Weekly28/LAMB/映画の秋
寒暖差と低気圧で身体の調律の困難さ極める秋ですね。
久しぶりに映画館通いを自分内解禁し、丸の内ピカデリーへ。アイスランド・スウェーデン・ポーランド映画『LAMB』を観た。
<あらすじ(公式より)>
ある日、アイスランドで暮らす羊飼いの夫婦が羊の出産に立ち会うと、羊ではない“何か”の誕生を目撃する。2人はその存在をアダと名付け育て始めるが——。
ホラーという紹介もあるようだけれどホラー感はなく、北欧民話のようだった。主人公夫婦は羊を世話し売ることで生計を立て、家内では猫や犬も飼っている。広大な自然の中に見渡す限り人影はなく、人間より動物のほうが頭数が多い場所で暮らしている。群れた羊たちの緊迫の表情の冒頭から、動物たちが揃いも揃って演技派で、特に猫!猫、少ない登場場面のすべてで記憶に残る演技を披露しており、K-POPアイドルも平伏す表情管理の巧みさだった。
羊ではない“何か”を我が子のように育てるうち(アダちゃん。キモかわ!特に手のあたり、見てはいけない禁忌に触れた感ある造形)、かつて子供を亡くした夫婦に芽生える親心によって、動物の領分に無断で土足で踏み込んでいく人間のエゴが暴走する。最後、え!これで終わり!ここからもうひと展開始まるんじゃないの?って、キングオブコントの厳しい審査員ような感想を抱いたけれど、振り返ってみるとあのエンディングだから親が子供に読んで聞かせるような、オチは弱いが教訓はある民話のような印象が増したのかもしれない。
科学博物館でWHO ARE WE展を観たばかり(このひとつ下の投稿参照)というタイミングもあって、動物の生態に興味はあるけれど動物を飼いたい、ひとつ屋根の下で生活をともにしたい、という欲望が自分にない理由が『LAMB』にあるように思った。人類である私は人類と生活したり交流したりするのは日々の営み、感情の動き、病や衰弱について同類としての相互理解が前提にあるから受容できるけれど、人類とは異なる生物群にはその前提がないことへの怖さを感じてしまう。わからない生物群に対し餌を与えることにより食糧を保障し、生存に最適の温度や環境を整え外敵から身を守る手伝いをするうちに、自然と主従の感情が芽生えてしまいそうで怖い。わからない、怖いと思いながらも生活は続くから、いつか『LAMB』の夫婦のように傲慢な支配欲が制御できなくなりそう…。
私なんぞ布と綿でできた小さなペンギンもふもふ愛でるぐらいが関の山よ、と自分と動物の関わりについて再考する機会がもたらされる、『LAMB』は教訓を含んだ民話的映画なのだった。
<最近のこと>
4回めのコロナワクチン(オミクロン株対応/4連続ファイザー)を10月はじめに接種。木曜に接種券を受け取り、金曜に予約し、土曜の夜に接種するスピード感だった。
副反応は過去3回と同じく接種翌日に38℃前後の発熱と、食欲増進。ふだん発熱時は食欲が減退するけれど、コロナワクチンに限っては食欲が増す。弱々しい自分を想像して準備しておいたゼリー飲料やお粥に目もくれず、朝からラーメン食べたり餃子焼いたりする食べっぷり。身体が混入した異物と闘っている!絶対に負けるもんか!という勢いで食べ、熱が下がるにつれ食欲が落ち着いていく。こんな副反応に最初はびっくりしたけれど、4回目ともなると慣れるものだな。
過去4回で一番、副反応が軽微だったけれど、オミクロン株対応ワクチンだからか、単に慣れただけか判断がつかない。
ワクチン接種も完了したことだし、気をつけながら映画の秋を楽しもう、と東京国際映画祭と東京フィルメックスのチケットを何枚か購入した。東京国際映画祭のチケットシステムが相変わらずの使いづらさでイライラすることまでも、コロナ前の秋を思い出すようで懐かしかった。イライラしたけれど。
Weekly28/草の響き/WHO ARE WE展
