寿司屋の娘
朝型の私が遅い時間に始まるドラマを観ることは滅多にないけれど、『おっさんずラブ』最終回(最高だった!はるたんは私にとっても存在が罪)まで起きておくべく、原稿のために借り、返却期限の迫った小津『秋日和』のDVDを観た。
あぁ、『秋日和』の百合子(岡田茉莉子)の素晴らしさ、死ぬまでにあと何度観られるかしらん。
我が身のことのように家族を心配し、家族に心身の清潔さを求める態度を「ウェット」と形容し、幸せも人生も本人のもの、家族であっても口を挟むものではないと唱える百合子は、小津映画に押し寄せる近代化の波!を象徴する存在。平成も最後の初夏、間もなく昭和はひと昔前どころか、ふた昔前になろうとしており、他の小津映画はそろそろ観るのがしんどくなってきたけれど、『秋日和』が例外なのは、ひとえに百合子のおかげ。
窓辺で寿司を食べる百合子、寿司屋の娘。百合子の実家の寿司屋、東京の「場末」「ずいぶん遠い」ところにあるらしいけれど、どこの設定なのだろう。東京東側のほうが似合いそう。
クレオ気分
アニエス・ヴァルダから思い出したけれど、あちこちの病院であれこれ検査する時間を過ごし、存分にクレオ気分を味わった5月だった。
『5時から7時までのクレオ』(アニエス・ヴァルダ監督/1962年)のクレオの気分。クレオが、自分が癌かもしれないという恐怖に怯えながらパリの街を彷徨い、7時に検査結果を知るために医者のもとに行くまでの情緒不安定かつ多動な2時間の物語。そんな重病の疑いではない私でも、病院は憂鬱で緊張するもの。最後に見知らぬ兵士に心を開き、支えられるように病院に向かう、クレオの気持ちはうっすらわかる。
アニエス・ヴァルダの映画、街の美しさもグロテスクさも、ごろっと記録されていて、何度観ても飽きない。
明日から6月。
見立てSF
今年のカンヌのコンペティション、濱口監督のような新顔からゴダールのようなベテランまで揃っていて流れてくるニュースを読むのが楽しい。ゴダール、カンヌには登場しなかったけれど、Face Timeを使った遠隔会見に応じたというニュースにびっくり。87歳。もはや年齢を超越した存在か。
私のゴダール・ベストは『アルファヴィル』(1965年)で、何が好きってパリの街をディストピア未来都市・アルファヴィルに見立てる無謀さ、強引さがとてもキュートだから。ラジオ・フランスの建物はアルファヴィルの指令本部(だっけな?)に、プールは処刑場に見立てられる。粒子の荒いモノクロで撮ってもずいぶん無理があって、予算もCG技術もない中、一生懸命、現実を近未来にしてみました!というアナログな工夫が随所にある。同じ理由でトリュフォー『華氏451』(1966年)の合成バリバリ感も可愛くて好み。
古いSFを観る時、アルファヴィル的キュートさをつい探してしまいがちだけれど、『ブレードランナー』は、35年の時間差を感じさせない謎のタイムレスさがあって、どうしてだろ?って考えておる。
草笛光子のクローゼット
3月、映画館に行く時間がまるでとれないので、かわりに本をよく買っており、読む時間はないのだけれど、写真豊富な『草笛光子のクローゼット』は、あっという間に読み終えた。
http://www.shufu.co.jp/books/detail/978-4-391-15134-3
昨今、装うことに関して、パーソナルカラーや骨格、印象をプロの手を借りて客観的に診断し、「似合う」を合理的に見極めることが流行っているようで、目的合理的な私は興味を持って記事を読んだりしているけれど、装うことの楽しみって、もっと無駄だらけで衝動的で華やかなものなんじゃないかしら、と考えたりもする。その点、『草笛光子のクローゼット』は天晴れなんである。ホテルニューグランドを舞台に、女優・草笛光子が自らのクローゼットから選んだ服を着こなす非日常感に圧倒される。スタイリストの指南本のような実用性皆無なところが潔い。自宅ではなくクラシックなホテルで撮影しているところも良くて、ユニクロを愛用していることは披露しても、私生活は披露しすぎないバランス。どの装いにも遊び心と工夫がある。
市川崑監督『ぼんち』では、市川雷蔵演じるぼんちの愛人のひとりとして草笛光子が登場していた。強欲さを隠さない若尾文子とは対照的に、愛人のお手当でつつましく暮らす草笛光子が、男の手が触れただけでさっと帯が解けるように結び方に工夫をしている、と告白する場面が印象的だった。「なんでこんなこと思いついたんや?」「喜んでもらおうと思って…」と見つめ合うふたり。『ぼんち』でも、草笛光子は装いに遊び心と工夫があったね!
