1994→2017
東京国際映画祭、今年は30周年の節目の年だったからか、六本木駅の改札からヒルズまでの地下道はメモリアルの雰囲気。30年間の思い出を振り返る写真がずらり。
私が初めて参加した1994年もあった。「東京」国際映画祭だというのに、大胆なことに、この年は京都で開催された。鳴くよウグイス平安京の794年から1200年、平安建都1200年を記念して。当時、京都の学生だった私は行きつけの映画館で映画祭のチラシを見つけ、チケットは誰でも買えること、学生はロードショーを観るより安いこと(1000円しなかったと思う)を知り、狐につままれた気分でスケジュールをチェックし、料金も安いことだし授業の隙間に時間が許す限り何でも観よう、どこの国の映画でも観よう、とチケットぴあのカウンターでたくさん発券してもらった記憶があります。
ラインアップをwikiで観ると(こちら)、審査員にジャンヌ・モロー、コンペに市川崑、オリヴェイラ、カウリスマキ、オリヴィエ・アサイヤス…異種格闘技っぽい。「アジア秀作週間」にエドワード・ヤン、原一男、キアロスタミ、石井隆…が並ぶごった煮感すさまじい。エドワード・ヤンはまだ「恋愛時代」と日本で名前がつく前、原題の「獨立時代」を引き連れて来日しており、私のエドワード・ヤン初体験はこの時。ラストのエレベーターの場面→エンドロールの美しさで恍惚とした後、本人が登場してのQ&A、好きになるのは必然でしたという感じ。カジュアルな服装の背の高い人で、この時もらったプレスシートは今でも宝物として手元にある。
家族や恋人、友達と肩を並べて観たとしても、映画を観ることはどこか孤独感がつきまとう行為だとひしひし感じていた頃に訪れた初めての映画祭体験。上映後に拍手ができることも嬉しく、自分と同じように映画を好きな人が世界にはたくさんいると知れたことも心強く、夢のような時間を過ごしたのでした。あの体験がなければ、見知らぬ国の映画を億することなく観ることも、知らない監督の映画を勘で選んで観る素晴らしさも知らなかったと思う。
だから、東京国際映画祭は今でも、私にとって特別なのです。