ギンレイホール閉館・移転のニュースを読み、あの立地と内装が好きだったので寂しいな、今なら岩波ホールの跡地が開いてるよ…と思った。ここ数年、ギンレイホールで観た映画を振り返ってみると『菊とギロチン』がとりわけ良かった。映画館じゃないと受け止められない長さとエネルギーの映画だった。調べてみると2019年3月のことで、併映は『寝ても覚めても』だった。もはや太古の昔に感じるけれど俳優・東出昌大が世間的にも熱い時期だった。
どんなスキャンダルでも好きな俳優であれば受け入れるかと言えばそうでもなくて、快/不快の基準は人の数だけあって、私の場合、結局は好意と失意のバランスだと思う。他人に対して、こんな人だと信じていたのに!という期待が極めて薄いから、今でも東出昌大は好きな俳優で、新作の報せが届くと公開を楽しみに待つ。
『草の響き』は2021年秋に公開され、映画館で見逃した。配信で観られたので、心身の調子のよい時を選んで観た。
心に変調をきたした男が、東京での編集者生活を引き払い、妻とともに地元・函館に戻ってくる。自律神経失調症と診断され、運動療法として毎日のランニングを始める。少し良くなってまた悪化してを繰り返し治療が長引くうち、妻との関係にも変化が…という静かな物語だった。
妻や両親の発言が、職場であれば即NGになりそうな当たりの強さでひやひやしたけれど、周囲がそうあってほしかった男の姿と病を抱えた現実とのギャップに、治療を支えながらの日常が長引くにつれ、周囲も次第に疲弊していったのだろうと想像した。
体格のいい東出昌大が函館の景色の中をただ走るだけで、じゅうぶんに映画が成立していた。自分をうまくコントロールできないやるせなさもどかしさの表情のバリエーションが無限にある男だった。妻役の奈緒の重みが最後に突然染みてきたのだけれど、序盤から仕草や視線で細やかな表現を積み上げてきたことの、あまりの自然さゆえに気づいていなかっただけだった。
コロナ前に函館に行き、その時は『きみの鳥はうたえる』のロケ地巡りの旅だったけれど、坂のある港町ほど映画の舞台に最適な土地はない、と確信した。冬の夕方に歩きながら、私の視界の大部分は無彩色で、カラフルなネオンが少量混じるだけで北国の情緒を感じてしまうな、と撮った写真です。
『きみの鳥はうたえる』や、この『草の響き』を制作した函館市民映画館シネマアイリスにももちろん行き、映画を観た。
<最近のこと>
国立科学博物館で開催中のWHO ARE WE展へ。会期終了間際に滑り込んだつもりだったけれど、好評により10月10日まで延長された。
https://www.kahaku.go.jp/event/2022/08whoarewe/
哺乳類の剥製と、引き出しが仕込まれた木製の什器が並ぶ展示室内。まず剥製を心ゆくまで眺め、引き出しを開けると、その動物の生態や特徴の説明が現れる。引き出しを眺め、知識やトリビアを獲得した状態でふたたび剥製を眺めると、新たな視点が立ち上がってくる、という展示デザインも仕掛けも凝ったつくり。
さまざまな哺乳類の剥製がずらりと並ぶのを眺めた後、近くの引き出しを開けると、ミニチュアサイズのそれぞれの動物の名前と擬音語で表現された角の形状の解説が。
キュートなオグロプレーリードッグ。引き出しを開けると、巣の断面図の解説。巣の内部はトイレはトイレ、食料庫は食料庫と用途に応じた部屋に分かれており、動線も考え抜かれた機能的な住居だった。
私は骨/骨格標本好きなので、『からだのなかの彫刻』とタイトルをつけられた骨のエリアは入念に観た。
『からだのなかの彫刻』、これほど私の骨フェティシズムを端的に表現した言葉があるだろうか。「機能の塊であるはずの骨。静かに並べると見えてくる美。」と添えてあって、どなたか存じ上げませんが、この言葉を書いた人…骨を愛でながら私とお酒を飲みませんか…?