『草笛光子のクローゼット』、越路吹雪が亡くなる1週間前、ばったり会って一緒に買い物をしたというエピソードがとりわけ印象的。何十年も前に越路吹雪に選んでもらったロエベのコートを着こなす、84歳の草笛光子。このエピソードだけでもう、1本の映画を観た気分を味わえる。
谷川俊太郎展
金曜夜に観た、谷川俊太郎展について。展示、え、これだけ?と最初は少ないと思ったけれど、気がつけば時間を忘れて没入しており、ひとりの人間の過去・現在・内側・外側を、さりげなく網羅的に見せながら、生まれた言葉、言葉を生むことそのものが展示されていたとしか説明しようのない感覚が生まれた。初めて味わう種類の感慨だった。
図録は中身を確認して結局買わず、あの展示空間が期間限定のものだということが寂しい。家から5分ほどの場所に、気が向けばいつでも遊びにいける公園のように、あの展示空間が存在してほしい。好きに寝転んだり、コーヒーを飲んだりしたい。
https://www.operacity.jp/ag/exh205/j/gallery.php
谷川さん以外の言葉が並ぶこの壁、この一節は聖書のものだろうと思いながら読んでいたら実際そうだった。最下部にある「著作者より引用の許諾を得ていないことを、お詫びします。」という一文に笑った。そうか、許諾なしに引用しても、お詫びすれば良いのか…(もちろん違うだろうけど…)。きちんと段取りを踏むとして、聖書の引用って、どこに許可を求めればいいんだろう。
展示された手紙はどれも素敵で(三島や、武満徹の直筆!)、谷川さんのお父さんからの手紙がとりわけ良かった。ご両親が出会った頃から送りあっていたという手紙が本になっているらしいので(『母の恋文』)、早速読むつもり。
映画的には、市川崑と撮った古い写真が展示されていた。年表を観ると、市川崑・和田夏十と出会った年、と明記されてもいた。『東京オリンピック』だけの関係かと思っていたけれど、他の映画(『股旅』など)にも携わっていたと知る。2020年のオリンピックも、何らかの形で関わってくれるといいなぁ。
10年以上前、谷川俊太郎さんと少しだけお話する機会があり、その頃の私の関心は、言葉は頭と体の中間の曖昧な位置にあるもので、体のものでもある以上、スポーツ選手が日々鍛錬するように、ピアニストが1日休むと3日損失するといわれるように、使いこなしたいと願うならば、言葉も日々鍛錬しなければならないのではないか、という点にあったので、「谷川さんは毎日、詩を書くのですか?」という質問をしてみました。お答えは「僕はパソコンで書くので、毎日パソコンの前に座り、言葉を書いたり消したりします」とのことだった。パソコンというのが少し意外だったのと、やっぱり毎日か!と思ったことを覚えている。確か夏で、展示されていたような、洗いざらしのTシャツ姿だった。
会場に歴代のワープロ、パソコンが展示されていた。書院、iBook、VAIO。私がお話した頃は、右下のVAIOの前に日々座っていらした頃かと思う。
そして、こんなメモも貼ってあって。今週、私は包丁でさっくり指を切ってしまい(指と白菜を混同)、右手人差し指という使用頻度の高い指なので生活に支障がややあるのだけれど、PCのキーボードは支障なくタイプできるけれど、万年筆で手帳に予定を書き加えることが痛くてできない。意識していなかったけれど、手書きって想像以上に指に力がいるのだな、と思い知った。そう考えると、PCで生み出される言葉と、手書きで生み出される言葉は、そもそもの体力のかけ方がずいぶん違うのだなぁ。こんな時代に敢えて手書きにこだわる人は、「力を使って書いた」ということが、言葉を生み出すにあたって大切な人なのでは。
谷川さんとお話した日は、女友達と一緒で。「谷川さん、きっとすごくモテる人だと思う」と私がつぶやくと、友達が「ね。手とか、触りたいって感じの人だったね」と言い、きゃあきゃあ言いながら帰り道を歩いた。
谷川さんに会いに行ったような気分になる展示だった。ギャラリーを出ると、寂しさで心が覆われた。オペラシティで、明日まで。
https://www.operacity.jp/ag/exh205/
夜の博物館
早春の夜、上野の科学博物館へ。おすまし顔の皇帝ペンギン。
カメラ目線のイワトビペンギン。イケペンですね。
キヌガサタケ、レースのフレアスカートのよう。こんなに自分が美しいってこと、キヌガサタケは知ってるのかな。
東京・春・音楽祭という催しのプレイベント。ナイトミュージアムコンサート。あちこちで音楽の演奏、研究員の方のトークも。
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_4941.html
