしたり、回復したものの後遺症で倦怠感が強い人とのミーティングがキャンセルされたり、という日々だった。外出意欲もさすがに減り、10月の映画祭の時期には気兼ねなく映画館に行けるほど減っていればいいですね、という自分内ムードです。
こんな時にありがたいのが、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がとってもとってもとってもとっても面白いことなのだけれど、ある時ふと、脚本・三谷幸喜なのだから、竹内結子がキャスティングされる世界線もあっただろうと、いきなりその不在を寂しく思った。どの役も見事なキャスティングだけれど、政子(小池栄子)や、りく(宮沢りえ)が竹内結子だったら、それもまた素敵だっただろうし、最近登場したのえ(菊地凛子)にもハマりそう。他のどの役だとしても、画面に登場するだけで華やいで悪い女も、賢い女も、企む女も、裏表ある女も、きっと毎週日曜が楽しみになるような演技を見せてくれたに違いない、ずいぶんな俳優を失ったのだなぁと、妄想しただけなのに哀しみが重くのしかかってきた。
何か竹内結子の映画を観ようと検索してみて、未見の『サイドカーに犬』を再生すべくクリックしたら竹内結子が動き出したので、映画って生存の記録だし、指先ひとつでもう会えない人に会える配信って便利だとしみじみした。
『サイドカーに犬』、竹内結子は古田新太の愛人で、妻が怒ってひとり出ていった後、残された子供たちにご飯をつくるために登場するヨーコさんという役で、厳しめに躾けられた少女が、のびのびと奔放なヨーコさんと出会って変わってゆくひと夏の物語だった。
ヨーコさんはドロップハンドルの軽そうな自転車を乗りこなし、料理はざっくり適当だが美味しそうで、飾り気のない装いが素の美しさを目立たせるような、魅力的な女だった。大半の人はヨーコさんを好きだろうが、どうしてヨーコさんは古田新太が好きなんだろう、と素朴な疑問が生じるが、そのあたりの経緯は説明されない。彼女の本質にリーチするには、あまりにも説明が不足している種類の女として物語の中を生きていた。
余白時間の隙間を縫って黙々としょっちゅう読書をするヨーコさんも度々映し出されて、ヨーコさんの魅力の大半は、たったひとりで物語と一緒に小さな部屋に籠る時間で生まれているのだろうけれど、ヨーコさんの現実世界の誰ひとりとして、その静かな部屋の扉を叩きに行こうとしないのだろうなとも想像して、今はもういない竹内結子が演じていることもあって、胸がギュッとした。
はからずして、夏の終わりにぴったりの映画を観た。
<最近のこと>
『鎌倉殿の13人』に話を戻して、年明け早々に読んだマンガ日本の古典『吾妻鏡』竹宮恵子版、1年間の大河ドラマの予習として、ぴったりの読書だった。人物名を覚え、相関図を脳内で描き、誰が早死し、誰が長生きし、誰と誰が殺し合い、どう歴史が流れていくのか、大まかな理解に役立った。
『いだてん』のようなわりと最近を描いた大河ドラマでは、突拍子もなく思えるあんなこともこんなことも史実で、記録が残っている!という楽しみ方があったけれど、鎌倉時代ぐらい遡ると、鎌倉から京が今よりずっと遠かったことによる心理的・物理的距離感から生まれる情報伝達の遅さや誤解も興味深いし、夢枕に立つ、呪い殺されるといったスピリチュアルが混じった言い伝えも面白い。登場人物たちの死因や、諍いの理由も諸説あり、真実は歴史の霧に包まれている…という感じだけれど、三谷幸喜版は玉虫色の解釈のどれも綺麗に織り込みつつも全体の流れは史実に従っている点で、なんて巧みな脚本なのだろう…と思うが、竹宮恵子版『吾妻鏡』は最初の方は『吾妻鏡』に苦戦している様子があるものの、徐々に筆が乗ってくる様子が見てとれて、下巻では好きなキャラも見つけたウキウキ感が漂っていて面白い。実朝のこと好きで描いていて楽しかったのだろうな。最近ドラマ版で実朝が登場したので、漫画のほうを思い出しながら観ている。
『吾妻鏡』竹宮恵子版、図書館で返却して、区民地域センターの会議室利用状況をみると吾妻鏡会と書いてあった。
吾妻鏡会、どういう経緯で設立されて、どんな活動をしているのか興味津々。図書館に行くたびにチェックするけれど、けっこう頻度高く開催されている会のようで、やっぱり今年は大河ドラマの題材だから、活動も活発なのかしら、と妄想している。
この会議室利用状況、ある日はサイコドラマ研修会って書いてあった。私が日常で目にするホワイトボードのうち、もっとも目が離せないホワイトボードなのです。
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