リスの肩甲骨なんて、もちろん初めて見たけれど、1920年代のルビッチ映画の女たちが纏うイヤリングのような可憐さ。
骨エリアは他に小さめのサルの骨をプラモデルのパーツみたいに全部、平面に並べた引き出しがあった。いつまでも見ていたい美しさで、私は名前を知らないけれど、きっとその骨にも名前があるであろう短い接続パーツ的な小骨に魅了された。写真を撮るか一瞬考え、やめた。過去に経験した「火葬場で骨を拾う」という行為がフラッシュバックして撮影、人道的にどうなんだろうと思ったから。リスの肩甲骨では生じなかった感情なので、サルの骨格全体だったからかもしれない。
他にも開くと、説明要員として小型の剥製が入っている引き出しがあり、文字や模型での説明の引き出しに比べると、あ!生き物!という気持ちが不意に生じてドキドキした。
WHO ARE WEと問われているのは、ヒトも哺乳類の仲間だからで、他の哺乳類にも様々な収集癖はあったとしても、こんなふうに仲間の屍を集め、臓器を取り除き、綿と針金で姿を再現し、並べ、比較し研究したり展示したりするのはきっとヒトだけだ…と想像すると、ずいぶん大上段に構えた尊大な生き物であることよ、という気持ちが芽生えつつも次の瞬間、
カモノハシ、めっちゃ可愛いやん!!!
という興奮も抑えられず、この展示を見なければ生涯味わえなかったかもしれない各種各様の気持ちを味わう機会だった。
美術手帖の記事。写真多数。会場ならではの体験として、照明も音楽も良い。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25906
三澤デザイン研究室が展示デザインを手掛けている。インスタグラムに写真多数。
https://www.instagram.com/misawadesigninstitute/
いずれ書籍化されるかもしれないし、 Vol.01哺乳類だからシリーズ化されるのかもしれないけれど、あの場が期間限定なのはあまりにももったいないから、常設にしてほしい。
Weekly28/サイドカーに犬/吾妻鏡
ご無沙汰しています。お元気ですか?私は元気です(山に向かって)。Weeklyなどと言った舌の根も乾かぬうちに停止してしまい、鈴虫鳴く中、これを書いています。
第7波、東京の感染者数が報じられると東京以外の人は、東京の人々よ、どういう生活なの…と心配されるかもしれませんが、住人としても自分が感染していない(たぶん)のが不思議なぐらい身近に迫っている。体感として第6波終了時点で周囲で感染歴のある人はだいたい20%ぐらいだったのが、第7波現時点で40〜50%ぐらいまで上昇したかな、という感じ。7・8月は陽性者続出で仕事がまわらなくなるのをフォローしたり、回復したものの後遺症で倦怠感が強い人とのミーティングがキャンセルされたり、という日々だった。外出意欲もさすがに減り、10月の映画祭の時期には気兼ねなく映画館に行けるほど減っていればいいですね、という自分内ムードです。
こんな時にありがたいのが、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がとってもとってもとってもとっても面白いことなのだけれど、ある時ふと、脚本・三谷幸喜なのだから、竹内結子がキャスティングされる世界線もあっただろうと、いきなりその不在を寂しく思った。どの役も見事なキャスティングだけれど、政子(小池栄子)や、りく(宮沢りえ)が竹内結子だったら、それもまた素敵だっただろうし、最近登場したのえ(菊地凛子)にもハマりそう。他のどの役だとしても、画面に登場するだけで華やいで悪い女も、賢い女も、企む女も、裏表ある女も、きっと毎週日曜が楽しみになるような演技を見せてくれたに違いない、ずいぶんな俳優を失ったのだなぁと、妄想しただけなのに哀しみが重くのしかかってきた。
何か竹内結子の映画を観ようと検索してみて、未見の『サイドカーに犬』を再生すべくクリックしたら竹内結子が動き出したので、映画って生存の記録だし、指先ひとつでもう会えない人に会える配信って便利だとしみじみした。
『サイドカーに犬』、竹内結子は古田新太の愛人で、妻が怒ってひとり出ていった後、残された子供たちにご飯をつくるために登場するヨーコさんという役で、厳しめに躾けられた少女が、のびのびと奔放なヨーコさんと出会って変わってゆくひと夏の物語だった。