研究員の方のトーク、どちらも参加した。花の色について語るつもりだった植物研究の方が、うっかり花粉の話だけで時間を使い切ってしまったり、宇宙研究の方が、独特のトーンでゆらゆら動きながら静かに、私の専門は変光星についての研究で…とおっしゃったり、その人が好きなものについてお話しする時の、独特のロマンティックさに溢れたトークで、うっとりした。
音楽は地下2階、絶滅した動物の骨が並ぶフロアで聴いた、バンドネオンで演奏されるピアソラや、モリコーネの映画音楽が素晴らしかった。混んでいたので奏者は見えず、ずっと象の先祖のような巨大な動物の猛々しい骨を眺めながら聴いた。
ブレッソン「やさしい女」でとりわけ好きだったのは、男女がパリの自然史博物館を歩き、女が「動物はみんな同じ。配列が違うだけ」と骨を眺めながら言うシーン。男は、女の表面にしか興味がなくて、女が好きな骨については興味がなさそうな表情だったのを覚えている。
3月に入ってから謎の眩暈や、気が滅入ることの連続で、限りなく消耗しきっていたけれど、剥製や音楽や菌類や骨や植物標本により、しばらく乗り切れるほどには復活した。宇宙全体の7割を構成するエネルギーは、まだ解明されない謎で、ダークエネルギーと呼ばれるらしい。わかりあいたいのは根源的な欲望だとしても、7割もわからない宇宙の片隅で生きていて、何かをわかった気になるのもずいぶん野暮であるな。ありがとう、夜の博物館。
オリンピック
部屋のスクリーンの昼下がり。こんな、映画の主人公のような人生の人って本当にいるんだなぁ。時に現実はフィクションよりフィクショナルなのね。
ふと、2020年のオリンピック、記録映画は製作されるのだろうか、と思った。市川崑監督の「東京オリンピック」は、スポーツに関心の薄い私でも不思議と夢中で観てしまう映画だった。ああいう映画が、また生まれてくれないかな。
日本オリンピック委員会のサイトにある、市川崑監督インタビュー。興味深い。
https://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/interview/index.html
【about】
Mariko
Owner of Cinema Studio 28 Tokyo
・old blog
・memorandom
【search】
【archives】
【recent 28 posts】
- 1900s (3)
- 1910s (5)
- 1920s (10)
- 1930s (26)
- 1940s (18)
- 1950s (23)
- 1960s (58)
- 1970s (14)
- 1980s (40)
- 1990s (46)
- 2000s (37)
- 2010s (240)
- 2020s (28)
- Art (30)
- Beijing (6)
- Best Movies (5)
- Book (47)
- Cinema (2)
- Cinema award (15)
- Cinema book (58)
- Cinema event (99)
- Cinema goods (15)
- Cinema history (2)
- Cinema memo (127)
- Cinema Radio 28 (8)
- Cinema Studio 28 Tokyo (88)
- Cinema tote (1)
- Cinema Tote Project (1)
- Cinema trip (43)
- cinemaortokjyo (2)
- cinemaortokyo (100)
- Drama (3)
- Fashion (40)
- Food (65)
- France (15)
- Golden Penguiin Award (9)
- Hakodate (6)
- Hokkaido (3)
- HongKong (3)
- iPhone diary (1)
- journa (1)
- Journal (247)
- Kamakura (1)
- Kobe (1)
- Kyoto (18)
- Macau (2)
- memorandom (4)
- Movie theater (209)
- Music (43)
- Nara (15)
- Netflix (3)
- Osaka (2)
- Paris (13)
- Penguin (15)
- Sapporo (3)
- Taiwan (46)
- TIFF (24)
- Tokyo (357)
- Tokyo Filmex (14)
- Weekly28 (10)
- Yakushima (3)
- Yamagata (11)
- YIDFF (6)
- Yokohama (5)
- Youtube (1)