ヨーコさんはドロップハンドルの軽そうな自転車を乗りこなし、料理はざっくり適当だが美味しそうで、飾り気のない装いが素の美しさを目立たせるような、魅力的な女だった。大半の人はヨーコさんを好きだろうが、どうしてヨーコさんは古田新太が好きなんだろう、と素朴な疑問が生じるが、そのあたりの経緯は説明されない。彼女の本質にリーチするには、あまりにも説明が不足している種類の女として物語の中を生きていた。
余白時間の隙間を縫って黙々としょっちゅう読書をするヨーコさんも度々映し出されて、ヨーコさんの魅力の大半は、たったひとりで物語と一緒に小さな部屋に籠る時間で生まれているのだろうけれど、ヨーコさんの現実世界の誰ひとりとして、その静かな部屋の扉を叩きに行こうとしないのだろうなとも想像して、今はもういない竹内結子が演じていることもあって、胸がギュッとした。
はからずして、夏の終わりにぴったりの映画を観た。
<最近のこと>
『鎌倉殿の13人』に話を戻して、年明け早々に読んだマンガ日本の古典『吾妻鏡』竹宮恵子版、1年間の大河ドラマの予習として、ぴったりの読書だった。人物名を覚え、相関図を脳内で描き、誰が早死し、誰が長生きし、誰と誰が殺し合い、どう歴史が流れていくのか、大まかな理解に役立った。
『いだてん』のようなわりと最近を描いた大河ドラマでは、突拍子もなく思えるあんなこともこんなことも史実で、記録が残っている!という楽しみ方があったけれど、鎌倉時代ぐらい遡ると、鎌倉から京が今よりずっと遠かったことによる心理的・物理的距離感から生まれる情報伝達の遅さや誤解も興味深いし、夢枕に立つ、呪い殺されるといったスピリチュアルが混じった言い伝えも面白い。登場人物たちの死因や、諍いの理由も諸説あり、真実は歴史の霧に包まれている…という感じだけれど、三谷幸喜版は玉虫色の解釈のどれも綺麗に織り込みつつも全体の流れは史実に従っている点で、なんて巧みな脚本なのだろう…と思うが、竹宮恵子版『吾妻鏡』は最初の方は『吾妻鏡』に苦戦している様子があるものの、徐々に筆が乗ってくる様子が見てとれて、下巻では好きなキャラも見つけたウキウキ感が漂っていて面白い。実朝のこと好きで描いていて楽しかったのだろうな。最近ドラマ版で実朝が登場したので、漫画のほうを思い出しながら観ている。
『吾妻鏡』竹宮恵子版、図書館で返却して、区民地域センターの会議室利用状況をみると吾妻鏡会と書いてあった。
吾妻鏡会、どういう経緯で設立されて、どんな活動をしているのか興味津々。図書館に行くたびにチェックするけれど、けっこう頻度高く開催されている会のようで、やっぱり今年は大河ドラマの題材だから、活動も活発なのかしら、と妄想している。
この会議室利用状況、ある日はサイコドラマ研修会って書いてあった。私が日常で目にするホワイトボードのうち、もっとも目が離せないホワイトボードなのです。
【本日更新】越南観察記録 第五回
本日更新しました。
moonbow cinema主宰・維倉みづきさんによる連載「越南観察記録」。みづきさんが現在暮らす異国の地で見かけた情景や観察した出来事と、映画の周辺について。五回目の観察記録です。
みづきさんが異国に行かれてそれなりの時間が経過しているのに、旅の感覚が自分の中で後退しているためか、いまいち現実感がないままだったけれど、東京で観たあの映画を、同時期に言葉の違う土地の映画館でご覧になった様子を知ってようやく、遠くからの便りを受け取る実感が湧いてきました。
出口に向かうかと思えば、また逆戻りのようなコロナ禍ですが、すこし遠い街の観察記録と映画の周辺、どうぞお楽しみください。
Weekly28/リコリス・ピザ/襖の張替え
日比谷で。ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)『リコリス・ピザ』を観る。
コロナ禍に入ってから観る映画を選ぶことに慎重になった。暗そうな映画は自分がとりわけ元気な時にしか無理だし、人がたくさん亡くなったり、パニックになったりするのも辛い。ここのところは衝撃的な事件のニュースばかり追っていたので更に慎重になっていたわりに、PTAの新作ということ以外何も知らずに観てしまったけれど、結果として、最高に大正解だった。
しかし、しんどい人はこれを観ると良いと誰かに薦めるのも躊躇う。やや年齢差のある男女の、ボーイ・ミーツ・ガール青春ものなのだが、それに期待して観ると、クセの強さに戸惑われそうだし、音楽が最高!という触れ込みで観たとしても、クセの強さに戸惑われそう。
観終わった後に初めて予告編を観たけれど、この予告編、クセの強さを丁寧に取り除き、ピュアで爽やかでロマンティックな部分だけ抽出しており、確信犯?って笑ってしまった。
PTAの作風に慣れている自分ですら、ショーン・ペン&トム・ウェイツが登場して去り、入れ替わりでブラッドリー・クーパーが出てきたあたりは、私はいったい何を観ているのだろう、と呆然と眺めるしかなかった。明らかに最初から惹かれ合っているふたりがようやく素直になるまで、驚くほどの遠回り、驚くほどの冗長さだけれど、映画よ終わらないで、この変な時間が永遠に続きますように、と願ってしまう、謎めいたチャーミングさがあった。
自分と人間の好みが一致する人、つまりキャスティングセンスを信頼している監督、東の筆頭・黒沢清、西の筆頭・PTAなのだけれど、『リコリス・ピザ』も例外ではなく、主演のふたり(クーパー・ホフマンが、フィリップ・シーモア・ホフマンの息子さん!という事実も、観終わった後に知った。言われてみればそうなのだが、どうして観ている間に気づかなかったのだろう。DNAの強さ!)はもちろんのこと、終盤に登場する俳優…あれ、この人どこから観た…どこかで観てすごく好きだった人だ…と思い出せないままエンドロールに差し掛かり、ベニー・サフディの名前が出た時、きゃああああ!と叫びそうに。ベニー・サフディはジョシュ・サフディとのサフディ兄弟として監督作があり、どれも最高。PTA映画でベニー・サフディを観られるなんて、そことそこ繋がってたの!!と歓喜の感情が芽生えた。
キャスティングの話で言えば、ここ10年ほどの間に観た映画の中で、どう考えてもベストなキャスティングだったな、と思っているのはPTA『ザ・マスター』のフィリップ・シーモア・ホフマン、ホアキン・フェニックス、エイミー・アダムスなのだけれど、新興宗教の教祖と妻、教祖の魅力ゆえに近づくがやがて疑問を抱くようになる男、という物語なので、今まさに再見すべきでは、と考えたりしている。
ともあれPTA『リコリス・ピザ』、観ている間ずっと浮世の暗さから逃避していられる、ありがたい映画だった。こんな映画を他にもうまく選べたらいいな。
<最近のこと>
選挙の日。早朝から選挙に行き、自転車に乗って友人宅に移動。東大襖クラブという東京大学に存在する襖の張替えサークルによる張替え作業を見守った。
思い返せば3年前。引っ越した私は新居の障子を張替える必要があり「文京区 障子 張替え」の検索でヒットして襖クラブの存在を知り、早速アポをとった。東大は近所だし、張替え作業ってよく知らない人と自宅で長時間一緒に過ごす必要がある、と考えると緊張するけれど、東大生が来てくれるなら、それだけで楽しそうだと思って。当日は女性部員の方が障子紙と道具一式を持って来て、途中食事を一緒に食べ、綺麗に張替えが完了した。襖クラブの歴史は長く戦後、学費を払えない学生が技術を身につけながら生活費を稼ぐ目的で始まり、そのため依頼者は学生に食事を提供するルールがある。
素敵な学生さんが来てくれて学業や襖クラブの話を聞いたりしながらの張替えが楽しかったので、また会えるといいなと思ったものの、また会えるとしたら自宅の障子や襖が破れた時のみ、そうそう機会があるものではない….よよよ….と考えていたところ、友人との会話の中で、ウチの襖がボロボロなんだよね〜とポロッと言ったのを聞き逃さず、いいクラブ知ってますぜ(揉み手)!!!と紹介し、事前の現場調査・襖紙選びを経て、張替えとなった。私がお世話になった部員さんが今も在籍していてリーダー的役割を担ってくれて、襖の枚数から人数が必要、ということで総勢4名で張替え。
友人宅は都心オブ都心にありながら、築70年以上の一軒家。おそらく戦後、その一帯に同じ規格の小さな家がたくさん建てられたうちの数少ない生き残りで、小さな家2つを1つに合体させるリフォームをしている。そんな背景があるから家の中に階段が2つある不思議な構造。友人は建築家なので模型があちこちにあり、この家の模型もあった。飼っている猫が襖をボロボロにしたそうで、その現場と犯人。犯猫。キミか!キミがやったんか!
襖は障子より格段に張替え作業の工程数が多く、外枠を外す→引手など部品を外す→古い襖を剥がす→傷んだ木の部分を補修→下地になる薄紙を張る→襖紙を張る→部品を戻す→外枠を打ち付ける、加えて今回は猫対策として一部の襖の下部に透明な保護シートを張る工程が追加される。古い襖を剥がしてみたら時々ドラマに遭遇することがあるそうで、この日、友人宅の襖を剥がしてみたら…「キツイ」ってカタカナで書いてあったらしい。長い歴史のあるこの家で、最後に襖を張り替えたのがいつ誰だったかわからないぐらい古いらしく、いつ誰が書いたんでしょうね。作業、キツかったのかな。
朝9時から4人がかりで始まった作業が、張替え枚数が多いこともあり、終わったのは21時頃。私は襖クラブと依頼者を繋ぐだけの役割だから、邪魔にならない場所にいて、友人宅の亀に話しかけ、猫にちょっかい出して不機嫌な顔をされ、夜になったら選挙特番を観るなどしていた。
綺麗になったよの図。これまでボロボロだったから通り抜けできていたのに、何やら様子が変わって戸惑う猫さま。
コロナ禍ということもあり現在は依頼者宅の食器を使うような食事の提供は原則なしだそうで、友人が近所の美味しいカレーをテイクアウトしてきてくれて皆で食べながら襖クラブ活動の話を聞いたり、作業を眺めたり、終わった後に打ち上げ的にハーゲンダッツを食べたりしたの、夏の良い思い出になりました。
張替え市場の相場がわからないけれど、私が障子の張替え代を支払った時は「大丈夫?労働、搾取されてない?」って思わず聞いたぐらいリーズナブルと感じたので、首都圏で張替えを検討されている方がいればオススメです。
Weekly28/あなたの顔の前に/奈良
ホン・サンスの新作が2作公開される贅沢な夏。まず『あなたの顔の前に』を観た。有楽町にて。
フィルモグラフィーを勝手にキム・ミニ前/キム・ミニ後に区分すると、キム・ミニ前は主演に起用する俳優も多彩で、私はホン・サンス映画を通して韓国の俳優の名前を覚えていたから、時折、キム・ミニ前を懐かしく思ったりしていた。かつてのキム・ミニの出ないホン・サンス映画も好きだったし、ホン・サンス映画以外のキム・ミニも好きだった。『あなたの顔の前に』は久しぶりにキム・ミニの出演しないホン・サンス映画で、イ・ヘヨンという素晴らしい俳優を知ることができて幸せな気持ちに。
あらすじを知らないままに観はじめ、主人公がかつて暮らした家に行くくだりから、今日が人生最後の一日だと自覚しながら過ごすなら、こんな感じかしら、と考えた。昨年亡くなった自分の親しい友人について、その死が謎に包まれているだけに、思い巡らす余白がたっぷりあってしまい、あの人の人生最後の一日ってどんなだったのかなと時折する想像に似ていた。行き先や言葉のひとつひとつに、その人の人生が凝縮されているような一日のこと。あくまで想像に過ぎないけれど。
映画監督が登場し、酒を飲みながらの会話が長く続く。ホン・サンスらしい場面だけれど、キム・ミニ前の作品群にあった戯れのように始まる男女の関係が、理不尽なほど男に都合の良い展開に至り、何故か女は憤るでもなく受け容れるという、無邪気さはもうなかった。キム・ミニ後の作品群では男は軽やかに恋を楽しむ存在ではなく苦悩し、死を匂わせ、近作『逃げる女』では女にとってもはや鬱陶しい存在のように描かれていたけれど、『あなたの顔の前に』で久しぶりに、男は身勝手だった。けれど物語の重心は女にあるのが最近のホン・サンスらしい。
当たり前のことにホン・サンスも老いてきて、『ハハハ』や『次の朝は他人』の若さはもうない。85分とコンパクトな時間、わずかな登場人物だけで、人物の年輪を色濃く漂わせるミニマムで濃密な映画。過去を潔く捨てて進化していく先輩の渋い背中を見るようで、眩しくて惚れ惚れとした。
安倍元首相の襲撃事件、どこで起きても衝撃的な出来事が、あまりにも身近な土地で起き、穏やかでのんびりした奈良でまさか、というショックを受けている。コロナ禍で何年も帰っていない故郷の景色を、こんな形で見るとは思わなかった。襲撃現場も馴染みがある場所だけれど、搬送先の病院はまさに近所で、親戚のお見舞いに行ったり、小さい頃は学園祭に遊びに行ったりした場所だった。夫人の東京からの移動ルートがそのまま私の帰省ルートでもあり、うまく言葉にならない。実家の上空はずっとヘリの音がしていたらしい。
心は泡立ったままだけれど事前特番をチェックし、選挙公報も読み、早朝に投票を済ませた。
Weekly28/ベイビー・ブローカー/水無月
是枝裕和監督『ベイビー・ブローカー』、初日初回に鑑賞。TOHOシネマズ日比谷にて。
ベイビーボックスに置いた赤ちゃんを巡るロードムービー。それぞれが産まれる・育てる・生きることについて異なる意見や感情を持つ登場人物がひとり増えるごとに、次第に分厚い「社会」が自然と形成され、「捨てるぐらいなら産むな」から始まった道行きが、最後にはまったく違う着地を見せていく、見応えのある物語だった。
物語の中心にずっといる、ベイビーボックスに赤ちゃんを置いた母親・ソヨン役であるイ・ジウンがとりわけ素晴らしい。ソン・ガンホはじめ豪華な俳優陣の演技との反応の結果であることは確かだけれど、気がつけば他の俳優が背景に後退し、イ・ジウンばかり目で追ってしまう。
産んだものの母親になることには躊躇していたソヨンが、出会う人々の人生に触れ、やがて万物の母かのような色を帯びていく。その過程が大袈裟な喜怒哀楽を見せるわけでもない、微細な視線や仕草の集積によって表現される。赤ちゃんを捨てるほどの事情のある荒んだ半生のソヨンを演じながら、そこはかとなく漂う可憐さはおそらくイ・ジウンが図らずとも持っているもので、こういうのを俳優の「ニン」と呼ぶのかな。物語も装置もなくとも、ただ彼/彼女が映っているだけでじゅうぶんに映画と呼べるのではないか?という俳優にまれに遭遇するけれど、イ・ジウンはきっとそんな人なのだろうと圧倒された。
https://gaga.ne.jp/babybroker/
<最近のこと>
夏越の大祓。根津神社では今年も、神事は神職のみで執り行われ、茅の輪は設置しておくから各自好きにくぐってねスタイルの6月30日。八の字にくぐった時間帯、体感温度42℃だって。無病息災を願いに行ったら熱中症寸前になってしまう危険な暑さ。
上半期、オミクロン蔓延期はコロナ禍始まって以来最高にウィルスが身近に来た感があり、私も濃厚接触疑いで抗原検査したものの無事だった。東京に暮らしてこれまで罹患していないことが、日々行動に気をつけた結果なのか、ただのラッキーなのか判断がつかない。下半期も自分と周囲の無病息災を祈るのみ。シンプル神頼み。
水無月は東京で買える場所が少ない和菓子だけれど、近所のつる瀬で販売されており、ありがたい。
唐突に毛色の違う話題で恐縮ですが、上半期ベストっぽいものが溢れる時期でもあり、最近聴いた『ロングコートダディのオールナイトニッポン0』が上半期聴いたラジオ随一の神回だった。
https://radiko.jp/#!/ts/LFR/20220626030000
芸人コンビでネタ作ってるほうVS作ってないほうの対立がしばらく前、随所にあったけれど、ふたりは既に次の次元に移行していて、ネタ作り含め相方が全部やってくれるから、自分は相方の好きなお菓子を焼く、という役割を見つけてラジオでも披露。カヌレを焼きながらラジオの時間が進むものの一部始終は映らず、声だけで説明される。ラジオだからね!という前代未聞の展開。
最近面白かったもの情報交換として紹介した友達もハマったので、ここにも記録。笑いの感覚って人それぞれまるで違うから、薦める時は緊張します。これから疲れやさぐれ気分の時は何度も聴こうと思う。ありがとうロコディ、優しくて可愛い世界。
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